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牧野修『サヨナラ、おかえり。』を読了。先日小豆島へ旅行に行った際、道中で読むのにと行きに購入した小説のうちの1冊でまさにお盆の時期にぴったりなあたたかいゴーストストーリーでした。初読の作家だったので調べてみたら『月世界小説』の作者だそうで。あれちょっと気になってるんだよなぁ。まったく関係ない話だけど『月世界小説』の表紙を思いだそうとすると水森サトリ『でかい月だな』を思いだしてしまう。ハードカバーのほう。最近文庫版の表紙見かけて変貌ぶりにびっくりしました。

 

 

 

ギャグからしっとりまで

高校二年の春、ぼくに親友ができた。馬鹿話に笑い転げ、いつも一緒に過ごした最高の夏休み。あの出来事さえなければ……。少年たちの揺れる心を濃やかに描く「夏休みを終わらせない方法」。豪雨で川が氾濫した日、行方不明になった孫娘。諦めきれず探し続ける老人と謎めいた少女の出会いを綴る「草葉の陰」。せつなくもあたたかい、優しい幽霊たちの物語六編を収録。

※あらすじは光文社HPより引用しました。
http://www.kobunsha.com/special/bunko/serial/books/makino-osamu/

私はこれ宿泊先のお風呂やフェリーの中で読みましたが、そうやってゆるゆる読むのにちょうどいいやわらかな文体でさっくりした読み心地。全体としては優しいゴーストストーリーでまとまっているけど細かく見るとギャグ系もあればノスタルジーを感じるような切ないのもあって、一口に「ゴーストストーリー」といえどラインナップもバラエティ豊か。個人的には巻頭の「チチとクズの国」とか「夏休みを終わらせない方法」が好きです。父と息子とか男の友情とかそういうものにトンと弱い。

 

以下、各編の詳しい感想です。

 

 

 

今際の別れは今生の別れ

チチとクズの国

「もう無理だぁ」
「何が無理だ」借金を苦に妻と子供を遺して生家で自殺を図ろうとする真面目な息子とそこにあらわれた下品で甘党な死んだはずの父親。「甘いものがさあ、欲しくってさあ」疎遠だった親子がようやく見つけた共通の話題。可笑しな、お菓子な、和菓子な話。

親子の関係が自分(息子)と知人(父親)に似ていて親近感を抱きながら読む。ちょっと真面目すぎる息子と楽観的で軽いノリの父親は一見相反するように描かれているけれど、なんだかんだでとてもバランスのとれた素敵な親子だなと。

 

自分と違った価値観を持つ人って、話が通じなくてイライラすることもままあるけど、自分ひとりでは絶対に到達できないような世界を見せてくれるのでこういう人がそばにいるというのはとても貴重で恵まれたことなのだなとしみじみ。

 

あの世を甘味に喩えるのはユーモラスで死生観を大きく変える衝撃的なおはなしでした。

 

 

 

夏休みを終わらせない方法

斜に構えたひねくれ男子と単純で感情的なあほかわ男子。道が交わることなんてないだろうと思われた2人はいつしか馬鹿話に笑い転げ居心地のいい親友になった。夏休み最後の日、あの夜までは――。青春の痛々しさ、瑞々しさ、ほろ苦さの果てに最後は思いもよらぬ友情の形。

学生時代の自分を見ているようで終始悶絶。アイタタタ。

 

あれだけまぶしい青春を見せられたあと、もしかしてバットエンド…?とヒヤリとさせられ、最後に望んだノリが帰ってくる緩急のつけかたが最高だった。

 

ギャグっぽく作ってあるのだけど、あほかわ男子こと慶太の心持ちを想像すると、2人が収まった関係はちょっと切なくもありここにノルタルジーとロマンを感じます。尊い。ショートアニメとか読みきり漫画とかになっても素敵だろうなぁ。

 

 

 

草葉の陰

なぜ死んだことにしてしまうのだ。

 

豪雨で川が氾濫した日に行方不明になったかわいい孫娘。彼女が生きていることを信じて捜索することが日課になった老人。終わりのない後悔と捜索は「帰れない」と怯える1人の少女・ミリとの出会いによって進展を見せるのだが――。

どこで耳にした話だったか忘れてしまったけれど、お葬式とか諸々は、遺された者の“けじめ”のためにあるものなんだよなぁと。

 

死者を想い続けること。
死者への想いを手放すこと。

 

旅立った者と遺された者の想いは、悲しいかな、ときにすれ違ってしまう。

 

あんまり長く帰れないとね、根っこになっちゃうの。

(P105/L15~16より抜粋)

 

