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朱野帰子『会社を綴る人』を読みました。初読の作家でしたが、作者名どこかで見たことがあるような、と思ったら作者略歴に『マタタビ潔子の猫魂』の文字を見つけて納得。そっか、私がちょうど「ダ・ヴィンチ」(雑誌)を読んでいた時期に連載していた作品だ。あいにく『マタタビ潔子の猫魂』は読んでいないのですが、本書は号泣するほどよかったし、紙屋さん大好き、これから何度も読み返して一生の宝物にしようと思いました。

 

 

 

誰もかれも、なにもかも、好き!

注意散漫で自信がなく、何をやってもうまくできない紙屋(30代・独身)は、なんとか老舗の製粉会社に就職することができた。しかし配属された総務課では、あんまりの仕事のできなさに何もしないでくれと言われる始末。営業部のおじさん達にイジられ、ブロガーの同僚にネットで悪口を言われながらも、唯一誇れる文章への愛をたよりに紙屋は自分にできることを探し始める。会社で扱う文書にまつわる事件を、社会人偏差値低めなアラサー男子が解決!?人の心を動かすのは、熱意、能力、それとも?

 

帯裏より

帯裏のあらすじに書かれた「社会人偏差値低め」をはじめ、主人公・紙屋さんのキャラクターにはどこもかしこも共感してしまいました。出来る兄と比べられるときの居心地の悪さ。文章を書くのは得意だ、と、文章を書くしか・・取り柄がない、という表裏一体の気持ち。紙屋さんとはまた違う人生を歩んできたはずなのに、それはまるで、自分の半生をふりかえるようで。

 

「読書感想文で一度、佳作を……」

榮倉さんはふっと表情を和らげた。

「その程度の実力で……。とにかく、あの旧態依然としたおじさんたちを動かすなんて紙屋さんには絶対無理です」

 

(P40/L1~4より引用)

 

一方、そんな紙屋さんとなにかにつけて(一方的に)衝突するブロガーの同僚・榮倉さんも登場するたび内心「きたきた!」とウキウキしてしまうほどわかりやすく嫌なヤツで!その程度の実力で・・・・・・・・。くっ……!紙屋さんと一緒に、作中の言葉を借りるなら「ギザギザした包丁(パン切り包丁)を心に差しこまれたような気分」になりながら、しかし第2話で披露される彼女の文章術は自分のブログ活動の参考にも反面教師にもなったのであまり文句も言えない。もはや1周まわって好き。

 

榮倉さんだけでなく、他にもガサツで未だ古い考えのいかにも“営業部のおじさん”らしい渡邉さんや、上司にも部下にも会社にもなにも期待しない冷徹な栗丸さん、大学で研究してきた粉塵爆発の研究成果を事故防止に役立てることが自分の使命だと語る大山さんなど、お仕事小説なので登場人物は結構多めなのですが、紙屋さんは1人ひとりの言動をきちんと受けとめてそれぞれの仕事に対する誠実さやひたむきさを見出してくれるから、誰もかれもがしっかり魅力的なキャラクターになっていて、そういうところが大変好ましかったです。悪役をただの悪役にしない。出会った人を出会ったきりにさせない。それは紙屋さん――ひいては作者の人柄を見るようで、彼らと積みあげたエピソードが少しずつしっかり紙屋さんの成長に絡んでくる様子は見ていて心があたたかくなりました。

 

ネタバレになってしまうので具体的には書きませんが、巻末の演出もニクい。私、映画館で観て「好きだな」と思った作品は帰りにパンフレットを買って、あとで何度も熟読する時間が好きなのですが、あのひとときのような、別の視点・観点から同じ物語を眺める感じがして文字どおり最後の最後まで楽しめました。

 

それから、装幀フェチとしてはぜひ本書の装幀にも言及しておきたいんだけど、まず、クラフト紙を思わせる色味と手触り。そして、直近で読んだ小説だと名取佐和子『金曜日の本屋さん 冬のバニラアイス』の表紙イラストも描かれている丹地陽子氏による装画のよさ。足元でクロスする紙屋さんの萌える座りかた。アームライトから注がれる素朴だけどきらきらしたあたたかな光。プレゼントにリボンをかけるように十字に伸びる紙のライン。それに沿わせたタイトル文字の配置。一見、静かなデザインなのだけど、カバーをめくると……紙屋さんの穏やかな表情の下に秘められた文章に対する熱意がさぁ!見えてさぁ!好き!!!!!「装幀 西村弘美」の文字にピンときて本棚を漁ったみたら紅玉いづき『ブランコ乗りのサン=テグジュペリ』の装幀にも同じ名前があったし、なんなら、もしやと思って読み返した装幀特集にも名前出してた。感動した。

