2019年上半期も確実に好きなんだけど具体的にどこが好きなのか言葉にできなかった小説が生まれてしまったので、ふたたび特集を組みました。せめてこれだけは言いたいというGoodなポイントを中心に書き溜めましたので今年も小田和正「言葉にできない」を脳内再生しながらよろしくおねがいします。はじめます。

 

2018年版はこちら:

 

 

 

米澤穂信『本と鍵の季節』

お人好しで頼まれごとの多い主人公・堀川と頭は冴えるがどこか冷めている学友の松倉――2人の図書委員がそれぞれ異なる視点からタイトルのとおり本と鍵にまつわる6つの謎について推理する短編集。

 

高校生の日常にこの言葉は身近だろうか、こんなこと起こりうるだろうか、こんな結末があっていいのだろうか――本書を読むのに適切な時期をおそらく過ぎてしまった私としては気になる箇所も多く、ありのまま素直に受けとめるにはどれもあまりにやるせない6編なのですが、

 

「そうだな。お前が正しいよ、堀川」

 

(P198/L10より引用)

 

単なるミステリー小説ではなく、“正しい”とはなんなのか、「ミステリー小説の世界における謎はすべてが暴かれるべきなのか」という観点から、むしろミステリー小説に対するアンチテーゼとして読むとラストシーンはどれも哲学めいていて興味深く、個人的には好みかそうでないかの位置づけが難しい作品。

 

ただ、ミステリー小説が1ジャンルとして台頭し娯楽として消費されつづける昨今「ミステリー小説が好き」という人にはぜひ読んでほしい苦味のある1冊です。

 

 

 

 

 

絵空ハル『神楽坂愛里の実験ノート』

努力をなによりも尊び、農学分野でもがんばればノーベル賞を受賞できるのだということを証明するため東央大学の研究室で日夜研究に明け暮れるリケジョの大学院生・愛里が、不幸体質の後輩・颯太に巻きこまれる形で密室で起きた不可解な事件を解決していく長編小説。

 

「私は努力をしない人間が嫌いです」

 

(P60/L3より引用)

 

探偵のために事件が用意されるのではなく「科学を愛する学生」として努力を踏みにじられた者のために結果的には探偵になっていたという〈努力〉を主題にしたストーリー展開、そして、実験動物(ラット)の死を扱うことで「人が死んだのならともかくネズミだ」といった言葉一つひとつが考えさせられるという点で第1章「真夜中のパイドパイパー」は個人的には大変好ましかったのですが、残念ながら第2章「賭博師のラブシュプリマシー」が量産型のミステリーという印象で、この1冊全体でおもしろかったかどうかを判断するのは難しかったため惜しくもこちらの特集に組みこまれてしまいました。ごめんね。

 

本書がデビュー作ということで文章も少したどたどしく、ミステリーとしても弱いものの、努力の物語として人生に行きづまったときはまた読み返したいなと思える作品でした。そのときには第2章の印象も変わればいいんですけどね。

 

 

 

 

 

ジャン=ポール・ディディエローラン『6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む』(夏目大・訳)

パリ郊外の断裁工場で働くギレン。本が大好きなのに本を破壊する毎日にジレンマを抱えている彼は、あのおそろしい機械が食いそこねたページをこっそり持ちだしては、翌朝、通勤電車の中で朗読することで本を往生させている。ところがある日、電車内で赤いUSBを見つけたことから、彼の憂鬱な毎日が一変することに。長編小説。

 

個人的には前半の雰囲気が好きだったので、後半思っていたのと違ったなというのが引っかかります。たしかにジュリーの日記は冴えていておもしろいけど、知らないところで朗読されているというのはどうなんだろう、私は耐えられない。

 

「いいか、言葉には流れがあるんだ、それを絶対に切るんじゃないぞ! 一気に最後まで行くんだ。最後にピリオドがお前を解放するまでは、止まらずに通り抜けるんだ!」

 

(P35/L8~10より引用)

 

