昔から、
どういうわけか紙袋や箱が好きです。
書店へ出かけたときに
買った本を紙袋に入れてもらえたときは
デザインに関係なくちょっとうれしいし、
Amazonの箱はいつもなんとなく捨てがたい。
先日も
人からリラックマの皿をいただいたのですが、
リラックマが印刷された箱が捨てられなくて、
用途がまったく思いつかないままとりあえず
畳んで押入れにしまってあるんですけどもね。
今でこそ克服(?)しましたが、
数年前までは書店でかけてもらえるブックカバーも
捨てられなかったので(しおりは今も捨てられない)、
純粋に紙製品が好きなんですかね…環境に悪いですが。
※ブックカバーは今はレジで不要の旨を伝えています。
Mugitterでは
持てあましたリラックマの箱を
有効活用するアイデアを随時募集しています。
妙案を思いついた方は連絡よろしくおねがいます←
というわけで、
今回は箱のおはなし。
紅玉いづき氏『大正箱娘』読了です。
「開かぬ箱は、ありませぬ」
新米新聞記者の
英田紺のもとに届いた一通の手紙。
それは
旧家の蔵で見つかった
呪いの箱を始末してほしい、という依頼だった。
呪いの解明のため紺が訪れた、
神楽坂にある箱屋敷と呼ばれる館で、
うららという名の美しくも不思議な少女は、そっと囁いた――。
「うちに開けぬ箱もありませんし、閉じれぬ箱も、ありませぬ」
謎と秘密と、語れぬ大切な思いが詰まった箱は、今、開かれる。
※あらすじは講談社タイガHPより引用しました。
※第1話「箱娘」が途中まで立ち読みできます。
http://taiga.kodansha.co.jp/author/i-kougyoku.html
同氏の作品は『ブランコ乗りのサン=テグジュペリ』
あとは『現代詩人探偵』を読んでいますがどちらも
大当たりだったのでこちらも無条件購入してきました。
まずもう表紙が素敵。
うらら(左)かわいいわぁと思って帯をめくれば、
なんときれいなおみ足!良い!生きててよかった!
紺(右)のキャラクターデザインも、
物語を読むとこれは考えられているなと唸るばかり。
目と髪の表現が、こう、とてもいい塩梅で感服でした。
大正ロマンという設定については
以前『からくり探偵 百栗柿三郎』を読んでいるので
世界観に入りこめないということはなかったのですが、
読点による言葉のリズムが独特で慣れるまではかなり
読むスピードや集中力などの面で影響があるかもです。
叙情的で艶のある文章なので、
慣れてしまえばむしろクセになるんですけどね。
以下、
各話の感想をまとめました。
箱に秘めたるは女の宿命
第1話 箱娘:
蔵から刀が出たら男を近づけてはならぬ。
箱が出てきたらば女を近づけてはならぬ。
奇妙な風習が伝わる
地方のある旧家の蔵から箱が出てきた。
血痕のついた箱。
当主は蔵から出た刀で、この箱を抱え、死んだという。
暗い背景はあれど、
結局のところスミはあの家に嫁いで
幸せ…だったんじゃないかと思うんですよ。
奇人に見られることはあっても
心根の優しかった主人はもちろん、
姑さんも決して非情なわけではなく、
「娘」だからこそ婿を取ろうとしているわけだし
家の問題だけでなくスミへの愛もあった、と、信じたい。
帰ってくるなと両親が言ったのは、
彼女や、あるいは、自分たちもまた
寂しさの結界を超えないためだったんじゃないかと。
愛も優しさも、
想いはみんな姿形がないもので、
ひとたびそれが1つの箱へ一緒くたに収まってしまえば、
外野は、ただ、彼女たちの幸せを願うことしかできない。
第2話 今際女優:
「この戯曲を我が生涯の最高傑作とす」
辞世の言葉めいたものを遺してある戯曲家が死んだ。
彼の遺作となった『伊勢恋情』の最終稿が
