鈴森丹子『さよならの神様』を読了。また新しい神様が登場するのかしらとチラと期待もしたのですが、タヌキとビーバーとエゾリスの3匹で通常営業でした。これまでの主人公たちの関係性が1つにまとまったのでタイトルよろしくシリーズに「さよなら」の影を感じて寂しくなるけれど、作品そのものは今ある縁と暮らしを大切にしつつ未来に希望の光を見るような元気になれるおはなしで相変わらずの良作。参道さんと森神さん(森の神様)の距離感好きだなぁ。
表紙のブルーに偽りなし!爽やかな〈故郷〉の物語
理不尽な上司からクビを宣告され、神尾祈里の心は折れていた。故郷を離れて数年、両親と新婚の兄夫婦が暮らす実家に自分の居場所は無く、両想いだと思っていた男にも連絡を絶たれ、慣れないこの地で相談できる人はいない。
……でも猫ならいた。帰り道で連れ帰った捨て猫四匹。その中に混じっていた狸が、人の言葉を喋ったかと思えば自分は神様だと言い出して……??
『おかえり。随分痛い目にあったようだな』
“なんでも話せる相手がいる”温かさをお届けいたします。
※あらすじはメディアワークス文庫HP(http://mwbunko.com/978-4-04-893222-6/)より引用しました。
大好きなシリーズの最新刊。ライトな文体ながら恋愛一辺倒ではないところが好印象で、シンプルな言葉で泣かせたりあたたかな気持ちにさせてくれる手腕が最高。シリーズ第1弾『おかえりの神様』から主人公同士ささやかな関係でつながっているものの、おはなしそのものに大きな影響は与えていないので本書から読んでもとりあえず問題ないでしょう。ただ「屋台の神様」はこれまでのシリーズを知っていると感慨深いシーンがあるのでぜひ。
今作は福禄先生や参道さんなど見ていてとても気持ちのいいキャラが登場。過去2作にはあまりなかった爽やかさが感じられ、ブルーを基調とした表紙(相変わらずかわいい)同様、夏にぴったりの読後感だった。以下、各編の感想です。
この町で、恋をして、暮らしていく。
同居の神様
派遣切りを喰らい、家族も友人も恋人もいない土地でひとり感傷的に川を眺めていた神尾祈里は、見知らぬ男性に自殺未遂と勘違いされ命を救われる(?)。おまけに帰りがけに拾った仔猫たちの中には自分を神と名乗る珍妙なタヌキが紛れこんでいた。散々だった誕生日の夜をきっかけに、醜態をさらしてしまったゆえ二度と会いたくなかった例の男性とは歯科医院で思わぬ再会を果たしてしまうし、それどころかことあるごとに出くわすようになってしまい…。
***
即答の福禄先生に笑ってしまった。見ていてなんとも気持ちのいい人だなぁ。
「福禄とやらはお嬢の消毒液でござるな」
思いの全てを吐き出した私に、それまで黙って聞いてくれていた神様が口を開いた。
「良薬ほど傷口にはしみるものだ。無理や偽りを押し付けて塗り固めても治るばかりか悪化する事もあるでござる」
(P62/L7~10より引用)
良薬口に苦し、とはなるほどよくいったものだ。
人づきあいも下手だし、自分自身なんの魅力もない人間だけれど、私の数少ない友人知人はみんな素敵な感性を持っていたり、気が利いて優しかったり、人間として尊敬できる人ばかり。一緒にいると自分はなんと醜いことかと恥ずかしくなることもあるけれど、彼女たちのまぶしさがこの傷口にじんわり染みこんで、私も少しずつ“消毒”されているのかな。
過去も未来もときに魅力的に見えるものだけれど、今ここにある縁をもっと大切にしたいなと思えるおはなしでした。
洗濯の神様
自宅の洗濯機が壊れ、新しい洗濯機のタイプを縦型かドラム式かで決めかねて近所のコインランドリーを利用しはじめた歯科医の福禄。そこには花魁言葉を話し、自分を神と名乗る珍妙なビーバーがいた。洗濯機をまわしているあいだ、気がつくと口からこぼれているのは自分が命を救った(?)神尾さんのこと、そして、故郷への想い。「ここを第二の故郷にしたい」そう話した彼女の言葉に僕は――。
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タイトルは「洗濯」と「選択」がかかっているのかしら。そういえばこのあいだ下北沢を歩いていたら、うしろにいた女の子たちが「コインランドリーってかわいいよね」と言っていました。…か、かわいい?異空間っぽくてなんとなく安心するような妙な気持ちにはなるけれども。
住めば都。「住む」という言葉は町に受け入れられるかという受動的な意味ではなく、自らが町を受け入れ自らが町に根付こうとする、きっと能動的な意味だ。出自や理由は関係ない。ここで暮らしていく、そう思えたらどこだってそこが帰るべき〈故郷〉になるのだろう。
