草野原々『最後にして最初のアイドル』を読みました。久しぶりに平積みではなく棚差しから見つけてきた1冊。初読の作家です。まずはタイトルに惹かれ、早川書房が出すタイトルっぽくないなと不思議に思いながら手にとるとあら表紙がかわいい。色彩の暴力に圧倒されながらあらすじに目を通すと「実存主義的ワイドスクリーン百合バロックプロレタリアートアイドルハードSF」という文字。情報の大渋滞。なにこれは。絶対おもしろいから読むしかねぇ!と思って買ったら当然おもしろかった。
「芸術」ではない美しさ
“バイバイ、地球――ここでアイドル活動できて楽しかったよ。”SFコンテスト史上初の特別賞&42年ぶりにデビュー作で星雲賞を授賞した実存主義的ワイドスクリーン百合バロックプロレタリアートアイドルハードSFの表題作をはじめ、ガチャが得意なフレンズたちが宇宙創世の心理へと驀進する「エヴォリューションがーるず」、書き下ろしの声優スペースオペラ「暗黒声優」の3篇を収録する、驚天動地の草野原々1st 作品集!
――文庫裏より |
最初、芸術は芸術家によって創られた。次は、デュシャンのように、芸術家が芸術だと宣言しさえすれば、それが芸術になった。最後には、芸術とみなされるものはなんでも芸術になった。しかし、もし芸術がほんとうに見る人の目次第だとしたら、芸術という概念自体が、ひどく薄っぺらで無意味なものになってしまうのではないか?
ジュリアン・バジーニ『100の思考実験 あなたはどこまで考えられるか』(向井和美・訳)
P170/L7~11より引用
絵画――そう、たとえば本書を、1枚の絵画だと考えよう。これまでにどの美術館で鑑賞してきた絵画ともまったく異なる、私の中にある「芸術」の常識をことごとく無視したはちゃめちゃな絵画だ。だけどたまらなく美しいと感じる。理由は自分でもわからない。「よくわからないけどすごく好きだ」という、脳ではなく、心で惹きつけられるような感覚。
小説を「芸術作品」として捉えるとき、美の観点になるのは当然文章であり、またそれによって描かれる世界やテーマや心情だと、まぁ、少なくとも私は思っています。だけど本書の文章は「……」感嘆符等の多用やデフォルメされたキャラクターの会話など……ううん、正直に言おう、ライトノベルっぽさがあって好みじゃない。好みじゃないはずなのに、好きだな、と思う。万人受けはしないだろうと断言できるのに勧めずにはいられない。
そもそも私は頭が悪いので、太陽フレアとか11次元とかエーテルとか、作中懇切丁寧に説明してくれているのですが、さっぱりわからないのですよ。だからたぶん物語の8割ぐらい理解できていない。それでも「おもしろい」とか「好きだな」と思えるってすごくないですか?本書を構成するすべてを理解できる理系のSF好きオタクが読んだらどうなっちゃうの?理系SF好きオタクに転生して読みたい。
とまぁ、ここまで読めばわかると思いまずが、筆舌に尽くしがたい不思議な魅力がある作品なわけです。伝われ。
まだ80%も残っている
最後にして最初のアイドル
生まれたときからアイドルが好きだった古月みか。やがて好きが高 |
物語の8割ぐらい理解できていなかった、けど――という話は先ほど散々したのでもういいでしょう。それは置いといて、アイドルを夢見る健気な女の子の姿を追っていたはずが唐突にはじまる太陽フレアによる地球滅亡の危機の説明。アイドルの成長と太陽フレア、同じ短編の中で起こる事象なんだよ、信じられる?
