!ネタバレ注意!

本記事は澤村伊智『ファミリーランド』に関する考察記事です。作品の内容や結末について本文を引用しながら書いているので、作品を既読である、またはネタバレを承諾する場合のみ閲覧することを推奨します。また、記載される内容はあくまで筆者個人の意見です。以上のことに同意していただける方のみ続きをお読みください。

澤村伊智『ファミリーランド』を読んだんですけど、今回もやっぱりネタバレが前提じゃないと感想が書けなかったので普通に考察記事になってしまいました。1週間ぐらい作業してた気がする。というわけで、既読またはネタバレOKのみなさん楽しんでいってください。

 

 


 

コンピューターお義母さん

 

一緒だよ、本物だろうと別人だろうと。

 

(P40/L4より引用)

 

義母本人の死後も全国に散らばった有志たちが本人を真似て“オンライン姑”を演じつづける――近未来の不気味な話のように聞こえるけど、現代の時点で、たとえばアイドルのブログでも日常や心情を綴っているように見せかけてボロを出さないように事務所が検閲しているケースはざらだし、Twitterにも二次元キャラのなりきりbotとかごまんとあるし。やっていることは同じ。もともと人間には誰にでもペルソナという外向きの仮面があって、しょせんフィクション、と他人事にはできない。

 

つまり、アンディにとってオモチャたちはあくまでガラクタで、オモチャたちにとってアンディは持ち主で、それを双方が了解しながらも親友や家族に類するような関係を構築していくさまを描くのが『トイ・ストーリー』シリーズなのである。

 

(菊池浩平『人形メディア学講義』P42/L12~14より引用)

 

菊池浩平『人形メディア学講義』の中では映画『トイ・ストーリー』のアンディとおもちゃたちの関係を「共犯関係」と呼んでいます。葬儀が終わり、祖母が死んだことを理解したうえで他人の演じる「コンピューターお義母さん」を受けいれた健人の心境はこれに近いのかもしれない。私が私であるために重要なのはなにか?という話ですね。これは哲学的な問題で答えは個々に違うでしょうから、誰が正解とかないのがもどかしいところです。現状維持は本人が意図してそうしなければ絶対に起こらないことなので私はあまり良い決断だとは思わないけど。

 

甲斐田紫乃『塩見﨑理人の謎解き定理 丸い三角について考える仕事をしています』の中に「無限の猿定理」というのが出てくるんですけどね、

 

「猿にタイプライターを与えて、好きなようにキーを叩かせるとする。当然、そこに生成される文字列はほとんどが意味不明のものだろう。だが、意味の通る単語が偶然生成される可能性もまたあるわけだ。非常に低い確率ではあっても」

 

(甲斐田紫乃『塩見﨑理人の謎解き定理 丸い三角について考える仕事をしています』P140/L12~14より引用)

 

私である価値を文字の中に見出すためには、刻一刻と変わる私の内面の世界をありのまま表現していくことが大事なんじゃないかと思うんです。砥上裕將『線は、僕を描く』の中で湖山先生が言った「心の内側に宇宙はないのか?」ですね。だからこそ姿の見える動画コンテンツが台頭してきているんだろうけど、一方で文字の世界はこれからより個性と人間性が問われるようになるでしょう。そうなったら考えることは楽しい!という熱量だけでやってるウチのブログは勝ちですよ、Mugitterはカロリーの暴力、読書界のバーガーキングだから。

 

話を戻して、私たちが将来「コンピューターお義母さん」を生みださないために必要なことは、世界に画一的な意味や役割、価値、キャラクターを押しつけず物事すべてが多面性をもっていること自然を受けいれることだと思います。

 

 


 

翼の折れた金魚

 

ジュリアン・バジーニ『100の思考実験 あなたはどこまで考えられるか』(向井和美・訳)の中にアントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ』を題材にした“犯罪忌避療法”の思考実験がある。要約すると、このプログラムは「常習犯に対して、不快だが長くはかからない治療を施し、過去に自分が行ったたぐいの犯罪について考えただけで、嫌悪感を催させる」ものであるが、ある市民団体は「たとえこの療法が完全に自発的なものであっても、これは洗脳であり、個人の基本的自由と尊厳を否定するものだといって騒いでいる」のだという――。

