本が好き!に書評を投稿するようになって3,4ヶ月ほど経つけれど、あちらではいつもギリギリまで作品のあらすじを紹介するのを忘れてしまう。このあいだ『さよならの神様』の書評を投稿したときなんていよいよ本当に忘れた。だけど、あらすじってそんなに大事なもの?
先日、ブログをリニューアルするにあたってデザイン等の構想を練るため「読書ブログ」で検索トップにくる大手読書サイト様を何件か拝見させていただいた。おお、これ読んだことあるある!なんて選書には親近感を抱きながら、でも、どこかで違うなと感じていて。読んでいるうちに、ああ、紹介なのだな、って。
物語の流れをネタバレにならない範囲で丁寧に説明する。なるほどこれはたしかに参考になる。だけど“書き手”が見えない紹介文からは、どこがどうしておもしろかったのか、魅力的な文章があったのか、好きなキャラクターはいたのか、読後どんなことが心に残ったのか…そうした行間がまったく見えてこない。
感想は人それぞれだからと一蹴されたらそれまでだけど、それをいうなら、ストーリーラインなんて正直読めばわかることだし、情報誌や公式サイトなどいくらでも調べようがあるし、下地に物語という筋書きがもう存在しているのだからあとは誰が書いたって着地点は同じだ。“情報”だけでおもしろそうな本を探すというなら、私だったらダ・ヴィンチを読むか各出版社のtwitterアカウントをフォローして貼りつくか書店に直行する。
読書ブログというのは感性を売るところだと思う。
行間を読んで、あることないことぐるぐる考察して「ここがね!もう!最高におもしろかった!」と勝手に盛りあがって自己満足するところでいい。選書のラインナップや文章から波長が合うなと感じれば、読者は画面のむこうにたしかにいる“書き手”を信じて、あとはおのずと手に取るものだ。私はそうやって釣りもしないのに釣りよかでしょうの動画を観はじめたし、歌詞を重要視したいのにヤバイTシャツ屋さんを聴くようになった。
むしろなにをどう読んだらこんな感想になるんだ?と手に取らせることこそ冥利につきるというもの。私は小説家ではなくただの〈読者〉だから。物語で評価されるべきは創造主たる作者であるべきだし、読者はならばこの感性で評価されたい。
ブログを解析してみると、去年書いた読書感想文特集がまた急に読まれだしていて、ああ、今年もそんな季節なんだなと夏の到来を実感する。あの記事の末尾にも書いたことをもう一度言うけれど、読書感想文は読書”紹介”文じゃない。読書感想文とは本を介した自分語りであってほしい。読めばわかるストーリーではなく、読んだって想像もつかないような誰かの心が聞きたい。
どこにも載っていない、売るためでもない、勧めたり押しつけるでもない。
あなたの感性を読ませてよ。