あれたんていが ないている -『一つ屋根の下の探偵たち』感想
2017年10月31日
森川智喜『一つ屋根の下の探偵たち』を読了。当ブログでは“名探偵三途川理”シリーズでおなじみ森川氏による1冊。青崎有吾『ノッキンオン・ロックドドア』を彷彿とさせる探偵2人のシチュエーションだけど、あちらがあくまでトリック重視のスタイリッシュなミステリーだとすると、こちらはキャラクターに視点を寄せた人間味があってややクセのあるミステリー。同じコーヒーだけど豆が違うみたいな。私は紅茶が好き。
真実に愛されるのは努力か才能か
「私は夢の中で推理をしていようと思う」
“なまけものの探偵”と“働きものの探偵”、二人の探偵とハウスシェアを始めた新人エッセイストの浅間修は、苦しい経済状況を打破するために、同居人の探偵捜査についてルポルタージュを書くことに。そんなとき、雑誌に「アリとキリギリス事件」の記事を発見。奇妙な密室で男が餓死し、その床にはアリの巣のような穴があいていたという。対象の事件は決まった。しかしルポに採用されるのは、一人だけ。勝負を面倒がる探偵・天火隷介を、真面目な探偵・町井唯人が説得し、二人は対決することに。果たして真相に到達するのは探偵(アリ)か探偵(キリギリス)か、それとも?
※あらすじは講談社BOOK倶楽部より引用・編集しました。 |
氏を知ってからというもの常々読みたかった作品なのですが、これがなかなか文庫化されなくて。ハードカバーもどこも置いていないし。首を長くして待っていたところ最近になってついに文庫化!念願叶ってようやく読むことができました。
ただまぁ、勧めるにはかなり人を選ぶ作品。率直にいうと犯人やトリックを暴くことよりも浅間、町井、天火のスタンスや思考回路などキャラクター性に目をむけたほうが素直に楽しめます。前者を期待して読んでしまうとおそらく真相を知ったとき最悪本書をぶん投げてしまう事態になりかねない。森晶麿『偽恋愛小説家』のような、あそこまで専門的に深掘りはしないんだけど、ああいう作品解釈を森氏とは違ったアプローチでやっている、と考えよう。
あと個人的に引っかかったのが文体。主人公がエッセイストというだけあって文体は硬めなのですが、例のシリーズに慣れているせいか浅間のカッチリした文体になかなか馴染めず、読むのにちょっと苦労しました。文章のわりにヘタレなのがかわいいんだけどね浅間。でもフランス料理は奢ってあーげないっ。
長所と才能は別物である
町井と天火は対称的なキャラクターで、物語では町井の緻密で膨大な情報量はアリ、天火の類稀なる観察眼と発想力はキリギリスにたとえられ、イソップ童話「アリとキリギリス」が事件および彼らの推理対決にとって重要なテーマになります。
現場百遍といわんばかり健気に現場を訪れデータを蓄積して論理的に捜査していく町井。その場にいながらにして恵まれた才能で次々と仮説を導きだしてみせる天火。どちらが浅間ひいては読者に〈探偵〉として魅力的に見えるかは火を見るよりも明らか。だけど、探偵に求められるものとは、真実に愛されるものとは、はたして本当に天から与えられた才能なんだろうか。
長所と才能は、似ているようでじつはちょっと違う。
長所というのはその人物の他より優れた力のことだけれど、これを適した場面で最大限に活かせること、これが才能なのだと思う。天火でいえば、彼の並外れた観察眼と発想力という長所を〈クラシック音楽〉あるいはここぞというときの〈栄養ドリンク〉を起爆剤にして、ペースを乱されることなくフルに活用できるスイッチングこそが彼の才能にあたるわけで。
この差異にはたして町井は気づけるか――それは、本書を読んでのお楽しみ。
あれたんていが ないている
かの三途川理やそのシリーズほど奇抜なキャラクターや事件、トリックは出てこないけれど、町井や天火も充分にクセのある魅力的なキャラクターだし、彼らの“アリ性”と“キリギリス性”の考察が興味深かったのでこれはこれで私は好きです。トリックに驚かされたことも、まぁ、たしかだしね。伏線の回収ポイントがまさかあそこだったとは…!
ミステリーにはもちろん驚きのトリックが必要不可欠ですが、それを暴く探偵の存在もまた大事なエッセンス。性格、肩書き、推理手順やそのスタイル、真相を語るときの情景――。あなたはどんな探偵に心踊らされますか?
「論理的」「情報」「努力」の探偵と「感覚的」「発想」「才能」の探偵。アリとキリギリス。対称的な2匹の虫が奏でるハーモニー。秋の夜長にいかがでしょうか。