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最近話題の漫画、コナリミサト『凪のお暇』1巻を読んだのですが、諸々のトラウマがよみがえり心がぺしゃんこになりました。目は漫画を追っているはずなのに頭の中は物語を無視して各時代の自分たちが盛大な懺悔大会をはじめてしまうので、買ったその日以来読んでいない。今後も読める気がしない。

 

 

もうすぐ5月か、と思ったときまっさきに『凪のお暇』が脳裏をかすめたのは、たぶん、5月といえばゴールデンウィークよりもなによりも先に「五月病」という言葉を連想してしまうから。新年度がはじまって早1ヶ月。なにかと“新しい”ことが推される1ヶ月でしたが、みなさんにとって、この4月はいかがだったでしょうか。

 

以前こんな記事を書いたように、私は、4月になるとどこか居心地の悪さを感じてしまいます。同じように居心地の悪さを感じている人がどこかにいるかもしれない。新年一発目にあんな曇った話を書いてしまったからか、一昨年は連休が終わったあとに特集を組みましたが、今回は連休がくるまえに――憂鬱な5月の月曜日がくるまえに書かねばなるまい、と4月のうちから筆をとりました。

 

桜の花びらとともに、心からなにかがぽろりぽろりと剥がれて散ってしまった。そんなふうに感じている人にこの時期手にとってほしい小説を5冊選びました。連休のあいだに読むもよし、憂鬱な5月~6月をやりすごすために読むもよし、この特集のどこか一片でも誰かの心の避難場所になれますように。

 

 

 

かがみの孤城

最近「2018年本屋大賞」の大賞受賞が決まって、今、話題の1冊。本屋大賞効果で当ブログの感想記事も結構読まれているようです。あるとき部屋の鏡から行けるようになった不思議な孤城、そこに集められた7人の少年少女たちによる交流を描いた群像劇。第2部まではギクシャクした人間関係や主人公・こころの苦しみに息苦しさを覚えますが、彼らの悩み、痛み、苦しみが次々につながっていく衝撃と作品にドッと意味を吹きこむ感動の結末が待つ第3部は必見。

 

私は子供の頃、よく体調を崩すと不機嫌な顔をされ、どうしてもできないことがあると「なんで?」と呆れられました。相手が怒っていると感じるたびに、自分がつらいと思っていることはとても瑣末さまつなことで、こんなことで悩んだり泣いたりしてはいけないんだ、みっともないことだ、恥ずかしいことなんだ、と、考えるようになりました。まぁ、今でもわりとそうかな。考えかたって変えるの難しいですよね。三つ子の魂百まで?

 

私より性格悪そうだなこの子、とか、才能があるだけマシじゃない、とか、最初のうちは少年少女たちと傷を見比べて、自分の苦しみは本当に瑣末なものなのか、たしかめている。だけどそうじゃない。7人いれば7人それぞれの悩みや苦しみがあって、それは等しく痛みであって、きっと私の「つらい」も例外じゃない。もちろん他の誰の「つらい」だって。

 

つらいときは「つらいね」と自分の頭をなでてやるくらいはしてもいいのかな、と、今は思います。

 

 

 

 

雨の降る日は学校に行かない

わたしは「生きにくい子」なのだろうか、と自問しながら心を削るようにして学校へ通う女の子・サエを描いた表題作。普通であることが一番だなんて誰が言いだしたのだろう。彼女の“生きやすさ”をどうして他人が決めるのだろう。自分の意見を大声で言える者が優れているのだろうか。それがたとえ人を傷つける言葉でも?

 

静かにあふれるたくさんの「どうして?」に「生きにくい子だから」なんて悲しい言葉で蓋をしていた彼女の心が限界をむかえてとうとう「わたしはっ、生きにくい子じゃ、ないっ!」と叫んだとき、彼女の言葉に自分の想いが重なって涙がとまりませんでした。そうだよね。誰かに言ってほしかったんだよね。「かわいそう」とか「がんばろう」じゃなくて、今のあなたでここにいてもいいんだよ、って。

 

誰かに言ってほしいこと、あのとき言ってほしかったことが、サエや長谷部先生の言葉として綴られます。悩みや苦しみを抱えている人だけでなく、力になりたい、支えたいと思っている人にもぜひ読んでほしい作品。他の短編だと「プリーツ・カースト」や「放課後のピント合わせ」も好きです。

 

感想記事がありますのでこちらも参考までに。

 

 

 

 

