大山淳子『あずかりやさん 桐島くんの青春』を読みました。読書感想文特集2018年版でも紹介し、まだ記憶に新しい3月読了本『あずかりさん
クオリティーは変わらないけれど、薄味。
東京の下町でひっそりと営業する「あずかりや」。店を訪れる客たちは、さまざまな事情を抱えて品物をあずけにくる。どんなものでも一日百円。店主の桐島はなぜこんな奇妙な店を開いたのか? 理由は、桐島の青春時代に隠されていた――。ベストセラー待望の続編。
――文庫裏より |
タイトルに「桐島くんの青春」とあったので、全体的に前作よりも時間軸は前になるのかと思っていたのですが、これは最後に収録されている「海を見に行く」のことで、それ以前の短編「あくりゅうのブン」「青い鉛筆」「夢見心地」はいつもどおりあずかりやさんへやってくる人やモノのおはなしです。あらすじを読んだ感じ、てっきり全編にわたって未だ謎の多い店主・桐島を掘り下げていくのかと期待していたので、拍子抜けしました。
本書の中なら「
途中で燃えつきました
あくりゅうのブン
平成の時代に明治のような着物を着て、髪はぼさぼさ、芥川龍之介になりたいとのたまう青年〈あくりゅう〉に買われた文机のブン。「小生は」とはじまりいつも最後まで書ききれない小説と憎めない彼自身をやれやれとしばらく見守っていたのだが、愚直に夢を持ちつづける生活が母親にばれ、唯一の荷物らしい荷物であったブンは小さな商店街の一角にある1日100円でなんでもあずかるという不思議な店にあずけられることになるが――。 |
「ブンヅクエはあるか」
(P15/L11より引用)
あまりに濃すぎるキャラクターなのですが、本当にたまたま、偶然、『猫河原家の人びと 一家全員、名探偵』という小説で一人称「小生」の金田一耕助フル装備な長男坊を見たばかりなのであくりゅうの芥川龍之介ごっこにはわりと早い段階で慣れました。あのガチ勢を見たあとだと、あくりゅう程度まだまだ微笑ましいレベルなのでは。一人称ちゃんと「俺」だし。……という話をしている時点でお察しのとおり、全然いつもどおりにあずかりやさんのおはなしです、任侠映画のようなタイトルなのにね。
人はがめつい生き物で、ものをなるたけ所有したいのだが、それを目の当たりに置くのを嫌うという習性があるらしい。
(P14/L16~P15/L1より引用)
いやはや、ブンが言っていることはまったくそのとおり。常時見えるというのは嫌だけれど残してはおきたい。そういうものが、ひとつやふたつ、誰にでもある。そのちょうどいい距
青い鉛筆
中学生の正実は、「見てみたいな」という由梨絵の何気ない一言で転校生・織田さんの筆箱からまだ削られていないきれいなブルーの鉛筆を取ってきてみせる。ところが、てっきり喜んでくれると思ったのに、予想に反して鉛筆に触れようともしない由梨絵。泥棒になってしまった正実は偶然見つけた〈あずかりや〉に鉛筆をあずけ、そのまま取りには戻らない、という計画を立てるが――。 |
後半から、ガラリというほどではないのですが、一味印象が変わるおはなしでした。「親の心子知らず」なんて言葉があるけれど、あの頃あたりまえのように注がれていた愛情の裏にあるたくさんの想いは、右も左もわからない子供のうちよりも大人になってから知るほうがなんだか身体の隅々にまで染みていく気がして、そのほうが
「普通ってあるのかしらね。わたしって普通かしら? お姉ちゃん、あなたは普通?」
(P106/L11より引用)
常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。――アインシュタインの言葉だそうです。私たちが日頃熱心に信奉している“普通”というのは
先の「あくりゅうのブン」の作中に、「心はひとつじゃない。星の数ほどあって、全部嘘じゃない」という言葉があります。誰にだって、模範的な部分とそうでない部分があってあたりまえ。だけど社会で暮らすうえではそのバランスを崩さないように調節する必要
夢見心地
現在は〈あずかりや〉にあずけられ、店を訪れる人を魅了し安息のひとときを与える一台のオルゴール。彼女が唄う「トロイメライ」の歌声には自分をつくってくれた職人をはじめ、さまざまな人々との出会いと愛、希望への祈りがこめられていた――。 |
幸せは足し算できるもののように、わたしには思えます。先にど
んな不幸があっても、足したものは引かれることはない、そう感じ ます。
(P168/L3~4より引用)
この一文に物語のすべてが集約され
最近、打首獄門同好会の「フローネル」という曲を聴いたんですけど、
幸せって、とりあえず「幸せ」という言葉で一緒くたにしているだけで、その実いろんな種類の「幸せ」があるんだなとこの曲聴くたび微笑ましくなります。お風呂も二度寝ももちろんそうだし、家族や友人、恋人と一緒に過ごす時間も幸せ、平凡で穏やかな日常がつづくのも幸せ。だけど全部なんとなく感覚が違う。だ
「幸せ」と「不幸」、どちらかではなくどちらもあってはじめて人生というひとつ
海を見に行く
大学受験を意識しはじめてきたあるとき、柳原先生に頼まれ、転校生・石永小百合に校舎の案内をすることになった桐島青年。憧れの女子生徒・河合さんと同部屋になるという彼女に最初は親切にしようと思っていたが、まるで石のようにごつごつしゃべる彼女にはほとほとうんざりしてきた。が、夏休みが近づくある日、石永は河合さんを餌にまんまと桐島青年を誘い、「これから海を見に行く」と言いだし――。 |
さて、いよいよ本丸。未だ謎の多い店主・桐島の青春時代のおはなし。大学受験の話をしているのでこのときは高校生のようです。彼の一人称はこれがはじめてですが、意外にも普通に男の子で、普段のおっとりした雰囲気がなか
読んでいるとき、本を読むことと桐島青年のように手で世界を見ることはなんとなく似ているな
〈あずかりや・さとう〉の店主としての「桐島」を築きあげてきたキーワードが随所に散らばっていて
1年は意外と高額
本記事を書くにあたり前作の感想記事を見返したら「文庫化されたら本書の再読も併せて検討します」とか言っていたんですよね、そういえば。ばっちり失念していた。
石鹸さんの考察は未だやりたいという意思があるし、本作を読んだことでまた新たな仮説も組みあがったので、時間を見つけてシリーズ通しての再読と考察はする予定です。時期はわかりません。今回の記事もあずかりやさんの話が連続したので、飽きたというか、執筆が難航して燃えつきてしまった感あるし。しばらくはあずかりやさんのこと忘れたい。
というわけで、意欲は一旦あずかりやさんにあずけておきます。1年ぐらい。100(円)×365(日)だから……え、3万6500円もするのか!高っ!半年で取りにくるかもしれません。それじゃあまたそのくらいのときに考察記事で会いましょう。またね。