村木美涼『窓から見える最初のもの』を読みました。前回の野崎“まど”からの連想じゃないよ。『箱とキツネと、パイナップル』を読む前からこれおもしろそうとメモしていた小説だったんだけど偶然にも同作者でした。すごくよかった。村木さんはやっぱり美味しい天然水みたいな物語を書く人だなと。
相沢ふたば、藤倉一博、連城美和子、御通川進、4人を主人公にしたミステリーが交互に展開されていきます。たしかに出会ったはずなのに他の誰も存在を知らない「湯本守」という青年、天才画家が残した幻の6本腕の女の絵、父が頑なに喫茶店と過去の話を避ける理由、まったく間に覚えのない行方不明者届……。
「ほらほら、そうやってすぐに、自分を責めなさんな。ふたばのせいじゃないことのほうが、世の中、圧倒的に多いんだからね」
個人的に共感が多かったのはやっぱりふたばの話。だけど御通川の話も事の大きさとミスマッチな文体のコミカルさがよくて、これも好き。藤倉の話はどことなく高山羽根子『如何様』や『嘘八百』(映画だけ観た)を彷彿とさるし、美和子の話はやりきれなさとともに不覚にも最後胸キュン。一口にミステリーといってもどれも違った味わいがあり、しかも、グイグイ惹きこませるわりには6章あたりまでまったく収束する気配がない。個々に話がおもしろいだけに、「えーどう収拾つけるつもりなんだこれ」って目が離せなくて、夢中で読んでしまいました。
電子書籍で購入したので購入前レビューを確認したんですけど、そこには「ミステリーとしては弱い」みたいに書いてあって、でも実際に読んでみると私的には全然そんなことなかったな。結局、小説という媒体をどう捉えているかという話ですよね。
小説というのは作者の手を離れて流通したとき、それは物語でありながら作者と読者がそれぞれに持つ物語のトリガーにもなりうる、という話はそれこそ前回の野崎まど『小説家の作り方』でしました。小説を娯楽と捉えているのであれば、これはこういう物語で読者にこういう感情を抱かせます、と親切に説明があったほうがたしかに大衆受けはするかもしれない。だけど、私は小説って前述したような装置だと思っているので、この曖昧さから自ら日常生活の重要さを見出だせて感謝さえしているんですけどね。
日常というものについてどんどん突きつめて考えていくと、じつは、私たちの日常のほとんどは自分とまったく関わりのない人々から成り立っていることのほうが多い。主人公が複数人いる小説は普通物語の中盤から終盤あたりで必ず邂逅するものなんですけど、『窓から見える最初のもの』にはそれがまったくないんですよ。主人公同士は絶対に出会わない。だけど共通する端役がいて、個々の物語は、たしかにつながっている。そこにすごくリアリティーを感じて、人と人とが関わりあうということの本質を見た気がして、ああいいなって思ったんです。
さて、一見なんのつながりもなさそうな4つの話は〈2年前に降った大雪〉をキーワードに収束していきます。雪といえば冬。これまで冬は「終わり」のイメージだと私は思っていたんですけど、最近読んだ山口周『武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50』という本にクルト・レヴィンの「解凍=混乱=再凍結」の話が載っていて、これにすごく感銘を受けて。
私たちは、何か新しいことを始めようというとき、それを「始まり」の問題として考察します。当たり前のことですね。しかしクルト・レヴィンのこの指摘は、何か新しいことを始めようというとき、最初にやるべきなのは、むしろ「いままでのやり方を忘れる」ということ、もっと明確な言葉で言えば「ケリをつける」ということになります。
『武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50』より引用
過去を終わらせなければはじめることはできない。雪→凍結からの安易な連想でしたが、改めてクルト・レヴィンの項を読みこんでみると、それはまさしく『窓から見える最初のもの』の主題だったように感じます。そしてその重大な一歩を踏みだすのはいつだって主人公でない人々で、だけど、その一歩が主人公たちの物語を大きく動かしていく。おもしろいでしょ?
『箱とキツネと、パイナップル』のときはタイトルの巧さを褒めましたが、今回も相変わらず、タイトルが巧いなぁとやっぱり唸ってしまいました。もちろん作中それぞれの話において「窓から見える最初のもの」がなんであったかは示唆されているのですが、窓=開いた本という解釈もできて、私たちがこの本を開いて最初に目にするものって“アレ”なんですよね。もちろん内緒だけど!いやぁ、そのなんと鮮やかなことか。
普通でありつづけるというのは、とても難しいことです。刻一刻と時が過ぎる中で、自らの意思で、過去とまったく同じ状態を維持しようと努力しつづけるわけですから。
エンターテインメントとしては突出したところがないのかもしれない村木さんの作品の素朴さは、本当はすごいことなのだと、一人でも多くの人に伝わればいいな――と、巻末の選評を見て思った次第です。