 

 

 

私はこれからも考えすぎな文章を書いて生きていく

文章を書くなんて、誰でも使える日本語の単語を組み合わせるだけの作業でしかない。私のこのブログだって十五分やそこらで書けてしまう。文章を書くなんてことは日本人なら誰でもできるのだ。

 

(P147/L12~14より引用)

 

小説家を目指していた頃にどこかで「小説は、最悪、紙とペンさえあれば誰にでも書ける。だから小説家を目指すのは最後の手段にしよう」という旨の文章を見たことがあって、榮倉さんがブログに綴ったこの文章を読んだとき、あのときの感情が鮮明によみがえりました。

 

以前、甲斐田紫乃『塩見﨑理人の謎解き定理 丸い三角について考える仕事をしています』を読んで「無限の猿定理」を知った私なので、文章を書くことを「誰でも使える日本語の単語を組み合わせるだけの作業」と言ってしまう榮倉さんの気持ちも、今はわからないでもない。言語の知識がない猿だって延々とタイプライターを叩いていればいつかはシェイクスピアの名作をも打つことができるかもしれない。だけど、榮倉さん、そうじゃないんだ。

 

私は自分が綴る文章には真実しか書きたくなかった。それだけだ。

 

(P163/L1より引用)

 

大学は文学部に進学したので、学生時代はよく文学作品の分析や解釈の課題が出されたものですが、ある授業で苦労して作成したレジュメを配って発表したとき、教授に「あなたは考えすぎ」と皆の前で指摘され、以来、私には文章を書くのが好きだという気持ちにコンプレックスがつきまとうようになりました。今だって「きっと考えすぎだ」「独りよがりと笑われる」「無様に空まわりしているんだろう」と心のどこかで思いながらこの記事を書いてる。

 

それでも書くことをやめないのは、私も、紙屋さんのように自分が綴る文章には真実しか書きたくないから。好きなものには「好き」と伝えたいし、読んだときこんなことを思った・考えた・感じた、読んでよかった、出会ってくれてありがとう、という気持ちも全部なにもかも伝えたいから。紙屋さんはそんな自分を「ワガママ」と言ったけれど、人を動かす誠実なワガママで私も生きていきたい、と、この1行を読んだときに思いました。今の自分のままでもいいのかもしれないって、救われたんです。

 

「行間を読む」という言葉があるように、ただの文字の羅列に見える文章にだって、想いは宿る。そして人の心を動かすのは、いつだって、紙屋さんのように言葉と誠実にむきあった人が綴る想いだ。だから紙屋さんの言葉を、この小説をお守りに、私はこれからも考えすぎな文章を書いて生きていきます。

 

 

 

言葉を大切にしているすべての人に

長文におつきあいいただきありがとうございました。まとめです。ちなみに今回の記事の文字数は約3650文字。作中、紙屋さんの上司である栗丸さんが「会社は数字の連なりでできている。それがわかると会社がもっと面白くなる」と言っていました。長編の感想はいつもだいたい2000文字ぐらいなので、3650文字という数字から本書のおもしろさが伝わってくれたらいいのですが、どうでしょうか。

 

「今までに行ったことがない本屋に行ってみようかな。どこにしよう、……赤羽?」と完全な気まぐれで見つけた書店の平積みで偶然に見つけた1冊だったのですが、見事に良著。私たちが日頃何気なくあたりまえに使っている言葉、そして、言葉の連なりで綴られる文章が持つ力について考えさせられ、自分の原動力はそんな言葉や文章、小説への感謝と恩返しの気持ちなんだなと改めて実感することができました。本を読むのが好きな人だけでなく、小説家を目指している人、そうでなくてもSNSやブログなどで文章を綴っている人、手持ち無沙汰でなんとなく広告や成分表を熟読してしまう癖がある人(私)など、言葉や文章を大切にしている人にはぜひ読んでほしい作品です。今よりもっと読む・書くことが好きになること請け合い!

 

「少なくとも私はこれからもずっと読み続けたいです」

 

(P195/L17より引用)

 

当ブログは来年から4年目に突入します。どれだけの閲覧数よりも、なによりも、私にとって幸せな言葉はこんな言葉。「読みつづけたい」と思ってもらえる文章を私はちゃんとこれまで書いてこれたかな。まずは自分に誠実に。それから、1人でもいい、誰かに「読みつづけたい」と思ってもらえる文章を。そしてこれから先、死ぬまで、文章を綴って生きていけたらいいな。

 

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。