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蒼月海里『水上博物館アケローンの夜』を読みました。タイトルから察するに博物館が舞台ということで、これは趣味のひとつが美術館・博物館へ行くことである私が見逃すわけにはなるまい、と読んでみたら、東京は上野にある東京国立博物館が出てきました。しまった上野駅の明正堂書店で買えばよかった。秋葉原の有隣堂で買ってしまった。しかも私が好きなのはとなりの国立科学博物館。微妙にズレた位置から手にとりましたがしっとりと読めました。東京国立博物館、まだ行ったことないから聖地巡礼も兼ねて行くのもいいかもしれない。

 

追記:聖地巡礼してきました!東京国立博物館レポはこちら

 

 

 

元カノみたいな「好き」

大学生の出流いずるは、閉館間際の東京国立博物館トーハクに立ち寄る。 展示物を眺めながら、悲しい思い出を忘れようとしていると、 どこからか湧き上がった大量の水に飲み込まれてしまう。 気を失っていた出流を助けてくれたのは、美青年の渡し守・おぼろだった。 朧によると、出流は自分の悲しみが作り出す「嘆きの川」で溺れていたという――。

 

――帯裏より

表紙がきれいなんですよねぇ。うっとりしちゃう。天井から注ぐ光の具合とか美しすぎる。ジグソーパズルで売っていたら絶対にやりたい絵柄。東京国立博物館は今すぐグッズコーナーに本書とこの表紙(ジグソーパズル)を置くべき。あ、ゴーフルの缶にあしらうというのはどう?

 

東京国立博物館を舞台にしているということで、作中には実際に所蔵されているさまざまな展示物とその解説が登場します。これはとても興味深かった。博物館や美術館で音声ガイドを聴きながらまわると実感するのですが、やはりこういうものはパネルの文字を追うよりも人の言葉で説明されるほうがするりと頭に入りますね。美術品や絵画などは己の感覚だけでも充分に楽しめるけど、博物館にあるものは基本的に、実際に生きていた動植物や実際に使われていた道具とかだから、背景をきちんと知っていたほうが楽しめるだろうし、むしろ東京国立博物館のことなにも知らないうちに読めたのはラッキーだったかもしれない。

 

物語とそれを紡ぐ言葉のひとつひとつは、若いなぁ、という印象です。博物館という硬い設定を噛みくだくという意味ではこれでいいんだけど、物語として見るとなると、出流くんたちの“嘆き”の深刻さや水上でのシリアスな空気が伝わってこなくて、読後感が残りません。出流くんや二階堂さんがどうにも子供っぽすぎるというか、ゆるすぎるというか、きちんとメリハリが欲しかった。10~20代前半の女性ライト層に向けて書いたのかな、と、個人的には思いました。

 

嫌いじゃないのよ。設定は素敵だし、グッとくる言葉もあるの、しかし他の部分がどうにも気になる。むしろ気になる部分のほうが多い。だけど好きか嫌いかで答えるなら結局、好き、なんだよなぁ。なにこの元カノにまだ未練のある男みたいな「好き」。しかし言い得て妙。元カノみたいな1冊です

 

 

 

人が変われば価値も変わる

第一話 出流と水上博物館の邂逅

悲しいことやつらいことがあると博物館に来る癖がある大学生の出流は、今日もいつものように大学からの帰路にある東京国立博物館でぼんやりと展示物を眺めていた。閉館時間が近づく夕暮れどき、想いがこみあげてくるのを堪え逃げるように展示室を去る出流だったが、気がつくと、人気のなくなった館内にはどうどうと川が流れていて――。

突如水上博物館があらわれるさまはどこかフリーホラーゲーム「ib」を彷彿とさせます。あれは美術館が舞台だから「Arcanum Museum」のほうが雰囲気は近いか。水上というとちょっと違うけれどFF9のダゲレオという場所は最高だった。美術館、博物館、図書館を探索できるゲームすごく好きなのでもっと増えてほしいです。…あ、先に言っておきますがこのあともちょいちょい話が脱線します。

 

※参考(ib):http://kouri.kuchinawa.com/game_01.html
※参考(Arcanum Museum):https://www.freem.ne.jp/win/game/8397

 

だが、博物館は境界の場所。生きている者達が、役目を終えて死んだもの達と触れ合う場所でもある

 

(P39/L9~10より抜粋)