お前は石橋を叩いても渡らない性格だよな。歯科大時代にそう言われてから僕は石橋と呼ばれるようになった。渡る気があるからこそ入念に叩いているんだと反論していたが、叩いてばかりいるのは渡らないでいるのと変わらない事も分かっていた。
(P115/L9~11より引用)
叩いてばかりいるのは渡らないでいるのと変わらない。読んでいてはっとなる言葉じゃないですか。「石橋」に甘んじていた福禄先生が「僕は福禄だよ」と返す場面にはジーンとしました。あと福禄先生に「石橋」ってあだ名をつけた人のセンス羨ましい。
絵画の神様
中学生のような歯がゆい純愛を実らせた上司を見て「私も本気の恋がしたい」と思うようになった参道レイラ。なんとなく好きでいた彼氏に別れを告げて、心機一転通いはじめた絵画教室。休憩にちょうどいい廊下の奥にある寂れた自販機コーナーで出会ったのは、自分を神と名乗る珍妙なエゾリス、もとい、同じ教室に通う森神さんだった。リスなのか人間なのかわからない森神さんに心を開きつつある一方、絵にしたくて持ち歩いていた大切な写真を紛失した際に拾ってくれたミヤダイこと宮島大吉との出会いに恋の予感を感じていて――。
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森神さんこと森の神様のおはなしはいつも主人公との距離感がさっぱりしていて好き。女同士の友情の理想を見ているようでグッときます。
参道さんとミヤダイのエピソードはやや出来すぎていて恋愛物語としては個人的にイマイチな印象だったけれど、参道さんは嫌味なようでなんだかんだしっかりしているしコツコツと筋を通す人だからつい応援したくなってしまう。悔しい。
「何やってたのかな。私は」
「何やってたのかって? そんなの決まってるだろう。あんたは本気の恋をしてたんだよ」
なんてP195のやりとりはシンプルだけどそのとおりで、心強くて、あたたかい。
恋にかぎらず、意味なんてあとからどんなようにもつけられる。結果そのものはじつはそれほど重要なことじゃない。だからどんな意味も持たせられる感性を、そう、テディベアを見てクマのラテアートがされたコーヒーを描いちゃうような森神さんみたいな自由で豊かな感性を、これからもっともっと、身につけていきたい。
私も絵とか描いてみようかなぁ。
屋台の神様
東京でも名古屋でも恋に破れてきたミヤダイこと宮島大吉。神様に見放されていた彼にもいよいよ恋のチャンスが訪れた。よりによって、こんなときに…。考えごとをしながら歩いていたら、ふと見つけた1軒のラーメン屋台。そこには自分を神を名乗る珍妙な格好の男女が3人いた。「どうしてこんな時に限ってモテるんだろうな」彼らに促され、ミヤダイは仕事に恋に揺れる心の内を語りはじめる。
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第1部これにて完結、という感じ。
過去作はこのおはなしのためにあったんじゃないかと思うほど屋台でのミヤダイと神様たちの会話がきれいにまとまっていたね。神様3人がかりとは贅沢な身分だけど、まぁミヤダイの失恋のきっかけを作ったのはポコ侍とエゾリスのせいでもあるから当然だな(※詳しくは過去作をどうぞ)。
じつはミヤダイの存在はずっと心残りだったから、ようやくクローズアップされて個人的にすっきりしました。参道さんの漢気あふれる本気っぷりが見ていて気持ちいい。素敵だった。私もあんな本気をなにかで出してみたいものです。
神様たちの話から垣間見えたかつての主人公たちも今は幸せに暮らしているようで『おかえりの神様』から読んでいる身としてはうれしい。今でも私のナンバーワンは天野君だけど由利佳と信也の後日談も本当によかった…ほっ。
再会の神様
あえてあらすじは書きません。どんなおはなしかはぜひご自身の目で。ファンディスク的作品なので特に『ただいまの神様』を既読であること推奨。
風越洞×壱村仁『けんえん。』という漫画を読んでいて、これは人間によって“妖怪”にされてしまった悲しい猿神の一族のおはなしなんですけど、人が願うから、祈るから、神様が存在するんだなってこの漫画をきっかけに思うようになって。
出会いも別れもない。「会いたい」という気持ちがあればきっと会える。大切なのは信じる心――それは、人間も神様もきっと同じ。
さよならなんて言わない
タイトルといい、ミヤダイの件も決着がついたことといい、なんだかこのシリーズ…終わってしまいそうな予感がする。
する、けれど。
「……また、会える?」
(「再会の神様」P285/L12より引用)
大好きな作品。大切なことをたくさん教わりました。きっと、これからまた何度だって読み返す。私とこのとびきり素敵な神様たちとの縁は、まだまだ切れることはない。
だから神様。
私たち、また会えますよね?
本文中に取りあげた漫画『けんえん。』はこちら:
2017年8月9日に加筆修正しました。