さすがはフランスのお国柄といいますか、言葉選びがとても美しく、言葉を大切にしている人が書いて、そして言葉を大切にしている人が翻訳されたことがひしひしと伝わってくる文章が本書最大の魅力。物語は「朗読」がひとつのキーワードになっていますが、読んでいると、実際に本書を朗読したくなってくること請けあいです。

 

子供の頃に散々からかわれた名前、本を愛しているのに死へ追いやらなければならない仕事、数少ない風変りな友人たち、どんな話も黙って聞いてくれるペットの金魚……1つひとつは平凡でありふれた存在でも、それがギレンの元で構成されることで、「ギレン・ヴィニョール」という人間になり人生になる。起承転結の起伏はあまりありません。だけど丁寧に綴られたギレンの日常にはどういうわけか惹きつけられる。それは言い換えれば、平凡な自分とその人生さえ、彼が拾ったUSB(ある化粧室接客係の日記)のように誰かを惹きつけることがあるかもしれないということでもあり。読後は優しい気持ちになれて、そして、ちょっぴり勇気がわいてきます。

 

 

 

 

 

白河三兎『田嶋春にはなりたくない』

空気が読めない正論モンスターの大学生・田嶋春、通称「タージ」。彼女がこんなにも周囲に鬱陶しがられてしまうのは、誰よりも正しく、公平で、優しいから――。彼女に翻弄される大学サークル〈N・A・O〉のメンバー、会長、生協職員、アルバイト先の先輩などの5人の視点を通してキャンパスに潜む人々のさまざまな日常と思惑を紐解く青春ミステリー。章でわかれていますが連作短編集と言って差し支えなさそうです。

 

「素晴らしいことです。世の中には個人の傘はなくて、どの傘もみんなで自由に使っていいんですよ。なんて優しいルールなんでしょう」

 

(P41/L10~11より引用)

 

たとえば平然と盗みが横行する傘事情だってこんなふうに捉えてしまうタージの前では誰もがなにかしらの悪意を持っていて、しかし読者はそんな彼らの目線でこの世界を共有することになるので、読んでいてあまり気持ちのいい小説ではありません。なのに、どうしてなんだろう、読後は本書を「手放したくない」と思ってしまう。個人的には3章と5章が好き。

 

案外、田嶋化するのは難しくないかもな。自分を見守り、自分を信じ、自分を愛すればいいんだ。そんなにハードなことじゃない。他人を愛するよりはずっと簡単だ。

 

(P314/L2~3より引用)

 

改めて表紙を眺める。 彼女をマイノリティに仕立てあげ 「なりたくない」と煙たがるのは、性善説を信じたい者たちの、嫌悪感ではなく嫉妬や羨望なのかもしれない。彼女が「一番こわいもの」として挙げたまさしくその「消去法」で消してしまった可能性。他でもない自分を信じ、人を想い、正しくあろうとする無垢の人間。「なりたくない」と自分に言い聞かせているその姿を、田嶋春を、きっと私は見ていたいんだ。

 

通称の「タージ」からして、インドのタージ・マハルとなにか関係が?と思ってサクッと調べたのですが、ムガル帝国第5代皇帝のシャー・ジャハーンが愛妃のムムターズ・マハルを埋葬する場所として、国が傾くほどの費用と22年もの歳月をかけて築きあげた霊廟だそうですね。まさに人を想い、「愛する人へ」という自分の信じる“正しさ”を成し遂げた、これもまたひとつの無垢の結晶です。そんな無垢の名を持つ田嶋春の物語。あなたは彼女に「なりたくない」と思いますか?

