以前、ネットでこんな記事を読みました。
川北義則さんの著書、
『「いい加減」なのに毎日トクしている人 「いい人」なのに毎日ソンしている人』
という本を扱ったもので川北さんは著書の中でこういっています。
〈生きるのが上手な人は、エレベーターの『閉』ボタンを押さない〉
〈生きるのが下手な人は、エレベーターの『閉』ボタンをすぐに押す〉
なんでも、
エレベーターは開閉ボタンを押さなくても自然に開閉するため
それすら待てない、というのは、せっかちで損をするのだとか。
実際のところエスカレーターでも見かけますね。
自動だというのにせかせかのぼって(降りて)いく人…。
心に余裕がなくてまわりを見られない。
生きるのが下手な人は昨今たくさんいるのかも?
今回はそんな“生きベタ”な人たちに是非読んでほしい、
ケヴィン・ウィルソン氏『地球の中心までトンネルを掘る』
こちらの感想を“生きベタ”な私が書いていきましょう!
計11編からなる短編集です。
じつは刊行予告が出た段階から気になっていた作品。
雰囲気としてはちょっぴり(?)不思議な日常小説でしょうか。
各編なかなか考えさせられる深みのある作品ばかりでした。
以下、各編の感想です。
替え玉:
代理祖父母派遣会社で「祖母」を演じる女性のおはなし。
結婚式に親戚や友人のフリをして出席してもらうビジネスだとか、
最近話題になった〈レンタル彼女(彼氏)〉だとかを彷彿とさせます。
血のつながりがあるからと言って、
必ずしもその人の愛情を納得して受け入れられるとは限りません。
子供は親を選べないなんてよくいいますが、
もしかしたらこんなふうにいつか選べる時代が来るのかも…。
発火点:
“自然発火”によって両親を亡くした兄弟のおはなし。
両親を燃やした炎は兄弟の日常にそっと火をつけ、
“生きる”というとてつもなく大きな衝動をつきつける。
弟は気持ちがふさいでいるわけでもなく、
哀しみのどん底にいるわけでもない。
ただ、精神的に不安定なだけだ。
(中略)
けれど、もし、もう一度その気になったら、
ケイレブはやるだろう。
そういう衝動は、抑えることなんてできやしないんだから。
自傷行為をやめることができない弟。
ぼくたちは与えられたものしか手に入れることができない。
ならば、
ぼくたちの指先がようやく探り当てたその小さな小さなものを、
慎重に探らなければ探り当てられないほどささやかなものを、
感謝して受け取るべきなのだ。
会社をとびだしひたすら走りだした兄。
2人で生きる。
両親の命を燃やした炎の熱を背中に感じて。
今は亡き姉ハンドブック:繊細な少年のための手引き:
“思春期あるある”をユーモアたっぷりに書いたおはなし。
黒歴史をお持ちの方ならとにかく悶絶してしまう作品です(笑)。
〈姉〉がなんらかの形で亡くなってしまった、という設定ですが。
個人的にはこれ、
「死亡」ではなく「〈姉〉というキャラの喪失」に見えました。
〈姉〉が性質上短命なことなどもそうしてみるとおもしろい。
お願いだから戻ってきて、置いていかないで、
と頼んでみても、姉はもうどこにもいない。
こういうフレーズなんかは、
「あの頃の姉ちゃんはどこに行った(絶望)」みたいにみえますね。
ツルの舞う家:
折りヅルを使った遺産相続ゲームに挑む男たちのおはなし。
これは対比の物語だなと思いました。
家族でありながら争いの絶えない4兄弟。
「遺産相続」という言葉の重みと「ゲーム」。
幸運のシンボルであるツルとそれによって予想される絶望。
ゲーム終了を急かす大人たちとずっと見守っていたい孫。
大人と子供。
男と女。
そして、現世と常世。
モータルコンバット:
冴えない非モテ男2人が、
ふとした瞬間に「友達」の境界線を越えてしまったら…。
内容が内容なので若干好みが分かれそうではある作品。
個人的には、
思春期の友情の危うさを切なく描いた繊細なおはなしだったなと。
