倉知淳『ほうかご探偵隊』を読了。ブログ運営の参考にしている某読書ブログで紹介されていて、気になったので手にとりました。「ほうかご」をあえて平仮名にしたタイトルや、小学校が舞台であること、小学生が主人公であることから西澤保彦『いつか、ふたりは二匹』のような子供向けのジュブナイル的な作品なのかなと思っていたら容赦なかった。大人も舌を巻く圧巻の真相。『日曜の夜は出たくない』はピンとこなかったから…と期待せずに読んですみませんでした。良作でした。ちょっと例の不細工な招き猫型の募金箱に「最高じゃねえか」って金つっこんでくる!
10歳からの本格ミステリー
ある朝いつものように登校すると、僕の机の上には分解されたたて笛が。しかも、一部品だけ持ち去られている。――いま五年三組で連続して起きている消失事件。不可解なことに“なくなっても誰も困らないもの”ばかりが狙われているのだ。四番目の被害者(?)となった僕は、真相を探るべく龍之介くんと二人で調査を始める。小学校を舞台に、謎解きの愉しさに満ちた正統派本格推理。
※あらすじは東京創元社HP(http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488421090)より引用しました。 |
小学生・小学校を主題にしているので、子供の発想で進む推理はもどかしさと子供がこんな難しい単語使うか!と
ツッコミたくなるこの手の“あるある”とのせめぎあい。ミステリーのパターンを1つずつ当てはめて検証する丁寧な消去法がもどかしさの一要因ではあるけれど、むしろこれほど手段を網羅しながら真相へそう簡単にはたどりつけないように謎をつくってあるというところに作者の力量を感じる…一見子供向けに見えてその実ミステリー技法の教科書みたいなんだもの。
しかし「小学生」というキャラクターと「小学校」という世界観がきっちりリアルにつくってあって、これが違和感をフォロー。P132の萌子ちゃん(小1)による長台詞は必見。本当に女児が目の前で語りかけてきているような心地だった。龍之介くんのイメージはコナンくんでいいと思います。個人的には神宮寺くん推し。龍之介に笑われるところめちゃくちゃ おもしろかった 愛おしかったです。日頃のストレスが一瞬すっとんで和んだ。最近おつかれの人どうですか。読みませんか。
会話文に普通は使わない「三浦(ヤス)」のような表記をあえて会話文にさえ使うことで子供心をつかんでいるのもかわいらしくて好印象。私も名簿やプリントで「名字( )」を使われたクチです。なつかしいなぁ。
ミステリーに必要なもの、たったこれだけ。
普段ミステリー小説は定番の創元推理文庫を漁るんですけど、最近、他のレーベルでもミステリー小説って多いような気がする。日常系が多いのはアニメ「氷菓」がヒットしたあたりの影響なのかな(古典部シリーズは現在『二人の距離の概算』まで読んでいます)。一方で漫画や映画のラインナップを見ると、やたら人が死ぬミステリー仕立てのサイコ、サスペンス系の作品も多い。これは純粋に画面映えしてインパクトのある演出を狙った結果かもしれないけれど。
日常系もサスペンス系も読むことには読みますが、ミステリー小説ってなにがおもしろいんだろうって考えたとき、本書をふりかえって、ああ、“ワクワク感”かもしれない、と思いました。
人が「死なないこと」でも「死ぬこと」でもない。複雑なトリックや大どんでん返し!というような謎の質そのものでもない。本書で展開する事件は、ただクラスでいらないものがなくなる、という地味で何気ない事件です。人は死なない。ハラハラドキドキの推理合戦も、サイコな犯人も、ド派手な大どんでん返しもない。漫画化も映画化もおそらくしない。なのにこんなにもワクワクする。たったこれだけでミステリーって成立するんだ、と驚きました。ミステリーって本当はすごくシンプルじゃないか、と。
あの頃のワクワクに帰ろう
で、肝心の真相はというと…まんまと騙されました。いやぁ、解決編の「か」の字ぐらいしかわかっていなかった。
事件の規模としてはそれほど大きくないものだけど、真相の構造は壮大で、子供の頃に読んでいたらもっともっとワクワクがとまらなかったんだろうなと思うと悔しい。高時くん(主人公)と同じ歳の頃は本なんかちっとも読まなかった。あの頃に本書が読めたなら、読書に目覚める、最高のきっかけになったに違いない。――なんて、晩夏の暮れは否応なくノスタルジックな気持ちにさせられる。
8月も残すところあとわずか。夏の終わり、網戸にして、扇風機をまわして、それでも暑いと汗をかきながら、駄菓子やアイスをかじったりして。ときどきふっと風がふいて、本書をめくる。子供たちの嬌声。花火のにおい。そのむこうで、あの頃のワクワクが変わらずそこに立っている。