 

コキュニアが普及して知能が高く健康的な金髪碧眼の〈計画出産児〉が主流になったというこの話は、犯罪忌避療法に似ているなと私は思ってしまう。主人公・彬のコキュニアと計画出産児に対する絶対的な信頼もある種の確証性バイアスだし、ちょっとした洗脳状態だ。

 

「言葉どおりの意味での計画はしました。わたしが若い頃は『妊活』なんて呼んでいましたが。でもそれ以上のことはしなかった。薬剤で子供の身体を変化させることに抵抗があったからです。わたしも夫も」

 

(P66/L5~7より引用)

 

感情論だけで言えば、コキュニアを飲まずに無計画出産児の玖羅葉くらはを産んだ磨綺那まきなの意見に賛成。だけど、実際に突きつめて考えていくとこの議論ってすごく難しいんですよ。子供が先の人生を生きやすいようにと身体に手を加えることを悪としてしまったら、それってたとえば整形や義手・義足などの否定にもつながらない?「薬剤で」という部分を引っぱってきても持病を薬で調節する子もいるわけだし。

 

ただ、そもそも先に挙げた本の中でジュリアン・バジーニはこんなことを記しています。

 

洗脳というとかなり衝撃的に聞こえるが、わたしたちの振る舞いはその多くが、両親と社会全体から、そのときどきに肯定され否定されることで育まれてきた習慣のようなものだ。要するに、わたしたちはみな、生まれたときから少しずつ洗脳されているのだ。ただ、洗脳が素早く行われた場合や、意に沿わない結果になった場合だけ、突如として倫理的に好ましくないものになってしまう。

 

(ジュリアン・バジーニ『100の思考実験 あなたはどこまで考えられるか』(向井和美・訳)P316/L15~P317/3より引用)

 

もともと妊娠自体が子供本人のあずかりしらぬところで起きていることなんだから、彬は無計画出産を頭ごなしに「虐待だ!」と糾弾するならコキュニアを服用したかどうかで差別が生まれる社会に子供を産んだすべての親を等しく糾弾するべきなんじゃないかと思いますけどね、美羽と仲よくコキュニア服用して子供を授かった自分自身を含めて。

 

物語の舞台は近未来ですが、本当に変化させなければいけなかったのは子供たちではなく、科学技術ばかり進化して未だマジョリティが正義であると勘違いしたままのさばっている旧世代の大人たちの認識だったんじゃないかな。

 

 


 

マリッジ・サバイバー

 

パノプティコン:

イギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムが考案した姿は見えないが監督者は常に存在している一望監視施設。のちにフランスの哲学者ミシェル・フーコーは刑務所だけでなく近代社会全体がパノプティコン型をしていると説いた。

 

岡本裕一朗『いま世界の哲学者が考えていること』によればパノプティコン社会の特徴として

 

①「監視する者」と「監視される者」の非対称性
②「監視」によって人々が規律訓練(あるいは調教)されること

 

を挙げているんだけど、もうこれ静香を監督者とするパノプティコンでありそもそもがエニシを監督者とするパノプティコンでもあるというWパノプティコンじゃないですかやだー。

 

監視によって訓練・・された“善良な夫婦”とははたして本当に善良で幸福な夫婦なんでしょうかね。社会が提示する「幸福」は満たせるかもしれないけどきっと個人の「幸福」とは必ずしもマッチしない。それは現実の世界も同じ。そのとき社会と個人とでは、どちらが優先されるべきなんだろう。

 

〈俺〉に同情する気持ちもなくはないけど、まぁでも、そもそも結婚指輪自体の起源が心臓につながる血管を守るための魔除けですから。古代エジプトの時代から結婚=心臓→感情をたがいに掌握する契約だったわけです。ステータス欲しさにひとりの人間に己のすべてを預けることができるのかって熟考できなかった彼にも非はあったかなと思う気持ちもあります。

