恋をすると女性はキレイになる、といいます。
「綺麗」という言葉は〈美〉を形容する言葉のひとつ。
〈愛〉と〈美〉からは親戚関係のようなものを感じます。
愛を突きつめるとそれは美となり、
美を紐解けばそこには愛が見える。
そういえばどちらも人間特有の概念ですね。
森晶麿さんの『黒猫の薔薇あるいは時間飛行』読了です。
当ブログでは初登場ですが黒猫シリーズ(文庫)制覇してます。
唐突に第3弾からの感想になってしまいますが御勘弁を(汗)
薔薇の花言葉は「愛情」そして「美」。
なるほどまさに、名は体をあらわす、ですね。
ある女性作家の短篇に隠された背景。
ある女性音楽家の音色に隠された背景。
国も形も違う〈美〉に隠された背景を、
付き人・黒猫がそれぞれの地で推理する今作。
ここにきてようやく
付き人の黒猫に対する想いが見えてきたからか、
今作は人それぞれの恋の形が描かれていた印象。
想いを馳せる対象が遠くにある時ほど、
人間は芸術のなかに自分とその人との関係を
見出すようになるものらしい。
読書関係の書籍を読んでいると、
「運命の一冊はつらいときにしか出会えない」
というようなフレーズに出くわすことが多々あります。
遠くにいるから、届かないから、会えないから。
想うことでしか像がつかめない、だから、よりいっそう想う。
芸術という媒体に2人を重ねることでそれは身近なものになる。
身近に感じられるとそこに愛着が生まれ“運命の出会い”となる。
恋愛の楽しみって自分が誰かを好きになることだから。
人に好かれるかどうかは確率であり
自分の楽しみにはそれは含まれていない、と誰かは言う。
あなた次第よ。植物を気取るもよし、鳥になるもよし。
成就しない恋について、
ある世界では終わるが別の世界では終わらない、と誰かが言う。
でも忘れないで。君は僕の薔薇だよ、永遠に。
失われた恋でありながら終わらなかった恋が、誰かにはあった。
人生は魂の片割れを探す旅でもある。
その片割れは人間かもしれないし、犬かもしれない。
一冊の書物の可能性もあるだろう。
その片割れが人間、異性であればなお、ロマンティックだ。
そう夢想するのが我々人間であり若さなのでしょうね。
そうして長い長い旅の途中でいずれ気がつくのです。
自分が人間だからって、
人間にしか恋愛感情をもってはいけないなんてことはない。
それが動物であれ植物であれ石であれ、
ひとつのものに心惹かれると、
そこに通常の分類法では割り切れない
そのものにしかない魅力を感じるものだ。
そして、人はそういうものを恋と呼ぶ。
昔読んだ少女漫画で野球少女が言ったセリフに、
「私、今、野球に恋してる」というものがありました。
こういうことなんですよね。
私もそこまで文学を突きつめたいものです。
若い者の知識の量にはしょせん限度があるよ。
それよりも、一つのものを掘り下げること。
それが大事だ。
ラテスト教授の言葉、肝に銘じて、ね。
それぞれの恋は時間によってそれぞれの地点へ到達します。
恋はタイミングがとても重要だということが描かれていきます。
〈愛〉と〈美〉は親戚関係のように感じる、といいました。
恋はタイミングが重要ならば、芸術もまた、同じことでしょう。
文学、音楽、映画、美術、…すべては「出会ったとき」が大事。
人間相手では褒められたことじゃないので
芸術相手に“運命の出会い”からの恋、たくさん、しましょう(笑)。