前口径約24ミリ、重量約7.5グラム、容積約6.5ミリリットルの中に宿る光は、この世界の他のどんな場所に現れる光より眩しく思えた。
(P299/L1~2より引用)
2ヶ月ほど前、小説を書いて久しぶりに壁にぶちあたりました。
主人公の〈僕〉はじつはあまり耳が聴こえないことを周囲に隠しているのだけど、私には、耳が聴こえないという経験がない。周囲に耳が聴こえない人もいない。そんな自分が想像だけでそういう設定を使えば、当事者の方たちに対して失礼な描きかたをしてしまうかもしれない。
結局、悩んだ末”かなり軽度”ということにして書いたけれど、身体的な悩みや苦痛を描くことの複雑さ、繊細さ?その一端を経験するいい機会でした。
そういう意味で、砥上さんの小説は巧いなと思う。デビュー作『線は、僕を描く』で扱われたのは水墨画家だった。そして2作目となる今作『7.5グラムの奇跡』は視能訓練士。私のような凡人からすればかなり特殊な世界だ。
「もちろんです。一日も欠かさず、どんなときも目薬を決まった時間に差し続けるのは、難しいことです。でもね、丁寧に生きる価値はあります。正確に目薬を差し続ける価値もあります。人生というのは本質的に手作りです。自分の手と心で作っていくものです。私にとっては、それはコーヒーを淹れることですが、ここの先生にとっては患者さんを診ること、あなたにとってはなにか? 少なくとも目薬を差すことはその一つに入ると思います。自分の光を守ることには価値があります。人生を形作るのは、自分の手と行いです。自分の手で積みあげてきたものは、形は変わっても、その手触りは消えていったりはしないんですよ」
(P138/L11~17より引用)
砥上さんはその特殊な世界であまりにも普遍的な言葉を落としこむ。主人公がまっすぐでだからこそよく悩むところは羽海野チカ的で、かつ羽海野作品を上まわるほどの不器用さが砥上作品として素敵なところでもあり、素人が簡単に言葉にしていいのかわからない世界においてそれでも感想をちゃんと言語化しようと筆を執れる力――文字どおり「魅力」になっているのだなと。
最近は、むしろ「現状維持」こそが奇跡なんじゃないかと思うんです。物事は絶えずなにかへと変化しつつあるのに現状を維持できているというのだから、そこにはなんらかの意思や力が働いているわけでしょう?それがきっとその人の本質で、ある種の奇跡。興味深いなと思うのです。
印象に残っているのは第2話「瞳の中の月」と第4話「面影の輝度」。わかっているけれどどうしようもないことに惹かれるのかもしれません。まるで魂を削るような誠実さでそういう物語を創る人たちが好きです。