 

 

 

参考にしたサイト一覧

知ってる? インドのタージ・マハルが建てられた訳?┃
https://tg.tripadvisor.jp/news/advice/taj_mahal_romance/

 

タージマハルを旅する人へ、歴史や見どころなど19の実践アドバイス┃
https://tg.tripadvisor.jp/news/advice/tajimahal-19advices/

 

 

 

ニール・ゲイマン『墓場の少年 ノーボディ・オーエンズの奇妙な生活』(金原瑞人・訳)

ある夜に起きた一家惨殺事件。唯一の生き残りで今まさに“男(ジャック)”に追われているよちよち歩きの赤ん坊が家を抜けだしてだどりついたのは、生をまっとうし、今は穏やかに永劫の時を過ごす者たちの住まう墓地だった。「息子を守ってください!」たった今亡くなった母親の幽霊に頼まれ、オーエンズ夫妻をはじめとした墓場の幽霊たちによる世にも風変りな子育てがはじまる――。長編小説。

 

著者曰く「『ジャングル・ブックⅠ』および『ジャングル・ブックⅡ』に多大なる恩恵をこうむった」作品だそうで、長編小説として時系列的にはまとまっていますが、章ごとにエピソードがくっきりわかれているので個人的には断片的というかとりとめがないといいますか、うーん、ちょっとちぐはぐな感じがありました。主人公・ボットの勇敢で聡明でときどき危なっかしいところはチャーリー・N・ホームバーグ氏の『紙の魔術師』からはじまる3部作の主人公・シオニーに似ていて愛おしいです。

 

「それでうまくいくの? 死んだら、幸せになれる?」
「ときにはな。だが、たいていはちがう。よそに行って暮らしたら幸せになれると信じていた人間が、そうはならないと思い知らされるのに似ている。どこに行っても、自分は自分ということだ。わたしのいいたいことがわかるか?」
「なんとなく」

 

(P105/L10~14より引用)

 

本書を読み終わって最初に思いだしたのは、先日たまたま聞きかじった名優・高倉健氏の「人生っていうのは、人と人の出会い。一生の間にどんな人と出会えるかで、人生は決まるんじゃないですか」という言葉でした。

 

ボッドを成長させるものは、ときにオーエンズ夫妻をはじめとする墓場の幽霊たちであり、魔女のライザであり、人間でも幽霊でもない後見人・サイラスであり、またあるときは友達のスカーレットをはじめ学校の悪ガキニックとモーや怪しげな店の主人・アバナザーとその仲間のトムなどの人間たち。さまざまな出会いと体験から学んで「坊や」から少年へ成長していくボッドのラストシーンに思うのは、“なに”が人を育てるのか、ということ。どこに行っても自分は自分。私は小説に育てられた。僕はゲームからたくさんのことを教わった。たとえばそんな人と人生があったっていいじゃないですか。人を育てるものが必ずしも親であり人である必要なんて、きっとない。

 

本書を読むあいだちょうど甥の面倒を見る機会があったので、まだ1歳にもならない甥を抱きながら、本書のあらゆる場面や言葉が頭に浮かんでいました。大きくなったら広い世界へ出ておいき。そこで、さて、きみはどんな名前と宝を見つけてくるんだろうね。

 

「名前ならわかっている」ボッドはいった。「ノーボディ・オーエンズ。それがぼくだ」冷たい祭壇に膝をついていると、すべてがとても単純な気がした。

 

(P303/L4~6より引用)

 

印象的だったのはこの言葉。私の本当の名前と、それから、この数年間で少しずつ大切に育ててきた「麦」という名前を大切にしようと思えました。

 

 

 

 

 

倉知淳『作家の人たち』

原稿、印税、締切、書評、連載、ライトノベル、文学賞選考会……このブログで扱った作品だと『ほうかご探偵隊』の著者でもある本格ミステリー作家・倉知淳氏がユーモラスな筆致で出版業界の内幕についてきっちり「ただの悪ふざけ」をした、本好きにはたまらないエンターテインメント短編集。

 

帯には「ありそうでなさそうで、やっぱりありそうな!?出版業界内幕小説。」とありますが、リアルな感覚は持ちこまず、もはや自分がいるのとは別の世界線の笑い話と割りきって読むべし。「らのべっ!」なんかは最初から最後まで声出して笑ったし、かと思えば、

 

せめて酷評でもいいから反応がほしい。いつも俺はそう思っていた。誰かに読んでもらっているという確証を得たい。自分の小説が読者に届いているという確信がほしい。関心だけでも持ってもらいたい。だけど、誰一人として俺の本については語ってくれないのが実際のところだった。

 

(P255/L5~8より引用)

 

読者として、読書ブロガーとして、はっとさせられる一幕があったり。著者自身は「悪ふざけ」と言っているけれど、本人の意図しないところにまで想像をめぐらせて楽しもうとするのが我々読者という生きものなので、本書にもそういう齟齬があっていいですよね、倉知先生?

