※注意※
本記事では
森川智喜『ワスレロモノ 名探偵三途川理VS思い出泥棒』を独自に考察/解釈しています。
作品の結末等ネタバレになることは書いてありませんが
具体的なページ表記があるなど既読を前提に書かれておりますので
作品既読の方またはこれを承諾する未読の方が読むことを推奨します。
また、本記事に記載される考察はあくまで筆者個人の意見です。
上記に同意していただける方のみ続きをお読みください。
なぜ〈思い出〉は宝石になるのか
思い出が宝石になるという仕組み。
これは、「思い出」として保有する持ち主の
感情に起因しているのではないでしょうか。
本人にとって価値のあるもの=万国共通で価値のある宝石、という考えかたです。
上は感想記事からの引用ですが、
感想記事では最後まで考察しきれなかったので、
まずはこちらについて考察を形にしておきます。
人の記憶を宝石にする〈思い出の指輪〉について、
作中ではカギノや三途川によってさまざまな推理がなされますが
そもそも「なぜ宝石になるのか」については議論がなされていません。
私は、むしろこのシステムそのものにとても興味をそそられました。
宝石はその名に「宝」の字を冠することからもわかるとおり、
国や文化を問わず“価値があるもの”として認識されています。
記憶が宝石になるというシステムは、
記憶が等価交換によって宝石になったと考えれば
記憶=宝石、すなわち記憶は宝石ほどの価値をもつという意図が見えるわけです。
感想記事では
人の継続性に関する思考実験を例に
記憶が私たちにとって重要な意味をもつことを述べましたが、
今回は雪國さんの「ハロウィンの森の噂」というフリーゲームを例に考えてみましょう。
※参照:http://www.freem.ne.jp/win/game/11675
蛇足になるので詳細は割愛しますが、
主人公が訪れる不思議な町では“イヤな思い出”を売ることができます。
商品のラインナップからは、
住人たちもかつてここで“イヤな思い出”を
それぞれ売ってしまったことがうかがえます。
さてその“イヤな思い出”を売った住人たちですが、
彼らは魔女だったり悪魔だったり…人間ではありません。
ただ、
とあるキャラクターの背景からは
彼女が元人間で“イヤな思い出”を売り、
この町に永住するを決めてしまったことで
人ならざる者になったのではないか、と推測することができます。
「どんな思い出だってソレもキミの一部分」
と、これはあるキャラクターの言葉。
どんな瑣末な記憶でも“自分の記憶”だから価値がある。
色や形は違えどみんな宝石になる〈思い出の指輪〉に通じるものがありますね。
記憶が価値をもつという点もまた、
宝石の価値と同様に人間の共通の認識なのかもしれません。
宝石の色に意味はあったのか
「(略)だけど、ともすると、
同じ人から出てくる宝石はすべて同じ色になるのではないか?」(P298/L10~11より引用)
カギノも三途川も
「同じ人からは同じ色」という仮説を述べていましたが、
では人によって宝石の色が違うことはなにを意味しているのでしょう。
まずは作中に登場する人物と、
彼らから採れた宝石の色についてまとめてみます。
・須江澄時子→瑠璃色(青)
・鯨岡→鳶色(茶)
・外塚史郎→鬱金色(黄)
簡略化させるため、
各色を調べてそれぞれおおよその色を( )内に記しました。
次に各色のイメージを調べてみます。
色にはポジティブイメージとネガティブイメージがあるそうですが、
時子と鯨岡は悪人ではないので前者、外塚は後者で調べてあります。
青:信頼、誠実、開放感、知性
茶:温和、安定、伝統、堅実
黄:危険、緊張、不安、軽率
※以下のサイトを参考にしました。
「色カラー│色の組み合わせ・配色デザイン講座」
iro-color.com
時子は作中、
「毎朝欠かさず校舎の裏で一人稽古をすることで有名な生徒だった」
とあるので「誠実」のイメージを与える青の宝石が採れたことは納得ですね。
鯨岡についてはちょっと苦しいですが、
競馬で負けたとき頭に血がのぼって、
その足で、負けぶんを借りにいくこともあった。
しかし返せなくなるような額は借りていない。
いつもきちんと返している。(P63/L2~4より引用)
と語られているので一応「堅実」ではあるんじゃないでしょうか。
外塚は弱みを握ったら強請る!という
わかりやすい人なので「危険」「軽率」という
ネガティブイメージはぴったり当てはまりますね。
というわけで、
宝石の色はその人の内面イメージで決定される、といえそうです。
「記憶」と「思い出」
注目して読んでいたわけではないので
はっきり断言できるわけではないのですが、
カギノは依頼中は記憶のことを「〈思い出〉」と呼んでいます。
「そう、思い出泥棒だ。
どこの誰がつけてくれたのか知らないがね。
そういう名前で呼ばれることが多い。
最近じゃ、いまのように、おれ自身そう自称している――」(P132/L8~9より引用)
これは自発的なものではなく、
自身の通称「思い出泥棒」や〈思い出の指輪〉から
拝借して使っているのではないかと私は考えています。
特に〈思い出の指輪〉と〈思い出〉の2つが
共通して〈 〉で括られていることからもその可能性は高く、
一方で自身のそれについては「記憶」という表現を使っていました。
このことから、
カギノ自身は普段は人の記憶を「思い出」ではなく
単なる「記憶」として捉えているということが推測できます。
ところが〈思い出泥棒〉の名付け親、
すなわち第三者はそれを「記憶」ではなく「思い出」と呼びました。
これがカギノと他の人々との認識の違いで、
片方にはそれが単なる記憶(情報)であっても
もう片方にとっては大切な「思い出」かもしれない、
という認識の違いは彼だけでなくじつは誰にでもありうる可能性ですよね。
あるいは「宝石」という舞台装置は
魅了される人もいれば興味を示さない人もいるという
価値観の違いをわかりやすくあらわすためのアイテムなのかもしれません。
表紙のハチドリの謎
偶然の発見だったのですが、
感想記事のサムネ画像を検索する際に宝石の画像を探そう!と
「ルビー」と打ったらなぜかハチドリの画像が混ざっていまして。
そういえば
表紙にもハチドリが描かれているなと気になって調べてみたら、
ハチドリの中には「ルビーハチドリ」「トパーズハチドリ」という
宝石の名前を冠した種類が実際に存在するらしく、また、その美しさから
ハチドリそのものが「飛ぶ宝石」と呼ばれていることをはじめて知りました。
しかも、たくさん種類があるんですね、ハチドリ。
中には「カギハシハチドリ」「ユミハシハチドリ」という
カギノやユイミの名前を連想させるような種類もいました。
作者がハチドリから着想を得た可能性もあるのかもしれませんね。