中島たい子『おふるなボクたち』を読了。以前お茶漬けの話を書いたときに書店を1時間うろうろして棚差しから発掘してきたうちの1冊がこちら。言ってなかったけどもう2冊は『BAR追分』と記事にはならなかった『NNNからの使者 猫だけが知っている』でした。あの雑記書いたの11月ですって。「積ん読消化するのおっそ!」とか思った?私は思った。積ん読消化するのおっそ!
ここはまるで怪獣酒場
「古いもの」が好きなケンは、古代遺物の『レコード』が奏でる魅惑的な調べに聴き入る毎日を送っていた。そんな彼が恋をしたのはジャケット写真の中で微笑む女性。「彼女に会いたいんだ」大それた願いは思いがけぬ出来事を招き……。(「ボクはニセモノ」)中古品やおさがり、古いものに宿る思いが巻き起こす物語を、ユーモアとシニカルで包み込んだすこし不思議な短編集。
※あらすじは光文社より引用しました。 |
初読の作家で前情報もまったくないまま読んだけどこれが結構な当たり!おもしろかった。“中古品”をテーマにしながら物語の随所に近未来的なワードが散りばめられていて、なんていったらいいの…たとえるなら怪獣酒場?『異世界居酒屋「のぶ」』?とにかくこの異空間な雰囲気はたまらなく居心地がいい。最初の2編は口当たりマイルドなスピリチュアル的ほっこりしんみりな作品で間口を広くしているところも好印象。個人的には「踊るスタジアム」だけあまり好みではなかったけれど、2020年には東京オリンピックもひかえているし、今の時期だからこそ味わえる親近感があって悪くなかった。
過去に価値はあるか
家を盗んだ男
橋田和之はスーツを仕事着にしていることから仲間からは「会社員」と呼ばれる逮捕歴ゼロの凄腕の大泥棒。食うためではなく、そこに盗むものがあるから泥棒を続けていた彼だったが、あるときカフェで高校時代の同級生に声をかけられ、次第に自分が盗んできたものの大切さを思い知らされ――。 |
テンポよく進むし、しかも展開にメリハリのある浮き沈みがあってとにかく目が離せない。和之の人生たぶん折れ線グラフであらわしたらバランぐらいジグザグしてる。泥棒は「家まで盗んでしまう」という着眼点もいいし、身体を“家”と捉えて後半は前世や輪廻の話に持っていくのもおもしろい発想でした。
家の雰囲気が住む人々の暮らしかたで異なるように、チャンスの活かしかたもまた、当事者によってさまざま。想像していた着地点とは違ったところに落ちついてしまったのは、当然といえば当然なのだけれど、悲しいような寂しいような…ほろ苦い読後感が広がる。
誕生日を目前に読んだのだけど、今後の生きかたを考えるといい機会になったかな。最近「家にはそれぞれの個性があってそこからその家庭のドラマを想像するのが楽しい」という話を聞いたばかりだったのでいっそう染みるおはなしだった。私は人にどんなドラマを見せているんだろう。誰かの琴線に触れるような文章を書けているだろうか。立派に生きたいなぁ。
ディーラー・イン・ザ・トワイライト
空がすみれ色に変わるころ、中古車販売の優秀な営業マン・市川は、店の外に黒のエスロードから一歩も動かない一組の男女を見とめる。恋愛映画から出てきたような美男美女のカップルにぜひこの車を買ってもらいたいと思った市川は積極的に商談を進めるが、見積もりを作成して戻ってみると2人は忽然と消えていて――。 |
前の話がほろ苦だったのでずっとこんな感じかなと思ったらあたたかいテイストで安心。
私は日本特有の〈付喪神〉という考えかたが好きで、身近に物持ちのいい人がいるので、自分も今持っているものをこれからも長く使って大事にしようと思いました。
本編の内容とは異なりますが、不思議なことに、私は心底「読みたい!」と思う本には、たとえそのときは見送ったとしてもいつかまたなにかのタイミングで必ず巡りあいます。その場の勢いだったかもしれない、という本とはそういう再会がないので、こういうときは信頼して買うことができるし、やっぱり、再会できた本は総じておもしろくて。これも縁のようなものなのかなぁ。
それが進化
妻から“粗大ゴミ”の処分を頼まれた広志。物置の中にあったのは、父が遺したと思われるゴルフバッグほどの物体だった。かけられたビニールを解いてみると、あらわれたのは二足歩行型ロボット〈ボクモ〉。今の時代、ただ歩くだけのロボットは役に立たないと広志は渋々〈ボクモ〉を買取業者の元へ持っていくが――。 |
「進化した猿が、二本足で歩き出して、それから道具を使いこなすようになるまでも、ずいぶんと時間がかかったと思いますよ。何千年、何万年と。コミュニケーションっつったって、最初はたいしたやりとりもなかったんじゃないのかな」
(中略)
「ものすごい時間をかけて、ようやっとこの程度に道具や言葉を使ったりできるようになったんだから、人間なんて、頑張ったところで、十年や二十年で、進化なんてできるもんじゃないんですよ。あんま焦んないで、もっとのんびりやった方が大事なことが見えてくるんじゃないのかなぁ、なんて」(P111/L7~14より引用)
広志が進化について語ったこの言葉が印象的。私も、文明が発達しすぎというか、便利になりすぎていて、たまに不気味に思うことがあるから。
