『火焰の凶器 天久鷹央の事件カルテ』以降しばらく空いちゃったんですけど、久しぶりに天久鷹央シリーズの感想です。
シリーズ12作目、うち〈事件カルテ〉シリーズとしては7作目となる長編小説。語り手である“僕”こと小鳥遊優に加え研修医の鴻ノ池舞を正式に統括診断部のメンバーに迎え、おなじみ天才医師・天久鷹央が15年以上の時を経てなおまったく容姿の変わらない少女・楯石希津奈の不老と復活の謎に挑みます。
今回の知識としての個人的なインプットは「ハイランダー症候群」(P27)。曰く「子供の時点で成長が止まり、そのままの姿で寿命まで生きるとされている」病気だそうですが、インターネットを中心にまことしやかに噂されてはいるものの公的に証明された事例はなく、まぁ、ある種の超常現象だと。これアニメや漫画のキャラクターが何年経っても年をとらない欠陥を逆に活かせたりするかもなーとか想像しました。読んだことないから適当に言うんですけど、『名探偵コナン』で新一が投与されたのがこのハイランダー症候群を意図的に引き起こす薬だったりしてな、とか。
ちなみにネタバレというほどのことでもないので言ってしまいますが、今回の不老不死の真相は当然このハイランダー症候群ではなく、どころか犯人はシリーズ屈指の異常性をもち、ゆえに「伊豆花江」の使いかたなどトリックもなかなか予想を上まわる異常さだったという点は明記しておきます。このあたりはさすがにちょっと重要なので白字表記しました。気にしない人は任意で反転させてね。
「(前略)それに気付いたということは、お前は産婦人科医としての知識のアップグレードを欠かさなかったということだ。まさに生涯学習だな」
(P330/L18~P331/L2より引用)
「人間はなにかの為に生まれてくるわけではない。生まれ、育つ過程で、自分が何者であるかを知り、そして自らの生きる意味を探していくんだ」
(P353/L8~9より引用)
第三章の章題は「転生の形」ですが、本作はたしかに「転生」という言葉の使いかたがとても巧かった。人はいつでもなににでもなれる、なんて手垢のついた陳腐な表現かもしれないけれど、鷹央の言葉どおり自分の生きる意味をアップグレードしていくことこそを転生というのなら、たしかに人はいつでも、なににでもなれるのでしょう。これこそ誰も知らなかった新しい転生の形。作者なりの“永遠の若さ”に対する答えなのかもしれません。
檻は〈閉じこめる〉ものでありながら、同時に〈守る〉ためのものでもあります。それを決めるのは、檻の外側の人間ではなく、内側の人間ですよね。年齢や生まれもった素質などによってあらゆる制限をもつこの肉体が魂にとっての檻であるなら、ときにそれを抑制するために、あるいはなにかから守るために、柔軟な発想で上手く使っていきたいなと思いました。