吉野北高校図書委員会

主軸は後輩・あゆみとつきあうようになった大地、彼に複雑な気持ちを抱く女の子・かずら、そんな彼女に秘めた想いを募らせる同級生の藤枝の三角関係なのですが、特筆したいのは物語の舞台が〈図書委員会〉であること。図書室以外のシーンももちろんありますが教室のシーンはあまりなかったと記憶しています(読んだの10年前なのでさすがに断言はできないけれど)。

 

とくに藤枝の視点で描かれる章を読むと、つくづく、教室が居場所である必要はないんだなと安心させてくれます。部活、委員会、保健室。学校である必要だってない。家だっていい。それはもちろん、学生じゃなくても、誰にでも言えること。好きな人がいて、好きなことがあって、それを「好き」と言える場所。他の誰でもない自分自身がここにいてもいいのだと思うことができたなら、そこが居場所でいいのです。

 

私が持っているのはMF文庫ダ・ヴィンチ版なのですが、角川書店からも刊行されているようです。それぞれ表紙デザインが異なるのと、あとは漫画版もあるので、各自お好みでチェックしてみてください。MF文庫ダ・ヴィンチ版の硬めの手触りも私は好きです。

 

 

 

 

地球の中心までトンネルを掘る

穴を掘ろう。穴を掘って地下にもぐろう。――大学を卒業した3人の男女があるとき思いつきで裏庭に延々と穴を掘りだす、という表題作。息子のために裏庭の一角を提供し、食料品を差し入れしたり、地上から「おおい、ぼうず」と声をかけたり、心配しながらも穏やかに息子たちを見守る〈ぼく〉の両親が印象的です。

 

「親としちゃ、育て方をまちがったんでなけりゃいいが、と願うばかりだが、母さんもわたしも、おまえにはともかく幸せでいてほしいと思ってる。だから、おまえが幸せでいるために地面のしたにもぐっていなくちゃならないんなら、それでいい。それでかまわないと思ってるよ、母さんもわたしも」

 

(P145/L20~P146/L3より抜粋)

 

このあいだ本で読んだんですが、“自己”にはなにかを経験することに幸せを感じる〈現在の自己〉とこれまでをふりかえったり誰かに語ることで幸せを感じる〈記憶する自己〉の2人がつねに存在するそう。つまり幸せを感じるにはこのどちらの自己も満足させなければいけないらしい。

 

穴を掘っているとき「今、心から幸せだと感じてい」た〈ぼく〉はこの奇妙な物語を「何をしているときにもまして幸せを感じる」という言葉で締めている。彼が感じているこの幸せこそ、2人の自己が満足する本当の幸せなのでしょう。今は自分が幸せになることだけを考えていいのだ、と、心がふっと軽くなるような作品です。

 

感想記事がありますが3年前に書かれた記事なので読みづらいかも。まぁ冷やかし程度に。

 

 

 

 

放課後カルテ

漫画ですが、今回の特集には外せない1冊なので番外編として紹介。学校医として小学校へ赴任してきた無愛想な医者・牧野が名も知らぬ病気に悩む子供たちとその家族を救っていく1話完結型のおはなしです。どの巻を読んでも必ずどこかで限界がきて泣いてしまうのですが、個人的に印象に残っているのは4~5巻でフィーチャーされる羽菜ちゃんです。

 

頼る相手が居るんだと信じてくれ

 

(5巻P52より)

 

気づいてほしい、聞いてほしい、助けてほしい――心がそう叫んでいるときほど、私たちはどうしてか、ドアをぴったりと閉めて誰もかれも拒んでしまう。羽菜ちゃんに投げかけられた牧野の言葉は、そんな鉄壁の心をも壊すような、それでいて熱いほどの涙がこぼれる力強くて優しい言葉です。鍵を開けておく、たったそれだけでいい。それだけでいいんだ。

 

ああ、引用するために読みかえしたらまた泣いてしまった…。

 

 

 

 

さいごに

以上、今がつらいとき読んでほしい心の避難場所を5冊紹介しました。いかがだったでしょうか。紹介文を書くためそれぞれの小説(漫画)を手にとるたび、あんなことやこんなことを思いだしてちょくちょくメンタルをやられながら書きました。来たる5月にむけて、みなさまの心によりそう1冊が見つかったらうれしいです。

 

私も今年のゴールデンウィークは予定まちまちで、どっぷり読書をする時間もなさそうだし、なんだかあまり気乗りしないんですよね。このあと早朝3時から茨城へ行かなきゃならないし。翌日も別の用事あるし。まぁ、おたがい、なんとかやっていきましょう。

 

それではまた。

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。