これは、私たち生ける者を突きはなす物語なのだろうか。…違う。死者には死者の世界があり、道がある、それは私たちだって同じことだ。特別なことじゃない。悲しいことじゃない。本書のタイトルを今一度ふりかえる。「サヨナラ」のあとの「おかえり」が優しい光を放ったような気がした。

 

 

 

プリンとペットショップボーイ

動物の霊が見える青年・佃命(つくだ みこと)は、当然、他界した愛猫・プリンの霊も見える。“猫の霊”との奇妙な同居生活の最中、幼馴染の楠田比奈子から姪がいなくなったという相談を受け、聡明な猫とその言葉を理解する青年は事件の調査に乗りだした。

先述した旅行には本書ともう1冊持っていったのですが、なんと偶然にもこの作品、そのもう1冊『黒猫シャーロック ~緋色の肉球~』に設定や雰囲気が似ていて運命を感じました。とまぁ、それについては次回そちらの記事で改めて触れるとして。

 

連作短編集で読みたかったなというのが率直な感想。短編で済ませるには惜しい設定だし、おはなし自体もどことなく“最終回”のような雰囲気だったし、…最初はそういう物足りなさを感じたまま読んでいたのに最後の最後でグッとくる。憎い作品。

 

プリンが最後に髪を洗ってくれたのは、私、猫社会の毛づくろいの意図の他に死角に入るためでもあったんじゃないかと考えています。ああいう状態なら、涙は泡やシャワーに紛れるし、泣き顔も見えないもの。――ねぇ、プリン。本当はそういうことだったんじゃないの?

 

 

 

オバケ親方

想いをよせる女性にまったく相手にされず、しかしあきらめられずに想いを告げようと尾行すれば彼氏持ち。見ていられなくて逃げだした結果、車にはねられ、死んだぼく。おまけに幽霊の特権を活かして調べてみれば、あの男には別の女がいる――。

 

「幽霊ってのは生きてる人に意思を伝えることができないんですか」
「できるよ」

 

彼女に真相を伝えるべく、ぼくと“親方”のオバケ修行がはじまった――!

解説にて作者の牧野氏は年配の作家と知り衝撃を受けたものですが、この作品をふりかえってみると、なるほどこの世代のユーモアを感じる作風だなと妙に納得。

 

オバケがこわいのにもこんな理由があるのかと思うと、毎年恒例行事のようにメディアで取り沙汰される心霊現象もちょっと見る目が変わるかも。幽霊というよりはオバケ屋敷の裏側を見ているような作品。まぁ、だからといって心霊特集番組やオバケ屋敷がこわくなくなるわけではないんですけどね。

 

牧野氏が手がけた『こどもつかい』のノベライズ?読まんぞ!絶対に読まないからな!!

 

 

 

タカコさんのこと

祖母の葬儀で久しぶりに再会したタカコさん。二度と会うことはないと思っていた。なぜならタカコさんは11年前に亡くなっていたるから。

 

母親から憎まれていたタカコさん。
両親から蔑んだり憎まれたりするわたし。

 

生前語られることのなかったタカコさんのこと。彼女の真相と想いを聞いて、わたしは――。

「後悔なく生きるか、これぐらいまで長生きするか、いずれにしても生きろってこと」

(P273/L10より引用)

 

タカコさんの言葉にはいたく感激。P272~273のくだりはもちろん、タカコさんの物事の考えかた、私はとても好きだ。

 

私たちはどうして絶対の保証なんてない過去や未来を考えてウジウジして今を粗末にするのだろう。今ここにたしかにある現在のほうがよっぽど尊いというのに。過去の価値も未来の確約も「今を生きていること」が大前提であるはずなのに。

 

 

 

今年も盆が終わり夏が終わる

あなたは幽霊の存在を信じますか?

 

私は、悪霊とか怨念とかそういうものは怖いなと思いつつ、幽霊を含め、そうした科学や人智を超えた存在がいてもまぁ不思議ではないかなと考えています。

 

以前、川越に観光に行ったとき、氷川神社の看板に非常に感銘を受けました。

 

あわただしい日々を過ごしていても
家庭の中に、そっと手を合わせる場所があれば
心に少しのゆとりが生まれます。

(中略)

目に見えない力を信じる心の余裕は、日々の暮らしを
よりすがすがしく、安定したものに変えてくれるはずです。

 

信じることが正しいとか愚かだとかそういうことではなくて、信じること、手を合わせることそのものをこういうふうに考えるって素敵ではありませんか。そしてこの考えかたは幽霊という存在の受け入れかたにも通じると思うんです。

 

今年も盆が終わり、じき、夏が終わる。
来年の「おかえり」まで、またね。――と今夜はそっと仏壇に手を合わせて。

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。