 

物語の導入部ということもあってか、キーパーソンである冥界のイケメン渡り守・朧さんの言葉がとにかく際立ちます。どうですか。朧さんの紡ぐ言葉、めちゃくちゃ素敵でしょう?〈博物館〉という空間の捉えかたが、新しいし、すごくいいでしょう?朧語録まだあるんですよ。

 

「イズル。神でなくてもいい。どうか、己の心の拠り所を強く持て。川に流されてしまった時、それは頼もしい道標みちしるべになる」

 

(P41/L6~7より引用)

 

はいまたグッときた。私が哲学や倫理の本を読んで宗教について考えるときに思うことがまさにこれ。神の信仰もまたひとつの拠り所にすぎないんだよなぁと。なにを拠り所にするかは個々の自由だし、大切なのは、つらいときに身を隠して休める、本書の言葉を借りれば「墓の下」がちゃんとあるということだと思います。

 

そして、

 

「――辛かったな」

 

(P57/L16より引用)

 

皆までは言わせず、それでいてすべてを受けとめるこの包容力!圧倒的父性!好き!世の男性にはぜひ積極的にこの圧倒的父性を活用していただきたい。

 

朧さん好きだなぁ。朧さんを好きになるおはなしです。

 

 

 

第二話 出流と大人の悩み

あれは夢だったのだろうか…。大学からの帰り道、“境界”での出来事を考えていた出流の足は自然と上野にある東京国立博物館へ。いつもと変わらない館内の風景に安堵し、広報の二階堂とも顔見知りになり、こちらの世界であの冥界の渡し守・朧に会ったりなどしているうちに、「誰かが境界に迷い込んだ」朧に引っぱられるようにふたたび境界の世界へ足を踏みいれることになり――。

「俺、いつもこうなんだ。必死になり過ぎて、目先のものしか見えなくなっちゃって、先輩や同僚にも迷惑をかけっ放しで」

 

それは心底よくわかる。僕の知っている限りでは、二階堂さんは、常にテンションマックスで、やや空回りしていた。

 

(P108/L15~16 – P109/L1~2より引用)

 

私の悪口かな?

 

第一話の初登場からおもしろかった二階堂さんですが中身があまりにも私だったのでめちゃくちゃに感情移入しました。出流くんは内心思うに留めているけれど私はこれを人に直接言われたことがある。いや、あのときはコミュ障なりに場を盛りあげようとがんばってだな--嘆きの川、増水待ったなし!

 

「必ずしも、主役になる必要はない。人も物も、得手不得手というものがある。主体になるのが得意なものもいれば、補佐をするのが得意なものもいる。得意なことは、各々異なる。どれが一番優れているということは無い」

 

(P117/L6~9より引用)

 

前にプレイしたゲームに、「好きなこと」と「得意なこと」は違う、と言ったキャラクターがいたっけ。私の得意なことってなんだろう。好きという気持ちはとても素敵なものだけれど、ときには、好きかどうかではなく得意だから活かすという行動も必要ですね。

 

このあたりは茶道具にたとえて語られているのですが、読んでいるとき、このブログを茶道具にたとえるなら茶碗でありたいなぁと考えていました。作り手と受け手をつなぐ器。たいそうなものではないけれど、親しみやすく、実用的。そんな茶碗でありたいです。

 

作中に登場する笹蟹蓋置ささがにふたおき、ネットで調べてみたらとても愛らしかった。実物見てみたいなぁ。

 

 

 

第三話 出流と土の住人たち

「お前が得意とする楽器を、弾いてくれないか」朧からの頼みにクローゼットの奥からギターケースを引きずりだしてきた出流だったが、かつての苦い経験を思いだすと、ケースを開けることすらためらってしまう。そんな折、境界の世界で埴輪はにわたちに出会った出流は彼らから「音楽を奏でてほしい」「現代の音楽を聴きながら、一緒に音を奏でたい」と頼まれるが――。

まさか埴輪に萌える日がくるとは思わなかった。いや、もともと馬に模した埴輪は好きだったけれど。予想外に人型もかわいかった。本書で一番好きなおはなしです。和みます。

 

「朧のおかげで、弾く決心がついたんだ。結局僕は、責められるのが怖いからギターを弾けなかっただけなんだって気付けたよ」

 

(p170/L4~5より引用)

 