 

しかしこのアフターケアが常識化している社会っていうのは空恐ろしいですね。パートナーの今現在の居場所とか体温とか脈拍知ったところで自分にできることってなに?邪推?体調管理とか危機管理とか相手のそういった面も含めての信頼関係が夫婦なんじゃないんですか。

 

人間やっぱりね、やってはいけないと言われたことほどやりたがるもんですよ。私だって横断歩道は左右確認してからわたるし、会計するときは「おねがいします」と「ありがとうございます」言うし、優先席は空けるようにしてるけど、マインクラフトやるときは雪山の頂上から溶岩流してゲラゲラ笑ったりするし。人間も社会もなんだって一個人に対してできることは限られてるんだから、信頼しているからこそ抜け道は必要だと思うな。それを説くにはビジネス婚とわりきった〈俺〉と静香の信頼関係は不十分だった、ということです。

 

「言ってよ、夫婦でしょ。困った時は、た、助け合って……」

そこでぼろぼろと大粒の涙を流すと、静香はわっとテーブルに突っ伏した。

 

(P123/L3~4より引用)

 

静香については、最後の反応を見るにビジネス婚と言いつつここからきちんと恋愛をして将来的には恋愛結婚になることに期待があったんじゃないかという気持ちが半分。加えて、ビジネス婚からの恋愛結婚が〈俺〉に対してではなくもともとのスタンスだったとしたら〈俺〉が捕まったあとも案外さっさと頭を切り替えて婚活するんじゃないかって気持ちが半分。静香の心情やいかに。

 

サバイバーとは「生存者」のこと。指輪による監視から逃れた〈俺〉か、コミューンでの監視と指輪の監視を切り離して考えることができた静香か、監視を愛情か信頼と勘違いしたまま結婚生活を楽しむ他のエニシ出身者か、はたまたエニシの提供する「結婚」が常識となった世界とは別の世界に住む私たちか――はたしてこの結婚における「生存者」とは誰を指した言葉なのでしょうか。

 

 


 

サヨナキの飛んだ日

 

ここからひとつの仮説が導き出される。それは、どこかの誰かがほんの束の間でも単なるモノとは異なるなにかを見出す瞬間、ひとのかたちをしていようといまいとそこには《人形》が生まれ得るのではないか、というものだ。

 

(菊池浩平『人形メディア学講義』P10/L7~9より引用)

 

本来の存在意義を超越した安心するもの、愛着のあるもの、依存しているものが人には誰しもある。平然とサヨナキに親しむ瑠奈が異様に映るのであればたとえば私たちの世界のスマートフォンやSNSに置き換えてみればそれほど不自然な話ではないし、依存や束縛という点で雪江が異常に見えるのであれば自分の対人関係における嫉妬やいらだちをふりかえってみるといいかもしれない。家族よりも信頼できるものはあるし、自分の思いどおりにならない人間に焦ることもまた往々にしてあるものです。

 

子供を「つくる」という言葉に私はいつも違和感を覚えるのですが、子育てにおいて絶対に間違ちゃいけないのは子供を自分の都合のいい子につくりあげることじゃない、ということだと思います。「翼の折れた金魚」で私たちは生まれたときから少しずつ洗脳されているというジュリアン・バジーニ『100の思考実験 あなたはどこまで考えられるか』の文章を引用しましたが、子育てがどうしても洗脳になってしまうとしたら、せめて子供が自ら洗脳を逃れる選択肢を親としてたくさん用意してあげたいですね。自分まだ未婚ですけど。

 

サヨナキという名前が耳新しかったので、ちょっと調べてみました。

 

名称はたぶんサヨナキドリが由来。ナイチンゲールの名でも知られる、と。自宅看護用小型ロボットだもんね、なるほど。

 

