ブログの文体について
2017年9月1日
最近、本が好き!に投稿している書評がちょっとずつ「読んで楽しい」に投票されだして動揺してる。な、なんだよ、今までこのアカウント無難に「参考になる」しか投票されないマンだったのに…!
薄々察してるかもしれないけど、そのとおり、当ブログは文体が絶賛迷走中です。主に今年7月あたりに投稿された記事が顕著。絶対に見に行くなよ?絶対だぞ!
なんというか、淡々と“鋭い視点”というか小難しいこと、高尚なことを言おうとしている魂胆が見え見えで絶対○○とか△△△△(※好きなライター)の影響です本当にありがとうございました。好き!と思った文体や世界観をすぐ自分のそれに取りいれちゃう癖、中学生の頃から全然なおってないじゃん、人のふんどし大好きか。
しかし、実際のところ“ブログの文体”を考えるのって結構難しい。
今のブログをはじめてからたぶん3年ほど経つけれど、未だにベストな文体を図りかねている。開設当初から長いあいだずっと「です・ます」を使っていたものの、これは個人的にやや稚拙な印象を与えがちで、まわりくどくなるし、勢いと説得力にも欠ける。かといって「だ・である」を試すと表現がワンパターンで硬くなるし、無意識に高尚なことを言おうと例の迷走状態に陥ってしまう。
結局googleを頼って各サイトを見てみると混ぜて使うのがいいとみんな言っているんだけど、実際にやろうとすると、さてこの配合比率がまったくわからない。そもそも学校では文体は統一するようにと習うからなぁ。考えれば考えるほどわからなくなってくる。ブログってなんだよ(哲学)
それで、1ヶ月ぐらい迷走した末、結局「思うままに」というのが私の結論。
小説というのは、基本的に読者を楽しませるための物語。以前、感性を読ませろという雑記を書いたけれど、おもしろいと感じたものをわざわざ小難しく説明して誰がおもしろそうなんて思うだろう。顔の見えない無機質な文字だらけの記事だからこそ、素直な表現がものをいうんじゃないだろうか。
統一感よりもまず伝えたいことを重視。
ふざけるときはふざけるし、真面目な考察も垂れる。
勢いあまって敬語が出てしまったらそのまま敬語を使う。
そもそもブログって読ませることではなく書くことが本質だしね。私だって最初はこれ自分にむけた〈読書記録〉としてはじめたはず。いつから閲覧数とか直帰率とか人気記事とか…人目を気にするようになってしまったんだろう。
知人もかつてアドバイスしてくれたけど、自分が続けやすいスタイルでコンスタントに投稿、長く残していくことが、結果的に人目に触れることにもつながる。そうやって「思うままに」書いた結果が8月以降の投稿内容であり、冒頭の本が好き!での一件につながっているのかな、と。
そうか、読みやすさって一概に文法だけをいうものじゃないんだ。