私も大学時代にサークルで音楽活動をしていた時期があるのですが、音楽に打ちのめされる、ということがしょっちゅうありました。

 

人見知りが押しきられるように入部したので、熱意よりも恐怖が勝る日々でしたが、それでも練習や勉強は真面目にしたつもりです。だけどその練習がまったく実を結ばない。人前で恥をかいて、無能が嫌というほど身に染みてわかっているのに、まるでなかったことみたいに、もう1回、もう1回。これ以上まだ打ちのめされなくちゃいけないの?そのうちストレスで顔が痙攣しだして、声が出なくなって、トイレに逃げだして、吐いて、泣いて、このまま活動時間終わってくれと思った。消えたかった。

 

結局、辞めましたけどね。腕組んで無表情の部長と膝突きあわせてとつとつと退部理由を述べなければいけない時間は苦痛だった。サークルでの日々は今でもトラウマです。たまに街で部長に似た人を見かけて冷や汗かくことある。

 

それはさておき、芸術というものは得てして、生みだすときこそ自分の感情を優先できるけれど、生みだしたあとは嫌でも人の価値観や感情、評価がつきまとうから…その“誰か”のために不安や恐怖をふりはらって音楽に向きあえた出流くんは偉いと思います。

 

 

 

第四話 出流と冥界の船頭

「名前を思い出せなければ、消えるだけだ」朧から突然、衝撃的な事実を告げられた出流。ならば名前を思い出せば消えずにすむのだろうか。彼の本当の名を暴くため、出流は東京国立博物館の広報・二階堂に相談し、彼の正体、そしてその想いを探ろうとするのだが――。

※以下の感想はネタバレが含まれているため一部を白字表記とさせていただきます。

 

物語の締めとしてはなんだか煮えきらないラストでした。朧さんはそれでいいのかい?

 

朧さんの本名【カロン】ですが、昔読んだ小説、喜多喜久『ラブ・ケミストリー』に登場する死神の名前がカロンだったのを思いだし、冥界の渡し守、なるほど納得。出流くんのようにゲームかなにかで連想するならばクラッシュフィーバーのカロンちゃんが浮かぶけれど、あれの元ネタは諸々から察するに冥王星の第1衛星カロンのほうかな?あ、冥王星のそばをまわるってやっぱりこっちもギリシャ神話を汲んでいるのかな。ちなみに冥王星につけられた「プルート」は冥界の神の名ではありますがローマ神話の神様だそうです。

 

そして、朧(カロン)さんが待ちつづけていたオルフェウス。第一話で朧さんがはじめて出流くんと出会ったときに「以前、お前と会ったことがあったか?」と問いかけているので出流くんはオルフェウスの生まれ変わりなのでは?と思っていた時期が私にもありました。カロンはふたたびオルフェウスと再会し、彼の奏でる竪琴(ギター)の音色を聴くことができたし、オルフェウスは妻を連れだすことが叶わなかった冥界から友を――今度こそ大切な人を連れだすことができた。だけどそれは彼らの知らないところ、そう、まさに水面下でのおはなし…だったりしてね。

 

話が脱線しましたが、私たち人間が信仰心を忘れれば神は神でなくなってしまう=消えてしまう、というおはなしは『けんえん。』という漫画のヤナヒメのおはなしを彷彿とさせます(2巻 第10話)。勝手に祀ったあげく、勝手に忘れていく…私たち人間はなんて傲慢な生きものなんだろう。私は決まった宗教は信仰していませんが、お寺や神社など、見かけたら手を合わせてご挨拶するように心がけています。

 

第一話で朧さんは博物館について、「死んだものに新たな価値を見出し、次の生を与える場所でもある」と話していましたが、朧さんもまた、出流くんによって新たな価値と生を与えられたのかな。人が変われば価値も変わる。それは私たち人間にとってもいえることなのかもしれません。

 

 

 

境界で溺れかけています

各話の感想も書きましたが、未だ自分の中での本書の立ち位置を決めかねています。好きか嫌いかで答えるならもちろん好き。何度も言うけど。だけど気になる部分がすごく気になってしまうの。もどかしい。なるほどここがその「境界」というやつか。浮世と常世の。いや、好きと嫌いの。朧さんはどこだ。助けてください境界の川で溺れかけています。

 

「お、朧さぁん!」

 

(P31/L10より引用)

 

お、朧さぁん!

 

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。