話の筋に関しては、アンデルセンの童話のひとつに「小夜啼鳥」という話があるそうです。美しいサヨナキドリに魅了された中国の皇帝がいつしか宝石に彩られた細工物のサヨナキドリにうつつをぬかし、死の淵でふたたび本物のサヨナキドリの声を聞いた皇帝は復活する――ははぁ、自分の思いどおりになることに気をとられて本質を見失うという点で「サヨナキが飛んだ日」と「小夜啼鳥」は似ていますね。ギリギリのところで本物のサヨナキドリの声を聞いて皇帝は復活しますが、対して、娘の本心を聞いてなお自己の妄執に固辞する雪江。救いなどなかった。

 

救いがあるとすれば、「マリッジ・サバイバー」の考察でパノプティコンだー!と騒いだエニシが雪江の時代には本当に国家レベルの陰謀が画策されているとしてなんやかんやあって閉鎖されていたことだけ。この世界線ではエニシを回避してもみんな物理的な生存者サバイバーにしかなれないのか……。

 

ハッピーなオタクとしてはサヨナキを通してささやかに交流をつづけている瑠奈と圭介くんを全力で応援したい人生だった。サヨナキと自然に対等な関係を築ける瑠奈が好きだし、一流企業とか鳥人とかどうでもよくて!私は!役目を終えたサヨナキをなお大事に抱えるぼさぼさ頭で無精ひげのしわくちゃスウェット圭介くんがめちゃくちゃ好きだったのに!(´;ω;`)

 

 


 

今夜宇宙船ふねの見える丘で

 

最終的には四肢を切断した父親を石嶺の協力で宇宙船にでも乗せて飛ばすんだろうか、と考えてたけどまさか宇宙人側が先にそれやってくるとは思わなかった。高校時代に興味本位でちょろっと読んだだけだから全然うろ覚えで言うんですけど江戸川乱歩の「芋虫」もこんな話じゃなかったでしたっけ?あ、四肢切断しか共通点ない?

 

昔「グレイ型の宇宙人は未来の人間の姿」っていう都市伝説を聞いたことがあるんですけど、たしかに現代人がもっとも酷使してるのって目、あとは耳と脳が残るくらいで、他もう退化してなくなっちゃうかもな。イメージ画像がほぼ完全にペルソナのオモイカネ。

 

さて、伸一の大学時代の同期として登場する石嶺泰明といえば「コンピューターお義母さん」の主人公〈わたし〉こと恵美の旦那ですね。

 

「あの時は本当にそのつもりだったかもしれないけど、今は事情が違うんじゃないのか。ブログで読んだよ。先月、お母さんを老人ホームに入れたんだって? それもかなりいいホームに」

 

(P196/L4~6より引用)

 

伸一の台詞を見るに、時系列的に地球が姥捨山化するという今回の話は咲子を老人ホームに入れたあと「コンピューターお義母さん」の話に至るまでのあいだに起きた出来事ということになります。そうなってくるといろいろ考えるのが楽しくなるよね。

 

「コンピューターお義母さん」での近未来ながら平穏無事な生活風景を見ると泰明たち関係者は次々舞い降りてきた異星人たちをひとまず一般市民には上手く隠蔽したことになる。その後、彼らを養うかなんらかの措置が秘密裏にとられたはずで、そのうえで泰明が恵美に「残酷な言い方だけど、もう少しの辛抱だから」と言ったんだとしたらいやにドライな言葉もある種“慣れ”からきているのかもしれないと腑に落ちる。で、このとき異星人たちを養うという方向に話が進んでいたらコンピューターお義母さんを務める「全国五百七十一世帯でオンライン姑をしているエキスパート集団」とやらの正体は働き口を見つけて余生を過ごす異星人かもしれなくて、その世界線の場合「彼らはもっと狡猾に首尾よくやるでしょう」って咲子の言葉がこわすぎるんですが?他人どころか人ですらない。でもインターネットのむこう側にいる相手が人だろうが異星人だろうが、本物だろうと別人だろうと一緒だよって佐川さんが言ってた。ひぇ……。

 

そもそもね、UFOなんて飛ばせる地球よりはるかに文明が進んだ星とそこで暮らす生物が存在するとして、じゃあ地球なんて発展途上国(星)になんの用があるかって疑問はたしかに前々からあった。

