昔から数学が全然できません。
どれくらいできないのかといいますと、
高校時代の中間テストで0点を取ったくらいできません。
2ケタ同士の暗算から怪しいところ。
買いものにはスマホの電卓が必須です。
まぁ、それもはや算数の範囲ですけどね(笑)。
人は自分にはないものを持つ人に惹かれるといいますが、
こんな私が数学小説に惹かれるのはそういうことでしょう。
(最初に惹かれたのは表紙のかわいい絵だったけれど)
向井湘吾さんの『お任せ!数学屋さん』読了です。
表紙の宙くんと遥ちゃんを見たとき、
高校生だと思っていたのですが中学生でした(゚Д゚)
シ ョ タ コ ン 大 歓 k (殴
数学で世界を救う――。
転校してきた不思議数学少年・宙くんと、
数学が嫌いな体育会系女子・遥ちゃんの「数学屋」のおはなし。
問一.数学が生活に役立つことを示せ:
「趣味は読書です」と「特技は数学です」どちらも自己紹介なのに
どうしてこうも受ける印象が違ってしまうのだろう( ´・ω・)(・ω・` )ネー
読んでいて思ったのは、
数学と国語って対照的なふうに扱われるけれど、
実際は社会における基礎と応用じゃないかなと。
たとえばある仕事をしなければならないときに、
マニュアル(=公式)を理解して駆使する力は数学的な思考力
それを自分流にアレンジしてモノにするのが国語的な思考力
こういう思考力を養うための授業なのかなと思いました(妄想)。
頭を、ガンと殴られたような気がした。
地球上の全人類が集まったとしても、たったの一〇桁!
一〇〇〇桁とでは、文字通り桁違いだ。
それも、九九〇桁。九九〇桁違いだ。
嫌いな数学をそれでもどうにか理解するために
自分なりに試行錯誤して考える遥は魅力的な主人公ですね。
問二.グラウンドを二等分しなさい
面積に関するおはなしですね。
最初、読んでいるうちにわからなくなり心が折れましたが←
遥を見習って私もノートに計算をしながら二度読みました。
宙が計算していく描写を読んでいて実感したのですが、
小説ってもともと読解力が求められているじゃないですか。
数学小説だとそこに計算力がプラスされるわけですよね?
な に そ れ 頭 が 爆 発 し ち ゃ う (白目)
「宙君は、こうやってみんなを助けていって、
最後には世界を救おうと思っているの?」「うん」
数学にかぎった話ではないけれど、
趣味や特技なんかは個人の応用力でいくらでも
「それ」以外のものに変換できるんですよねきっと。
問三.部員たちのやる気を向上させなさい
囚人のジレンマという理論を使ったおはなしです。
数学以外の分野でも多々見かける言葉ですよね。
私は昔…心理学?の書籍で見かけたことがあります。
収録話の中では唯一(個人的に)、
結末がちょっとスッキリしませんでしたかね(´Д`;)
なんていうか、
翔くんの提案が「違うそうじゃない」っていう。
宙が悔しがるところじゃないよね絶対(´・ω・`)
「ええと、そうだな……。もしよかったら、
野球とソフトボールの違いを教えてくれないかな?
そうしないと、また間違えてしまいそうだ」
遥が嫌いな数学を自分なりに理解しようとするように、
宙も数学数学と言いながら遥の声に耳を傾けている。
対照的なようでいて似ているバランスの良い2人ですね。
問四.恋愛不等式を解きなさい
きっと中高生読者はこのおはなしが1番好きだろうな(確信)。
章タイトルはかわいいですが、
なかなかしっかり計算をしています。
中身は全然かわいくないです( ゚-゚)笑
「僕らは明日のことだって、何一つ知らないんだ。
明日も今日と同じように太陽が昇るなんて、誰が決めたんだい?
もしかしたら、
太陽は今晩のうちに爆発してなくなってしまうかもしれないよ。
でも、僕らはそういう可能性については考えない。
そういうふうには『期待』しない。
そうならないように『期待』するんだ。
僕らは『期待』しないことには、一日だって生きていけない」
Twitterを見ていたときのこと。
あるツイートでイライラしない方法について、
「人に期待しない」という項目がありました。
宙の意見を真に受けると、
「人に期待しない」というのは対人関係において
つねにすべてを悲観的に見続けるということです。
最悪を想定していれば、
結果はつねに「予想通り」か「ラッキー」です。
「最悪」と感じるリスクはたしかにないかもしれない。
だけどそれってなんだか寂しい考えですよ(´・ω・`)
「(略)僕らはいつだって『期待値』を考えて生きているんだ。
恋愛に関してだって、『期待』したっていいでしょ?」
良いと思います(●´ω`●)
問五.ふたりのグラフを描きなさい
問六.数学で世界を救いなさい
309P以下怒涛の萌えラッシュ( ^ p ^ )
さらにソフトボール経験がないと起こりえない展開!←
狭い道の途中で進路と退路が同時にふさがり、
おまけにその場に留まることすら許されない。
最近は青春小説を読んでいると、
主人公たちがとにかく「今」しか見ていなくて
それが不自然に見えるときさえあるんですよね。
そういうときに、歳をとったな、と思います。
「そんなことで」と大人は笑いますが、
「そんなこと」が彼らの世界の中心で。
今そこにあるものを見続ける。
これは大人になるとなかなかできなくなってきます。
大人にはもうその先が見えていたり見たかったりしちゃうので。
「『素数定理』の発見は一七九一年、
ガウスが一四歳のときだと言われている」
子供がいわゆる無限の可能性を秘めているのは、
今そこにあるものだけを見ているから…なのかも?(´∀`)