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先日、岩手に旅行へ行ったのですが、持っていった小説を帰りの電車で読了してしまったので急遽書店に立ち寄り相沢沙呼『雨の降る日は学校に行かない』を補充。新幹線の中でサクサク読みました。

 

氏の小説は太もも小説改め『マツリカ・マジョルカ』以来3作目だけど、今作も変わらず不器用な少年少女たちのため懸命に言葉を捧げているような、作者の人柄と想いを感じる作品の雰囲気に胸が震えた。はるかぜちゃんこと春名風花さんの解説も言葉選びのセンスが抜群で大変おもしろかった。

 

 

 

毎回「男性」の文字に衝撃を受ける作家


 

昼下がりの保健室。そこは教室に居場所のないサエとナツのささやかな楽園だった。けれどサエが突然“自分のクラスに戻る”と言い出して──「ねぇ、卵の殻が付いている」“お父さん、お母さん、先立つ不孝をお許しください”。早朝の教室で、毎日手帳に書いていた架空の遺書。その手帳を偶然にも人気者の同級生が拾ってしまう――「死にたいノート」。揺れ動く6人の中学生の心を綴る6つのストーリー。

 

※あらすじは集英社特設(http://renzaburo.jp/amenofuruhi/index.html)サイトより引用しました。

苦しくも優しさが垣間見える物語のタッチはときに繊細すぎてリアリティにやや欠けると感じることもあるけれど、少女の微妙な感情を描くのが非常に巧みで、本当は女性なのではないかと毎回ウィキペディアを確認して「男性」の文字に衝撃を受ける。女心わかりすぎ。これが天才か。

 

結末はどれも一歩踏みだそうとするかしないかというところで終わっていて、だけどそれは中途半端なのではなく、たぶん読者自身がハッピーエンドもバッドエンドも想像できるようにしてあるのでしょう。これは6人の少女が「一筋の光を見つけるまでのお話」であり(※作者談)同時に読者が物語の中に自分やあの子を見つけ希望を見出すための小説だ。

 

以下、各短篇の感想をまとめました。

 

 

 

少女が 読者が ささやかな一歩を踏みだす物語


ねぇ、卵の殻が付いている

 

保健室登校のナツとサエ。
ここは居場所のない私たちの小さな楽園だった。
サエが突然「教室に戻る」なんて言いだすまでは――。

 

***

 

安全な場所を知ってしまうと、その心地よさと余所での手痛い経験からそこが永遠の楽園のような気がして。外を見ることも、考えることもやめて、閉じこもってしまう。わかる。だってこわいもんね。

 

だけど、外がこわいところだって誰が決めたんだろう。

 

「こわい」と思っているのは私で、だったら、
「こわくない」って世界を塗り替えられるのも私だけで。

 

壁をつくって閉じこもるのではなく、線を引くイメージ。外があること。ここに閉塞感を感じたときに出られる“外”があるということ。それだけは覚えていて。閉じこめられたと思っているその殻は、自分のくちばしで簡単に破れるから。

 

 

 

好きな人がいない教室

 

隣の席の岸田君はいつも絵を描いていてオタクだって笑われている。
「いっそ付き合っちゃったら?きっとお似合いだよ」
たまたま彼の隣の席ってだけで、どうしてこんな扱いを受けなきゃいけないの。

 

***

 

岸田君が男前すぎて。今どきSNSなんか見ていると「言い返さない」なんて大人でもできない人が多いというのに。

 

以前『イノセント・デイズ』の感想記事でも引用したけれど、誰かの期待に沿って生きることは自分でない〈誰か〉の人生になってしまう――とはアドラー心理学の考えかた。

 

誰にも笑われずに生きていくことはとても難しい。だけど自分らしく生きていくことは少なくとも前者よりは簡単だ。こちらになんのメリットもない他人のご機嫌なんてとらなくていい。そんなことをするくらいなら、リターンの大きい自分をもっと大切にしてあげたい。

 

 

 

死にたいノート

 

早朝の教室で架空の遺書をノートに書く。
これは誰にも見られてはいけない朝の儀式。
なのによりにもよって、自分とは真逆の人種、河田さんに拾われてしまった。

 

***

 