今年の誕生日プレゼントにボーカロイドをいただきました。もともと興味はあったけれど自分が使おうとは思ってもみなかったから知識や技術はまったくありません。初めて起動したとき口からこぼれたのは「よろしく」。人間のように命や意思があるわけではないけれど、自分が生きる時代の産物として、私もこの子たちも、一緒に学んで練習して仲良く遊べるようになれるといいな。
心臓異色
心臓移植をしてからというもの、今まで食べなかった肉ばかり食べるようになり、家でゴロゴロしているのが常だったのがやたら行動的になったりと様子がおかしい林。中古の〈人工心臓〉を入れたから問題が起きているのだろうか…?林は自分の心臓の前の持ち主が“正義のヒーロー”だったのではないかと思いはじめ――。 |
1編目「家を盗んだ男」に通じるものがあります。なんでかわからないけど『僕のヒーローアカデミア』のデクくんとオールマイトを思いだしました。
前世や魂というものは実際にあるのかもしれない。だけど、それ自体は特別なことではなくて、重要なのはそういった事情も含めて本人が今このときをどのように生きるかだと思う。私があるとき突然、今とまったく違う人間のように性格も趣味嗜好も変わってしまったとしても、そこにいるのはたしかに私。その変化も楽しんでいけるほどこの身体と命に愛着を持って生きていきたい。
踊るスタジアム
第44回国際球技競技大会の会場に選ばれたのは、貧乏国・バブッタ国!?知事のクジ運を呪ったり中止を願ったりと落胆する国民たち。新しいスタジアムをつくることさえままならず頭を抱える知事だったが、昼食で立ちよった食堂で国民から「中古のスタジアム」の話を聞き、起死回生の望みをかけるが――。 |
先ほども書きましたが、2020年に東京オリンピックをひかえる我々日本国民にとって他人事ではないおはなし。とはいえ寓話っぽいユーモアのあるテイストなので気楽に笑えます。パラパラ流すように読んでも頭にするりと内容が入るからあと2年のあいだにぜひ。
ボクはニセモノ
結婚もせずただただ「古いもの」にしか興味を示さなかったケンは近所にできたレコード店でついに初めての恋に落ちた。相手はレコードケースにうつる女性。オリジナルのレコードから彼女のものと思われる髪の毛を採取してきたケンは彼女に会いたい一心でそのDNAから彼女の“レプリカ”をつくることにしたが――。 |
めちゃくちゃ個人的な要望だけど主人公がケン、レプリカがジャン、ときたら同僚の名前はハンではなくポンがよかった。ジャンケンポン。
たとえば、人工知能やロボットはどの地点から“生きもの”になるんだろう。生物の形を模したとき?自己の意識をもったとき?ロボット倫理学の範疇に入るのかわからないけどこういう分野に最近は興味があります。
人が人を産むことが罪でないのならば、人が人を模したなにかを生みだすことも、罪ではないのだろうか。彼らは人もしくは人のコミュニティに属するのだろうか。だとしたら同等の権利が与えられるの?人間はそれをちゃんと尊重することができるの?…難しい問題だ。こういうことを考えていると科学が自分を置いて進歩していくのが無性にこわくなるんだけど、みんなはこわくないの?
いらない人間
天文台の奥でこっそり“中古品”の販売を行っているヤナセ博士のもとに、あるとき、国民利益危機管理局調査部の主任・ホンダがやってきた。自分は捕まるのだろうか。警戒するヤナセ博士だがホンダが切りだした用件は意外なものだった――。 |
最後を飾るにふさわしいおはなし。タイムマシンができたらこういう未来もありうるなんて盲点だった。科学の進歩はやはりロマンを感じつつも脅威だな。
「彼は自分がなぜそこにいるか、わきまえていた。自分をゴミだと思える人間なんて、そうはいない。なかなか達観している男だ。彼を社会のクズだとは、私は思えなかった」
(中略)
「だが彼女は、一生懸命、飯を食ってた。彼女は、自分が誰かもわからないが、生きることだけは忘れていない。すべてを忘れても、生きる喜びを忘れず、乙女のように活き活きしている」(P281/L2~4,L10~12より引用)
ヤナセ博士の考えかた、すごく素敵だ。ありきたりな自虐や食事風景をあんなふうに捉えられる人こそ、人と人が関わりあう社会にとっては必要不可欠な存在だろう。そういう人に私もなりたい。
過去に価値をつけることはできない。だけど、あらゆる過去をひっくるめてここに存在する今にはたしかな価値があると思う。まばたきする間に訪れる次の「今」につながる可能性があるのだから。
おふるなタオルの話
私は枕にタオルを敷いて寝るのが癖というか習慣なのですが、かれこれ7年ぐらい愛用しているタオルがあって、最近ボロきれ化がとまらなくて、毎晩呪文のように「新しいタオル買わなきゃ」と心の中でつぶやいてねむるもののなかなか替えることができません。だって、他のタオルにすると信じられないくらいねむれない。絵柄もすりきれて見えなくなっていて、もはや無地でぺらぺらのボロきれだけど、あの肌触りじゃないとなんだか安心してねむれない。あのタオルに頬ずりしたときの安心感、たぶん、付喪神が宿っている。――とかなんとか理由をつけて、今日もやっぱりボロきれタオルで寝るのであった。