『暗黒女子』(秋吉理香子 著)
2016年10月15日
高校に進学するとき、
絶対に女子高だけは行かない、と心に決めていました。
私なんか確実にいじめられる!と思っていたからです。
結局共学の高校に進学しましたが、
本が友達の学校生活をエンジョイしたので
女子高でも変わらなかったような気がする。
泣いてません。
ちなみに親友は女子高へ進学しました。
もちろん平穏に過ごしたようでしたが、
女子高選べるメンタルすごいなって今でも思います。
みなさんは女子高ってどんなイメージありますか?
私は、
どこもかしこもキャッキャしていて、
しかしグループとか派閥は当然アリ、
ギスギスしたイメージしかなくって。
女子高に通う女の子を見ると「おっ」と思いますけどね。
自分にはない女子力の塊に惹かれます。泣いてないです。
というわけで、
今回は女子高のおはなしです。
秋吉理香子氏『暗黒女子』読了です。
違和感と猜疑心の宴
聖母女子高等学校で、
一番美しく一番カリスマ性のある女生徒“白石いつみ”が死んだ。
自殺なのか他殺なのか、
いつみの手にはすずらんの花が…。
一週間後の放課後、
集められたのは、彼女を殺したと噂される6人。
彼女たちは朗読会を始める。
そのテーマは「白石いつみの死について」であった。
あらすじは双葉社の特設ページより引用しました(一部編集)。
http://www.futabasha.co.jp/introduction/2016/ankokujoshi/story.html
刊行当初から気になっていた作品。
文庫化するまで首を長くして待っていたのですが、
買ってすぐあと来年春に映画化が決定したようで。
時期的にはこのタイミングで読めてよかったです。
湊かなえ氏や真梨幸子氏に代表される、
後味の悪いミステリー小説「イヤミス」の類。
作品の舞台はミッション系の女子高ですが、
やはりこの手の小説は女性をとりまくおはなしが多いですね。
文学サークルの部員が1人ずつ
自作の小説を朗読していく形式なので、
文章にも個性があって飽きがなくテンポもいいです。
隠そうともしない疑惑の目。
節々から垣間見える違和感。
作者によって描きかたは異なる。
小説として当然のことがこんなにもどかしいとは。
誰も信じられない、
登場人物と読者の繋がりさえ許されないような
孤独で窮屈でギスギスした読み心地がいいです。
正直言うと、
真相はおおよそ見当がつきました。
それでもラストの畳みかけにはやはり鳥肌。
展開よりも文章の気味悪さにゾッとします(※褒めています)。
余談ですが、
映画のオフィシャルサイトを見てきました。
読んでいたときのイメージとはちょっと違うキャストですね。
小百合は絶対前髪があってパッツンだろ!と思っていたのに。
個人的に一番イメージと違うと思ったのはいつみ役の方でした。
映画のオフィシャルサイトはこちら:http://ankoku-movie.jp/
“小説であること”を利用する
さて、
帯にも「女子高イヤミスの大傑作!」とあるように
刊行当初からイヤミスとして話題だったそうですが、
私がおもしろいなと感心したのは構成の部分でして。
文学サークルという舞台。
部員たちによる朗読小説という設定。
2点の特色と可能性をフルで活かしきったな、と。
彼女たちにとって小説は優れたアイテムとなりました。
物語のフリをして作者は自由に心を訴えることができる。
都合のいいようにも描けるし都合が悪ければ排除できる。
武器であり、あるいは、隠れ蓑であり。
結果的には“小説であること”自体が意味をもつ。
読後そのことに気づいたときは「やられた!」と思いました。
こうして〈小説〉というキーワードから眺めてみると、
彼女たちが「白石いつみの死について」書きあげた小説は
彼女たちの人生の一部分を吐露するものでもあるわけで、
今彼女たちを閉じこめているこの文学サロンはさしづめ
それを収める本棚のようにも思えて、まるで、社会の縮図ですね。
終わっても終わらない
私はこの結末、
イヤというよりむしろ楽しみなんですよ。
彼女たちの最大の誤算は、
物語の登場人物たちもまた、生きている、ということ。
人生があって、感情があって、続いていくということ。
私も高校時代は文芸部にいましたが、
書く前後で登場人物がまったく別人になっていたことはザラです。
設定メモはちゃんとあったのに、まるで、生きているかのようで。
事実は小説よりも奇なりといいますが、
作者でさえ小説に裏切られるときもあるんですよ。
彼女たちが綴った小説は、さて、どうでしょうか。
真実を糾弾する聖なる武器となるか。
あるいは真実によって身を滅ぼす悪魔の武器か。
それを知るのは、
神の御許へ旅立ったすずらんの少女だけ、か。