ショーニン・マグワイア『不思議の国の少女たち』(原島文世・訳)を読みました。まるでアリスのように“不思議の国”に迷いこみ、そして、現実世界へ帰ってきてしまったあとの少年少女たちを描くリアルとファンタジーの調和が新鮮でページをめくるのを惜しむように読んできたのですが、なにせ水のように「浸透していく」と言いあらわすのが一番しっくりくるような作品で、もちろん「おもしろかった!」とは言えるんだけど具体的になにがどうかはなかなか言葉にできない。だけどがんばる。今年の言葉にできない小説特集はもう3冊でアップしてしまったから!
その学校に入学するのは、異世界へ行った、不思議の国のアリスのような子どもばかり。つまり、“向こう”に帰りたいと切望する彼らに、現実と折り合うすべを教える学校なのだ。新しい生徒のナンシーもそんなひとり。ところが死者の世界に行った彼女に触発されたかのように、不気味な事件が……。ヒューゴー賞など3賞受賞、アリスたちの“その後”を描いたファンタジー3部作開幕。
――文庫裏より |
「あいつをひとりにしとくのはまずいぞ」とケイド。「気をつけろよ、いいか? 責める相手を探してる連中は大勢いるし、おまえはこの学校でいちばん身代わりにしやすい」
「前々からなにかでいちばんになりたかったよ」ジャックは冷静に言った。
「よかったな」とケイド。「じゃあ時間を守れってランディから説教される前に授業に行くことでいちばんになれよ」
(P112/L1~6より引用)
まず、なんといっても登場人物が皆、誰もかれも魅力的。誰と誰のやりとりを見ても萌える。たとえば主人公のナンシーは〈死者の殿堂〉から戻ってきてしまった、そして「帰りたい」と願っているゆえに普段はどこか冷めていて、だけど動揺するとかつての不思議な世界への旅の名残で彫像のようにピタリと固まってしまう癖もあって、ときどき突然固まってはみんなに驚かれる。なにそれかわいい。
上に引用したケイドとジャックも好きなんです。ケイドは物腰やわらかな面倒見のいい好青年風で(〈妖精界〉へ行っていたというのもうなづける)、対して〈ヴァンパイア〉の世界でマッドサイエンティストの弟子をしていたジャックは控えめに言うと「ちょっとズレた理系」。ここにナンシーやら〈骸骨の世界〉に行っていた少年・クリストファーやらが加わったやりとりにはそれぞれの旅路で培われた個性があって、素敵。ときどきはニヨニヨしながら読んじゃいました。
とはいえ物語としては耽美とばかりも言っていられず、ナンシーがここへ来てまもなく、あるショッキングな事件が起こります。そして最後に訪れる彼女のための物語とは――。
読む人によって、ナンシーやここで暮らす子供たちにとってなにがハッピーエンドか、という意見は違うのだろうけど、それすらも、当人たちには無意味な議論で。本を閉じるとき、ただ彼女たちのこれからがどうか平穏であってほしいと、私たちにはそれを願うことしかできなくて、それは、もどかしく、やるせない。
書を嗜む私たち読書家にとっての“むこう側”とは小説の世界。ときにこの世界にも「帰りたくない」「ずっとここにいたい」「こここそが自分の求めていた世界だ」と思える場所がある。彼女たちが“扉”を求める気持ちになんらおかしなところなどないことは私たちが誰よりも知っている。だからこそこの物語は残酷で、だけどそれ以上に、ああなんて純潔で美しい。
チャーリー・N・ホームバーグ『紙の魔術師』『硝子の魔術師』『真実の魔術師』3部作なども手がけた原島氏の訳なので、美しくもつるりとした喉ごしのナチュラルな言葉選びで本書もかなり読みやすかったです。他者の理解を得がたい世界を同時に持っている主人公という点ではニール・シャスタマン『僕には世界がふたつある』(金原瑞人,西田佳子・訳)も彷彿とさせました。帰ってきてしまったあとの物語なので他のファンタジー小説と比べると派手さがありませんがこの秘密と静寂で満たされた閉鎖的な世界が私はとても好き。
全3部作のうち2作目『トランクの中に行った双子』までが刊行済み、さらに来年春には3作目『砂糖の空から落ちてきた少女(仮題)』が刊行されるそうなので、とりあえずは2作目を入手して、まだまだこの美しい世界に浸ることにします。