特にウィルのほうの心理描写が上手く、
(BLは詳しくないですが)スッと頭に入ってきました。
守備範囲の方の感想もこれは是非聞いてみたい。
地球の中心までトンネルを掘る:
あるとき突然思いたって庭に穴を掘りまじめた若者たちのおはなし。
この本の根底にあるテーマというか雰囲気が一番如実だった作品。
若者たちを見つめる大人の目がとにかくあたたかく泣きたくなりました。
(※)
親としちゃ、育て方をまちがったんでなけりゃいいが、
と願うばかりだが、母さんもわたしも、
おまえにはとにかく幸せでいてほしいと思ってる。
だから、おまえが幸せでいるために
地面の下にもぐってなくちゃならないなら、それでいい。
それでかまわないと思ってるよ、母さんもわたしも。
地球という〈外の世界〉。
自分という〈内の世界〉。
医師の話では、
ぼくは自分の人生を始めるのを先延ばししていた、
ということになるらしい。
こういうときの(※)の息子を見守る父親の言葉には救われる。
弾丸マクシミリアン:
町でウワサの〈頭に弾丸を撃ちこんでも死なない男〉のおはなし。
オチは予想がつきやすいです。
むしろ外れていてほしいその予想が当たるから後味悪い。
何ごとにおいても、予想ってのは裏切られるものなんだから。
この言葉があるかぎり、
彼が最後に思い描いたあの“予想”も裏切られるというのか…!
女子合唱部の指揮者を愛人にした男の物語(もしくは歯の生えた赤ん坊の):
タイトルのまんまのおはなし。
視点や人の興味について考えさせられました。
たしかに男の話ではある。
同時に赤ん坊の話でもある。
そして〈きみ〉の話でもまたある。
誰かに焦点が当たっているとき、
他のすべてがもうただの添えものになって
見えているけど見えない存在になってしまう。
そういう、人間の世界で、私たちは生きています。
ゴー・ファイト・ウィン:
普通の女の子と変な男の子が心を通わせるおはなし。
お母さんがいいと思うことは、
わたしが好きなことじゃないの。
普通でいること、良く思われること、まわりに合わせること。
対人関係に必要だというそういうことは本当に良いことなのか。
それはもしかしてただの〈都合の良いこと〉なのではないか…。
あれやこれや博物館:
瓶のラベルやスプーンや〈ガラクタ〉ばかりの博物館のおはなし。
私も結構コレクター気質なのでこれには共感。
増えれば増えるほど愛着わくんですよね、ガラクタ。
このごくごくありふれたものが創り出した混沌状態こそが、
あるべき姿に見える。
〈日常〉というのもまた、
ガラクタであり、そして、コレクションでもあるのかも。
人にとってはどうでもいいようなエピソードを集めて、
集めて集めてゴチャゴチャになったものが“今日”で。
この1日が、ガラクタであり、自分だけのコレクション。
ワースト・ケース・シナリオ株式会社:
起こりうる〈最悪の事態〉を提示する会社の営業マンのおはなし。
真面目に仕事をすればするほど、
あるときは泣かれあるときは怒鳴られあるときは恨まれる…。
営業マンの若者はあまりの仕事に若ハゲになる始末(号泣)。
起こりうる〈最悪の事態〉を提示したあとは、
彼にはもう、ただ、ただ祈ることしかできないのです。
事態とは悪化の一途をたどるものである。
それを念頭に置くこと。
わかってる、だけど、それでも。
事実をただ無気力に受け入れるか。
希望的観測であれ愚直に信じるか。
あるいは、希望を信じながら受け入れていくか。
それしか私たちには選択肢がないから。
ラストにこんなおはなしを持ってくるというのは良い流れ。
全編にただよう“孤独”というテーマの解のようなこの感じ。
生きるのが下手というのは孤独に結びついていく。
承認欲求が高まる昨今それはとてもつらいことでしょう。
そういうとき、そっとこの本を読む。
本はいつでも誰のそばにもいてくれる。