 

技術の差から考えて絶対に対等には見られていませんよ。人類が月や火星を新たな居住地の候補に考えているなら当然それ以上の技術と知能をもった異星人だって同じかそれ以上のことを考えるでしょう。ただ居住地にするには我々先住民のせいで環境がよろしくない。他に利用価値はあるか?って考えたら、姥捨山にされる可能性をフィクションと笑ってもいられないのだなと気づかされてしまいました。知らなくてよかった事実。

 

今年9月に米海軍が空で捉えた飛行物体を「未確認航空現象」に分類して調査していることを認めたって風の噂で聞きましたけど、もしも本当に異星人がいるのだとしたら、さて、私たちは仲よく共存できるのでしょうか。

 

 


 

愛を語るより左記のとおり執り行おう

 

ここにきて、最後まさかの涙。

 

祖父の葬式を思いだしました。じーちゃんのこと大好きだったんです。遊びに行くたび「食うか?」ってあれもこれもと食わされて、喉が渇くと「自販機で好きなジュース買って来い」ってがっつり500円玉くれるし、腰揉んでやると「あ゛あ゛あ゛~~~」ってめちゃくちゃ気持ちよさそうにするのがおもしろくて、豪快で、優しいじーちゃんだった。お葬式のとき、大好きだったけど照れくさくて直接は伝えられなかったこと、たくさん、心の中で伝えたんだ。……うん、泣きそうなので本題に移ります。

 

時代の流れとともに、葬儀はもちろんその他いろんなものが変わっていくのは自然なことだと思う。作中〈私〉は《そよかぜの間》で母を見送ったことを「恥ずかしく思えた」「馬鹿らしく感じられた」と語っているけど、故人を見送る気持ちは春介たちのそれとなにも違わない。どちらが良いとか悪いとか、カズさん、本当はないはずだよ。感動する気持ちは素敵だけど、どうか自分のことをあまり責めないであげてね。

 

私も実際に葬儀の準備を進める母や伯父たちを近くで見ていたから、故人にとって、遺された人たちにとって葬式をめぐる意見がそれぞれあることはわかってる。だけどこういう儀式が必要な人はたしかにいるし、そういう人たちにとってはどれだけお金がかかろうとどれだけ手間のかかることであろうと、大切な時間なんだってあのとき感じたから。せめて必要な人たちの中でだけでもいい、古くからあるものは、これからも受け継がれていくといいなと。

 

私個人にできることは少ないけど、残せるもの、伝えられるものはできるだけたくさんこういうところに残して伝えていきたいね。それに価値があるかどうかは未来の人たちが決めてくれる。ではちょっと失礼して。コホン。

 

(……聞こえますか……聞こえますか……未来の人間よ……麦です……今……あなたの……心に……直接……呼びかけています……今日は……せめて左記のことだけでも……念入りに……頭に叩きこんで……帰るのです……)

 

一、『ファミリーランド』はグッドな小説である。
一、作者の名前は澤村伊智である。
一、めちゃおすすめである。

 

(ファミチキ……ください……)

 

 

参考文献およびサイト一覧

 

菊池浩平『人形メディア学講義』(河出書房新社)

ジュリアン・バジーニ / 向井和美・訳『100の思考実験 あなたはどこまで考えられるか』(紀伊國屋書店)

岡本裕一朗『いま世界の哲学者が考えていること』(ダイヤモンド社)

甲斐田紫乃『塩見﨑理人の謎解き定理 丸い三角について考える仕事をしています』(宝島社文庫)

 

サヨナキドリ – Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A8%E3%83%8A%E3%82%AD%E3%83%89%E3%83%AA

 

小鳥啼鳥(童話)- Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%A4%9C%E5%95%BC%E9%B3%A5_(%E7%AB%A5%E8%A9%B1)

 

米軍戦闘機が撮ったUFO映像「本物」と米海軍が認める┃ワールド┃最新記事┃ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/09/ufo-3.php

 

Ranking
Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。