 

個人的には「悪魔のささやき」「らのべっ!」あたり文句なしにおもしろかったけど、一時は小説家を夢見ていた経験もあるので「夢の印税生活」や「遺作」のもどかしさも印象的でした。小説、そしてそれを紡ぐ作家たちのいいも悪いも含めたすべての“可能性”を示した1冊だと思います。私も小説を読んだこと、そのとき感じたこと・考えたことは、あらゆる手段を模索しながらなるべく言葉を尽くして語りたいなと。

 

記憶がかなり古いので実際のところどうかわかりませんが読んでいるときは東野圭吾『歪笑小説』を思いだしていました。テイストは似ていたような気がする。当時はあまりピンとこなかったけれど本書でゲラゲラ笑った今のタイミングなら昔は見つけられなかったおもしろさや気づきがあるかもしれませんね。これを機に読みなおすのもアリかも。考えておきます。

 

 

 

 

 

草野なつめ『ミネルヴァの梟は飛び立ちたい ~東雲理子は哲学で謎を解き明かす~』

「本当の哲学」を探すためヨーロッパへ行った父を追うように、城京大学大学院に進学しカントの「二律背反(アンチノミー)」を研究することを決めた主人公・理子が、指導教員の大道寺とともに、哲学に対する知識と愛を武器に日常のさまざまな場面で浮上した謎を解き明かしていく日常ミステリーの連作短編集。伏線の回収具合から察するにシリーズとしておそらくまだつづくでしょう。

 

哲学がテーマということで小説とは別に哲学にも興味がある私個人は楽しめましたが、物語としては著者があとがきで「ライトミステリー」と記した以上に謎の真実がライトだし、どちらかというと〈哲学を日常に応用するとこんな具合です〉という具体例を提示した哲学の入門書みたいな筆致・構成なので、小説としてではなくもうそういうつもりで読んだほうがしっくりくると思います。

 

哲学といっても思考実験が好きでそのへんの本を読んでノートをとって独学で勉強している程度の私なので、カントやソクラテス、ニーチェなど基礎的な部分を日常に当てはめながら物語として読めるという点はかなり助かりました。理子の研究テーマであるカントの「二律背反」やプラトンの記した『饗宴』、ニーチェの『道徳の系譜』などの話が個人的には興味深かったです。

 

途中から学術書を読むときの脳みそにシフトして読んでしまったので小説としての感想は書けませんが(でも好き)、最後に読書ブロガーとして惹かれた一文を引用してこの項目を締めます。

 

「ええ。創作の現場などで、自分はオリジナルな言語活動をしていると豪語するひとでも、日本語なら日本語という、同じ言語を使用しています。『自分だけの表現』などというものはありません……仮にそんなものがあったとしても、それは誰にも通じない・・・・・・・のです」

 

(P224/L16~17より引用)

 

 

 

 

安東みきえ『頭のうちどころが悪かった熊の話』

文字どおり「頭のうちどころが悪かった」熊や「池の中の王様」たるカエルなど、さまざまな生きものによる15ページ程度のおはなしを7編収録した寓話集。ユニークな挿絵つきなので絵本を読んでいるような心地です。

 

個人的には、おなかがすいてキツネを食べてしまったトラが泣いているところからはじまる「いただきます」と過去・現在・未来をヘビのユニークな視点で描いた「ヘビの恩返し」、純真でまっすぐなオタマジャクシのハテが愛らしい「池の中の王様」が印象的でした。

