ネタバレ注意! 本記事は真下みこと『あさひは失敗しない』の重要な部分または結末について触れていますので、作品を既読である、またはネタバレを承諾する場合のみ閲覧することを推奨します。 |
真下みこと『あさひは失敗しない』を読みました。母が娘に授けた言葉は、愛か、呪いか。女性だけでなく、母親という存在に閉塞感を覚えるすべての「子供」に読んでほしい普遍の自立の物語です。
名づけは親の最初の暴力みたいなものだし、と言ったのは中脇初枝『わたしをみつけて』に登場する師長ですが、本書であさひを縛りつけるのは、タイトルにもなっている「あさひは失敗しない」という言葉でした。
日本のドラマ界には「私、失敗しないので」と豪語する天才女医がいますが、あさひの場合は回避性パーソナリティ障害っぽいなと個人的には思いました。
回避性パーソナリティ障害とは、たとえば同僚に批判されるのをおそれて昇進を拒否してしまう、服装や所作を変だと思われないか心配で就職の面接を断ってしまうなど、拒絶や批判、屈辱を受けるリスクのある状況や交流を極端に避けようとする精神的な障害のことを指します。
小さな頃から「あさひは失敗しない」と母親に元気づけられてきたあさひは、かえってその言葉が呪縛となり、喪女にならないために友達の彼氏の誘惑をあえて受けて処女を喪失したり、その軽率な行動によって身ごもってしまった子供を堕ろしてなかったことにしたり、それをネタに強請られようものなら相手を殺してしまったりします。自首はできません。母親が、庭に埋めてしまうので。「あさひは失敗しない」という言葉が、母親の存在が、私たちにとっての昇進や面接に匹敵する人生の重要な局面で彼女から失敗の機会をことごとく潰してしまうのです。
個人的に本書の装丁は今年読んだ小説の中で一番なのですが、絵に内包されているのは〈母親という呪縛〉なんですよね。
画像:講談社BOOK倶楽部より
見ようによっては、やわらかくたっぷりとした母親の愛情を庇護下にあることをあらわしているともいえますが、あさひと想定される女性の身につけているドレスの色は白。これは真面目に育ちすぎた(育てられた)彼女の純真さをあらわすと同時に、彼女が母親のペチコートにすぎない、という印象をも受けるのです。
ペチコートとは、スカートの下に着用する女性用下着のこと。もともとはドレスのシルエットを美しく見せるためのものだったといわれています。
私の失敗はお母さんの失敗になる。
だから、お母さんは私の失敗を認めない。
私の育て方を、間違えたと思わないために。
(P172/L8~10より引用)
慎ましく誠実な娘……「良」い「女」というのは、世の母親にとってどれほど価値のある装飾品なのでしょう。
傍目からは見えづらく、出産を通して父親よりも密接に関わっているからこそ、殊に同性である娘にとって母親は呪縛になる。その美しさを、醜さを、巧妙に結びつけた表紙だなと思いました。
呪縛といえば、私にも母親にまつわる、長いことまとわりついている言葉があります。それはあるとき親戚が言ったこんな言葉でした。
「お母さんのことわかってあげられるのは娘のあなただけだから。支えてあげてね。あなたしかいないんだから」
それからというもの、父、姑、職場や親戚づきあい……母が漏らすあらゆる愚痴を私は無視することができません。愚痴は聞いている者へ伝播します。話の中心にいる人間のことも、話している母のことも、聞いているうちに嫌になってきます。それでも無下にすることはできません。お母さんのことわかってあげられるのは、娘の、私だけだから。
最近本で読んだ話ですが、人間の言語習得の臨界点は7歳といわれているそうです。7歳までになにか1つ言語を身につけていないと、以降、言語を習得するのは不可能になる。
一方、「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」と言ったのはアインシュタインです。
いずれにしても、大半の人間にとってその時期一緒にいる時間がもっとも長いのは母親です。そこで育まれる絆を。洗脳を。どなたさまも、ゆめゆめ軽んじることのなきよう。
最後に、ユング心理学における「母親殺し」と絡めた話でとても興味深い話があったので紹介したいと思います。前提として、ユング心理学における「母親殺し」とは人間の心理的な成長=母親離れのことを指すということは留意しておいてくださいね。
さて、日本神話の中にはスサノオノミコトによるヤマタノオロチ退治の話があります。詳細は蛇足になるので割愛しますが、結果として、スサノオは見事ヤマタノオロチを退治しクシナダヒメと結婚することになります。
このとき、ヤマタノオロチの尾から出てきたのが草薙剣という立派な剣でした。現在では皇位の象徴とされる三種の神器の1つに数えられる、神として、日本の支配者になるためには極めて重要なアイテムです。
ところが、スサノオはその草薙剣を、姉のアマテラスに献上してしまいました。自分の母親代理ともいえる存在に、です。
この伝承を踏まえ、ユング心理学の権威である河合隼雄は「日本の男はみんな永遠の少年だ」と言ったそうです。古来より、日本人には母親殺しが難しいのかもしれません。
童話だったらきっと、グレーテルがそうしたように、私がお母さんを殺すのだろう。だけど私はお母さんを殺すことができない。お母さんの言葉が私の一部になって私から切り離すことができないように、お母さんの体も私の一部みたいなものだから。お母さんを殺すということは、自分を殺すのと同じことだから。私とお母さんは境界線があいまいで、気づくと私はお母さんに支配されていた。
(P188/L10~14より引用)
それでも、あさひは母親の元を逃げだす。自分の決断できちんと「失敗」するために。母と娘の悪しき連鎖を断ち切るために。いつものように「あさひは失敗しない」とおまじないを唱えながら。
矛盾しているだろうか。
私はそうは思わない。
物事がすべて矛盾しない世界を物語と呼ぶのなら、彼女の世界は物語ではなく現実だ。本当は「正しいこと」など存在しないこのめちゃくちゃな世界で、愛する母を殺さずとも「失敗」に成功する人生があることは、他でもない私たちが知っている。
参考にしたサイト一覧
回避性パーソナリティ障害(AVPD) – 08. 精神障害 – MSDマニュアル プロフェッショナル版
ハートクリニック|こころのはなし
https://www.e-heartclinic.com/kokoro-info/special/personality_7.html
「母殺し」が象徴するもの