石井睦美『皿と紙ひこうき』を読みました。高校生ぐらいのときに購入して、そのときはこれといった感想なかったはずなんだけど、何度か本棚を整理する機会はあったのにずっと持ちつづけている1冊。とうとう内容も思いだせなくなってきて、どういう話だったんだっけ、と再読に至りました。持ちつづけていた理由はわかりません。だけどこれからも私はふとしたときにこの本を読み返すのだろうなと思いました。
あらすじはあくまで物語の一部
陶芸家の小さな集落で育った高校一年生・由香の日常は、“かっこいい転校生がやってくる”という噂で急に騒がしくなる。だが、東京から来た転校生の卓也は、いつまでも周囲と距離をとり続けていた。由香が、卓也と初めて言葉を交わした頃、学校で血まみれのうさぎが見つかる。日本児童文学者協会賞受賞。
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あらすじを読むと『ペルソナ4』的な雰囲気を感じますが、上記のような展開になるのはかなり後半から。お察しのとおり「転校生」や「事件」といったものはあくまで設定のひとつにすぎなくて、全体的には〈皿山〉と呼ばれる集落で暮らす高校生・由香の日常と伸びやかな心模様を静謐な文章の中で描いています。
読後感は瀧羽麻子『うさぎパン』を読んだときに近いでしょうか。あとは、小説のジャンルとしてはまた違うんだけど、方言のやわらかさに包まれた瑞々しい世界観は山本渚『吉野北高校図書委員会』シリーズを彷彿とさせますね。あれはたしか徳島の方言だったかな。本書は作中「博多」の文字が見られるので舞台は九州でしょう。私が育ったところには方言らしいものがなかったので、方言のもつ穏やかな響きは、憧れます。
故郷と、“たくさんのぼくたち”
私が育ったところは住宅ばかりで都会とも田舎ともいいきれない中途半端なところで、生まれた場所・育った場所としてそれなりに思い出はあるけれ
恐竜の鳴き声が聞こえる。ぎーっ。鳴き声はゆるやかに続く。ぎーっ。近く遠く仲間を呼んでいるのだ。呼ぶ声に応える声。応える声は呼ぶ声になり、その声にまた応える声があがり、途絶えることがない。
(P5/L2~4より引用)
だから、臼を“恐竜”と呼ぶ、皿山が育てた由香の感性と、それこそ草食恐竜がずしりずしりと歩くような彼女のゆったりとした日常にはある種の憧れもある
うちはね、ここが好きなん。必要なものは全部ここにあるけん。東京とかそげんな都会のどこがいいのか、うちにはさっぱりわからん。あげんなとこは、ときどき遊び行くんでいいのよ。
(P159/L11~13より引用)
だけど、私が皿山に生まれたとして、たとえば植島先輩のように
植島先輩にとっては、渡らないことが渡るということになるその橋のことを。
(P188/L11より引用)
大切ななにかに蓋をして、この“見えない吊り橋”をわたらないという選択をするだろうか。
由香のおじさんや高橋
物語の終盤、伊藤卓也は「たくさんのぼくたち」という言葉を由香に残す。たくさんのぼくたち。そうだ、こんなに小さな世界にさえ、由香とその家族、絵里、高橋先輩、植島先輩、伊藤卓也、“恐竜”だって――ううん、場所になど関係なく“たくさんのぼくたち”は暮ら
あの紙ひこうきのように
冒頭にも書いたとおり、水や空気のように染みこんでいくおはなしなので、言葉にするのはなかなか難しい1冊です。だけど間違いなく私の好きな小説でした。手元に残しておいて本当によかった。再読して今度はこれだけの感想をしっかり持てたこともうれしい。
読書とはたいていの場合、物語越しに自分と対話するものですが、本書はなんだか他者と対峙しているという気持ちが強かった。日常のあわただしさ、都会の喧騒、抱えきれなくなったたくさんの自分。そういうものに疲れたとき、一度頭をからっぽにして、ゆったり読みたい物語です。
めちゃくちゃ余談なんですけど、本書を読んだとき『モーニング娘。 15th Anniversary Photobook ZERO』の世界観に似ているなと思って読みなおしてしまいました。これメンバーの言葉はもちろん執筆した方の言葉選びが抜群によくて何度読んでも泣いてしまうんだよなぁ。
故郷に愛着がないわけではない。
休みが2日あれば、福岡に帰るという。
「地元の友だちはいまでもサイコーです。
あ、東京にも友だちいっぱいいますけどね」
大切にしているのは
“場所”ではなく“人”。
どこにいても、人と人はつながっていられる。
マガジンハウス編『モーニング娘。 15th Anniversary Photobook ZERO』より引用
本書の主人公・由香と同じ九州(福岡)出身ということもあり、生田衣梨奈さんのページが印象的でした。由香が皿山に残るのか、それともいつかは出ていくのか、それはどちらでもかまわない。だけど彼女の心にもこの言葉が届けばいいなと思いました。
窓ガラス一枚隔てて、真っ白な紙ひこうきが飛んでいた。
一瞬のできごとだった。
(P85/L11~12より引用)
あのときバスの窓から見えた、紙ひこうきのように。