向井湘吾『お任せ!数学屋さん3』を読了。お待たせしました!『お任せ!数学屋さん2』からおよそ2年ぶりのシリーズ完結編です。前回『あずかりやさん』を読んだときに「そんなことよりポプラ社は数学屋さん最新作の文庫化をだな…」と内心文句を垂れながら検索したら2017年11月には文庫化されていたという。知らなかっただけという。文庫化を待っているとこういうこと(文庫化するあいだに忘れている)があるから悩ましいよね。「あずかりやさん」「数学屋さん」と店名がつづいたのは偶然です。
実家のような安心感
「僕は遥さんに、一つ嘘を吐いている――」中学三年生の夏休み。ソフトボール部の引退試合に現れたのは、アメリカから一時帰国した神之内宙と、謎の女子中学生だった……。宙が数学屋を始めたきっかけ。遥との距離。すべての謎が明らかになる、大人気青春数学小説、完結編!
――文庫裏より |
目次を見ると短篇集っぽくも感じますが、短編とするには前後のつながりが近すぎて妙な感じなので、たぶん長編の部類なのだと思います。…ので、ここでは長編という体で感想を書かせていただきます。あしからず。
途中まで高校生だと思っていて「中学」という単語が出てきたときに「え、中学生だったの?」と思わず表紙を見返してしまう、という一連の流れが1作目を読んだときとまったく一緒ですごくなつかしかった。もう2年前なのかぁ。相変わらず表紙を見ただけだと高校生に見えてしまう宙と遥。
前作同様、店長(宙)不在と心もとないスタートでしたが、遥ひとりでもきちんと数学屋
体感としては、
数学と文学
前にも書いたかな、今、デイヴィッド・マクレイニー『思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方』(安原和見 訳)という本を読んでいるのですが…こういう本を読んでいると、人間の〈心〉もまた科学で説明ができてしまうんだなぁ、と痛感します。
どんな人間の思考にも行動にも法則性がある――それは対人恐怖症の私には救いになることもあるけれど(おかしな話ですが〈スポットライト効果〉を知ったときとかだいぶ勇気づけられました)、同時に、なんだか血の通っていない無機質で冷たいイメージもできてしまって。
だけど人間には、
「んなこと、訊いてどうする?」
(P229/L3より引用)
理解ができてもどうにもならないこと。
「でも、今はそんな理屈どうだっていい」
(P315/L9より引用)
ただ、今ここにあるものを大切にしたいとき。
合理性だけでは説明しきれない想いがたくさんある。
今作では宙と彼の親友・大智がおたがいに数学と文学それぞれの素晴らしさを説いていますが、数学も文学も、
「世界を理解したからどうなるんだって訊いてんだよ。
机の上で証明問題を解いてるだけじゃあ、 石ころ一つ動かせねーだろうが」 (P84/L3〜4より引用)
青いなぁ。石ころを動かすのは、数学でも文学でもなく、自分の手、なのに。
宙と大智――今書いていてようやく気づいたけど「空」と「大地」か!対極にあるもの!なるほど!
とりあえず算数から
二四パーセントが大きいか小さいかなんて、問題ではなかったのだ。必要なのはきっかけだった。そのきっかけを真希が摑んだ。
(P50/L7〜8より引用)
なにかを学ぶということは釣りに似ているな、と思うんです。
勉強や学問を海、好奇心を釣り針とするならば、
そういう“きっかけ”は数が多く種類が豊富であるに越したことはない――一心不乱に数学を勉強する遥の姿を見て、私も、何年も前に買ったきり本棚の奥にしまいこんでいた『小学校6年間の算数が6時間でわかる本』をひっぱり
とりあえず算数から。ま、待ってろよ数学!