 

たとえば、

 

「きみをさがしていたんだよ」

 

(P20/L5より引用)

 

今ここにある〈幸せ〉と、もしかしたらそこにあったかもしれない〈幸せ〉とはなにが違うんだろう。

 

「おいら、食われたおかげで、コソコソしたキツネから強いトラになれるんだぜ。悲しいことなどあるもんかい」

 

(P28/L9~10より引用)

 

私たちの「悲しむ」という行為は、本当は、とてもひとりよがりな行為なんじゃないか。

 

「過去のぼくも未来のぼくも本当のぼくじゃない。今のぼくだけが本当のぼくっていえるのさ。今のぼくをきちんと見ろよ。親だったら正面きって向き合えよ」

 

(P51/L9~11より引用)

 

過去にも未来にも影響する大切な瞬間だって、わかっているはずなのに、どうして“今”を大切にできないのか。

 

でもわかっているのは、ぼくの世界ではぼくが王様ってこと。

 

(P89/L3~4より引用)

 

たった15ページほどのささやかでヘンテコな物語の中を生きる生きものたちに気づかされる、普遍的で愛おしい真実たち。物語の感想を語りあうよりも、あなたはどんなことを思いだした? ――そんなふうに人と共有したくなる1冊です。

 

 

 

 

 

大山淳子『あずかりやさん 彼女の青い鳥』

明日町こんぺいとう商店街の西の端でひっそりと営業している不思議なお店〈あずかりやさん〉。1日たったの100円で事情も聞かずになんでも丁寧にあずかってくれる盲目の店主に惹かれ、今日も、さまざまな秘密を抱えた人々が大切なものをあずけていく――。シリーズ3作目の連作短編集です。

 

そうか、空を飛ぶってこういうことか。飛んでいることに深い意味はなくて、ただひたすら途中なのだ。めぐり着くために飛んでいて、めぐり着いた先に意味があるのだ。

 

(P39/L5~6より引用)

 

今作は看板猫「社長」の身体に居候するノミ(!)にはじまり、老女、ルリビタキ(鳥)、里田ぬるまの作家“生命”に関わる原稿の話へとつづき、時間を象徴する時計を視点にした言わずもがなの物語と、全体を通して「命」というテーマが横たわっているように感じました。そして彼らが見ているのはいつかやってくる未来でも、これまで積み重ねてきた過去でもなく、どこまでも、どこまでも“今”この一瞬なのです。私は100円均一ストアで〈1日3品〉と決めた奇妙な買いものをつづけるおばあちゃんの閉ざされた過去を描いた「スーパーボール」と原稿の視点から作家という生きものを描いた「かちかちかっちゃん」が好きかな。

 

作品のクオリティは安定しており、おそらく過去2作と大きな差はありません。それが、シリーズ3作目、なぜ単体の感想記事を書きつづけてきたはずが今作はショートレビュー特集に組みこまれてしまったかというと、……これは個人的な話になるのですが、本書を読むまでのあいだに身についた知識や培われた感性の変化・成熟の過程で先に書いたテーマやメッセージ性というのはすでに自分の中に浸透していて、特別琴線に触れる部分がなかったからなんだと思います。それはもちろん本書が悪いということではなく、ただ、私が読む最適な時期を逃してしまったというだけで「よかった」という感想は揺るぎません。なので事細かな感想は書けませんがおすすめとしてここにしっかり残しておきます。

 

読書ブログというものは基本的に一期一会だと思っていますが、もしも定期的にここに遊びにきてくれる読者がいるのであれば、こういう私の成長というライブ感も楽しんでくれていればうれしいんですけどね。

 

なんの話?

 

 

 

 


 

 

以上、2019年上半期に読んだ小説(6月30日時点で33冊でした)の中から確実に好きなんだけど具体的にどこが好きなのか言葉にできなかった小説を9冊、どうにかこうにか言葉にしました。それではまた年末あたり、【2019年下半期】編でお会いしましょう。

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。