エリー・グリフィス『見知らぬ人』(上條ひろみ・訳)を読んだ。
イギリス産ミステリーということで、さすが、話のところどころで紅茶やビスケットが出てくる。思わずこちらも、ミルクティーなんぞしばきながら二転三転のフーダニットを楽しませていただきました。
直前にピーター・スワンソン『アリスが語らないことは』を読んで「あああああ!(こういう男を翻弄する美人)マジで嫌いだわぁ!(^q^)」と途中投げだしたので、最初クレアの章からはじまったときも「クレア、おまえも大事なことは語らない男を翻弄するウーマンなのか……」ってうんざりしたんだけど、次のハービンダーの章で冒頭いきなり「最初からクレア・キャシディが嫌いだった」って言ってもらえて読も。ってなった。ジョージア(クレアの娘)も〈ママ好みの“普通のティーンエイジャー”を演じてるけどじつはめちゃくちゃ頭がいい〉ってキャラで結構好みだったけど、結局のところ普通のティーンエイジャーなのよね。良くも悪くも。というわけで、やっぱりハービンダーが一番好きです。やっぱ海外の強ぇ女はイカす。
ところで、帯に「この犯人は、見抜けない。」とあるんだけど、これはマジで見抜けなかった。クレア、ハービンダー、ジョージアと突然めまぐるしく視点が変わってからのそこかぁぁぁ!って。いやだってもう、ほんと、序盤から怪しいヤツ多すぎて。よくよく考えたら、登場人物全員、漏れなくちょっとずつゆるんでるんだもんな。頭のネジ。
そのうえで、怪奇短編小説の見立て殺人をやってのけるだけあって、最後ふりかえってみたら犯人の動機と結果が全然釣りあってなくてイカれてるから良い。最近Amazonプライムで「魔法のレシピ」観てるんだけど、チャックみたいなさぁ、外堀から埋めてくるじっくりコトコト煮こんだ系の悪役好きだわー。
解説にも書かれているとおり、話の本筋とは関係ない範囲ではあるものの、結局解明されていない点はいくつかある。ただまぁ、実際「わからないままでいいもの」って人間誰しも少なからず持ってるよなってのは実体験としてあって。
たとえば、小学生のときクラスメイトたちとやったこっくりさん。「私の将来の結婚相手は誰ですか?」って聞いたときにこっくりさん「つゆくさ」って答えたけど、誰やねん。全国に20人しかいないまさかの珍名。もちろん学校にはそんな人間いなかった。
だけど、露草さんが誰なのか、潜在意識的なところで「麦ちゃんの将来の結婚相手はたぶん露草さんだ……!」って思ってたクラスメイト(珍名博士)は誰だったのか、それは別にわからないままでもいいじゃない。むしろ、今後もわかりようがないからおもしろいんじゃない。
昨日はね、郵便局行ったんだけど、同世代くらいの女性がいたわけ。なんかゆうパックでちょっくら岐阜までバウムクーヘン贈りたいらしいんだけど、
「サイズ的にいけますかね?」
「このサイズだと『ワレモノ注意』みたいのは貼れないですけど、いいですか?」
「大丈夫です、別にバウムクーヘン壊れないんで」
みたいなやりとりしてるのちょっとウケた。
で、この女性にも岐阜にバウムクーヘンを贈る理由が、我々のあずかり知らぬ事情あるわけじゃん。生活が。人生が。そのことに想いを馳せたときさ、結局、永遠に答えを知りようもないから楽しいんだよなって。思ったわけです。
というわけでね、知らない人を知っていくこと。知っている人の知らない一面を見てしまうこと。あるいは、そもそも知ったつもりでいるそれが正しく知れているのかということ。そのおもしろさとおそろしさ、曖昧であることの一端を楽しめる1冊だった。以上。