SFの部分はガチガチなのに
そんな大災害を、新園眞織はサヴァイヴした。なぜ生き残ったのか、根性としかいいようがない。
(P41/L5〜6より引用)
人類文明もサヴァイヴした。根性によるものかはわからないが、とにかく生き残った。
(P41/8より引用)
他所の設定がガバガバになるところステータス極振りした感あって好き。
ゴリゴリガチガチのSF設定により突如意味をなくしたように見え
***
昔、ある小説技法の本で二人称を説明するところに「二人称を本当
二人称とは「あなた」を視点にする文章であり、小説を読む時点で「あなた」の視点は「読む」という行
このおはなしは三人称で書かれていますが、冒頭と最後の一幕に「
***
私が言葉にできるのはこれくらいです。逆に考えてほしい、あと80%も言葉にならない衝撃やおもしろさや圧倒的な“なにか”があるという事実。
個人的にはプレイしたことのあるゲームで「Follout4」、
エヴォリューションがーるず
アニメ「エヴォリューションがーるず」に魅せられ、最終話放送後 |
例にもれずⅣ章からなにを言っているのかわからなかった。凡人は
作中〈がーるず〉という呼称がたびたび使われるのでもしかしなく
***
ゲームの世界へ転生。勝気
内容は、最近よくある萌え擬人化というやつだ。人間ではないもの
をキャラクターとして表現するもので、「エヴォがる」 では古代生物が擬人化されていた。
(P97/L1〜2より引用)
まさかの古代生物。
萌え擬人化されているなら大丈夫、イケる。そう思った時期が私にも
N:細胞核
N:微小管
N:キチン
N:食胞
N:ミトコンドリア
N:細胞膜
N:タンパク質複合体セット
R:葉状仮足
N:化学受容体
N:微小管
N:キチン
数多あるソーシャルゲームの世界でこんな字面の11連ガチャ結果見たこ
***
アメーバ(※主人公)がさまざまな苦難を乗り越えながら巨大ムカデになっていく姿などなんの感慨も湧くものかと思われるかもしれませんが、ディヤウス(ボクっ娘)との悪友ともいうべき友情やヴァーユ(孤独な少女)との
先の「最後にして最初のアイドル」もそうでしたが、草野氏
体感的には「最後にして最初のアイドル」よりは読みやすく想像し
暗黒声優
「声優」が家畜として |
前2編は導入として現代日本的な主人公の日常が描かれているんだ
***
今からニワカが戯言を言うので軽く聞き流してほしいんですけど、
また、現代の声優たちは、本格的なエーテル操作をはじめる前に、
かつての『声優』と同じように歌や物語を紡ぐ。それにより自らを トランス状態に導入してから、エーテルを操るのだ。
(P212/L16〜P213/L1より引用)
このあたりはマクロスシリーズ的なものを感じました。「マクロスF」をチラッとしか
あと、終始頭の中でイメージされたのはゲーム「キン
***
声優を「声の俳優」ではなく「声が優れている」というニュアンス
きっと真面目な鬼才
前島賢氏による解説によれば、あらすじの「実存主義的ワイドスクリーン百合バロックプロレタリアートアイドルハードSF」とは作者が実際に発言したものらしいのですが、「百合」と「アイドル」以外に理解できる言葉がなかったクソ無知を反省して読後に調べてきました。
まず「実存主義」とは人間の実存を哲学の中心におく思想的立場のこと、だそうです。しょっぱなから哲学の話になった。そしてSFには「ワイドスクリーン・バロック」なるジャンルがあるそうで、その定義は、銀河を股にかける壮大なスケール、めくるめくアイデアの奔流、絢爛豪華な物語性。ここに「百合」がはさまるのでこれを女の子のみで紡ぐという意味合いでしょうか。「プロレタリアート」はあんまり理解できなかったんですがたぶん己の労働力を売って生活する労働者のことですね、アイドルという職業はなるほどたしかにそういう種類の労働かもしれない。最後に「ハードSF」ですが、これは、科学性の極めて強い本格的なSFを指すようです。――とまぁ、このように分解・解析してみると、前島氏が記しているとおり本当に「一見すると意味不明なその文字列が、けれどもまったく間違いでなかった」から舌を巻く。
作中の解説パートの丁寧さといい、作風はいろいろすごいけど、これ作者自身はきっと真面目な人なのでは。やっていることがすごすぎてもはやふざけて見える、という人、いるじゃないですか。あんな感じ。天才(鬼才?)とはこういう人のことをいうんだろうなぁ。
私はこの小説、好きです。
参考にしたサイト一覧
実存主義とは – コトバンク(「デジタル大辞泉の解説」より)
https://kotobank.jp/word/%E5%AE%9F%E5%AD%98%E4%B8%BB%E7%BE%A9-74131
文庫で次々登場、ワイドスクリーン・バロックSF『イシャーの武器店』ほか3作│レビュー│Book Bang -ブックバン-
https://www.bookbang.jp/review/article/524985
プロレタリアートとは – コトバンク(「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」より)
https://kotobank.jp/word/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88-128221
ハードSF – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%89SF