遺書ではないけれど、私も似たようなものを持っていました。死にたいノート。黒歴史だなんて恥じたことは一度もない。自分にとって大切なことだったと胸を張って言える。

 

口下手で人を罵る勇気もなかったから、行き場のない想いはいつもノートにひっそり綴られた。それは、ノート越しの自分との対話だったのだと思う。ひとりで抱えきれなくなったものを、ノートのむこうの自分という〈誰か〉と共有して心の安定を図っていたのだろう。

 

気が済んだら処分すればいいし、誰にも話せなくてつらい人は、むしろこういう手段があっていい。

 

 

 

プリーツ・カースト

 

スカートの短さは教室での地位をあらわす。
あたしのスカートは短いし、あの子は長い。
あたしたちは違う。違う種類の人間なんだ。

 

***

 

スクールカーストをテーマあるいはエッセンスに取り入れる青春小説では、カースト下位の弱者か器用にやりすごす中立的な視点を持つ者が主人公を担うのがだいたいの相場。そういう意味では、上位グループのエリを主人公にしたこのおはなしは少々異質だ。

 

だけど物語そのものは他の作品と調和がとれている。エリもまた彼女なりに閉塞感を感じ、ときには悩み、最後にはやはりささやかな一歩を踏みだそうとしている。

 

私たちはみんなおんなじだ。カーストだかなんだか知らないが、誰だってそんなものおかしいとどこかではわかっているし、それでも抜けだせなくて、嫌になるし、疲れるし、こわい。

 

あなただけじゃない。

 

だからどうか、学校という檻に囚われて悩んでしまう自分を、弱いとか、みじめだなんてふうに思わないでほしい。――くそ、涙出てきた。

 

 

 

放課後のピント合わせ

 

この世界でなら、女神になれる。
身体の写真をアップロードしてネットに居場所を見出すしおり。
撮影風景が先生見つかり、彼が手わたしてきたのは…一眼レフ?

 

***

 

柳先生は紳士だなぁ。

 

誰も見てくれない、と孤独に感じることもある。だけどそれってたぶん「誰も(私の都合のいいように)見てくれない」って意味だ。

 

都合のいいようにってなんだろう。
どういうふうに見られたいんだろう。

 

自分のことってどうしてこんなにわからないんだ。自分の内側にも目がついていればいいのに。スマホのカメラみたいに。

 

最近趣味にカメラが加わりました。あとで撮った写真を見返してみると、自分の目で見ていた景色とは違って写っていることがあって、自分の、人の目って、案外アテにならないものだなと思ったりします。

 

 

 

雨の降る日は学校に行かない

 

夏休みがはじまる前まで私たちは友達だったのに。
それともこれは私が「生きにくい人間」だから仕方のないことなの?
「ねぇ、卵の殻が付いている」にも登場したサエの物語。

 

***

 

このおはなしだけ旅行中には読みきれなくて平日の朝に電車内で読んだのですが、涙がとまらなくて。比較的人が少ない時間帯と路線で本当によかった。

 

私も「生きにくい人間」だと思っていたから、サエの想い、叫び、苦しくなるほどわかる。それで、サエのことを見ていて気づいたんです。あの頃、私はたった一言「ここにいていいんだよ」と言ってほしかったんだな、と。

 

そこにいたかったんだ。
生きていたかったんだ。

 

誰にも言ってもらえなかった、誰かに言ってほしかったその一言を。せめてこれからは誰かに言える人になりたい。

 

 

 

新学期からはこれまでと違った目線で


 

正直言うと、集英社文庫ナツイチ限定のよまにゃリバーシブルブックカバーが欲しくて買ったので、軽率な理由で出会ってしまったことを猛烈に反省しています。想像以上の良著だった。こんな形で出会ってしまって相沢先生ごめんなさい。あとよまにゃのブックカバーめちゃくちゃかわいい。

 

中高生のみなさんは今は夏休みでしょうか?この機会に本著を読んで、今一度、自分の学校のこと、クラスのこと、考えてみませんか。ページのどこかに自分やあの子が見つかれば、新学期からはこれまでとちょっと違った教室の風景が見えてくるかもしれませんよ。

 

 

2017年8月28日に加筆修正しました。

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。