どこにも見当たらないという騒動の取材を
していた紺だが主演女優の出水エチカから、
「先生は、あたくしが殺したのよ」と打ち明けられ――。
死はなぜ美化されるのでしょう。
元より人間は、
あるいはあらゆる生命は、
世に生まれ落ちたら誰しも
いずれは死んでゆくのが自然の摂理ではありませんか。
思うに、
死というものは尊いものでも恐るるものでもなく、
ただ眼前にしっかり「ある」ものなんだと思います。
あたりまえのことでありながら
誰しもたった一度しか味わうことのないはずの
永遠の眠りを役者という職業は“演じる”ことで
幾度となく経験することができる稀有な存在なんですね。
ちなみに、
彼女の名である「エチカ」は「倫理」の意だそうです。
死に魅せられ、
命の終焉をエンターテイメントや芸術へ昇華する彼女と、
娯楽・消費物として彼女たちの死を求める私たち大衆と。
倫理とは一体なんなのでしょうね。
第3話 放蕩子爵:
昨今世間を騒がせている、
要所要人の“秘密”を盗み暴いてゆくという
謎の犯罪人、あるいは、世直し人〈怪人カシオペイヤ〉。
彼が先日暴いた鉱石密輸事件、その数日前、
鉱山主の末娘が奇妙な心中自殺を遂げていた。
怪人カシオペイヤを利用し、
巷で流行している心中の抑止力となる記事を書くよう
命令された紺はこの2つの事件のつながりを探るため
渦中の丸岡家の長女・潔子のもとを訪ねる。どうやら、
心中した妹は潔子の婚約者に熱心に手紙を送っていたようで――。
なるほど、
したためた想いを閉じこめる。
手紙もまた〈箱〉なのかもしれません。
紺はそれを
祝いか呪いかわからぬと恐れていたけれど、違う。
結局のところ、
誰が封を切ろうが誰が隠匿しようが、
言葉は、想いは、命でさえ、非力なもの。
だからこそ人は、
自分を祈るために手紙を書くのかもしれませんね。
箱娘は
すべてが正しいとは限らないと言ったけれど、
なにが正しいのかは結局は本人が決めること。
書き手がどんな言霊をそこに閉じこめようと、
祝いとするのも呪いとするのも、きっと、読み手でしかないのです。
第4話 悪食警部:
「帝都新聞 英田紺さま」
紺宛てに届いた1通の手紙。
差出人はかつて“呪いの箱”の一件で出会った、甲野スミ。
「他にすがるアテもない」と
助けを求め筆を執ったスミのため
紺はふたたび彼女の元を訪れるが、
彼女は肝心の用件を一向に話す気配がない。
このままでは帰れないと手をこまねく紺だったが、
その夜またしてもあの蔵で悲しき事件が起こった。
紺は、
男であること・女であることに囚われて
大事なものが見えていなかったんですね。
スミをはじめ、うらら、また紺自身でさえ、
女であることは〈箱〉であり本質ではない。
紺が彼女たちを救いたいと願ったのは、
時代や苦境に閉じこめられた女であるからではなく、
彼女たちが“彼女たち自身”であるからだったはずなんです。
箱は裏表。
呪いがあって奇跡があるのなら、
たとえ思うままにはならぬとも
祈りや願いだってあったっていい。
自分にとって美味いものが真実だとする、
柔軟なようで傲慢な室町警部の立ち居振る舞いは
哲学をかじったあとだとなるほどまさに真実の具現化だなと。
女は箱を抱える生きものである
女性性が1つのテーマなので、
読んでいると必然的に「女」という字を
目にする場面は多いわけですけれども、
ふと「女」という字もまた箱に見えるなと。
たった三画。
中央に箱を抱えるこの字の裏に、
こうも多彩な愛と傷と悲しみと秘密とが隠されているとは。
女であること、なんとロマンのある、しかし危うい宿命でしょう。
私はどんな箱を抱えているだろう。
開けて見せられるほどあたたかな愛も美しい傷も
透きとおった悲しみも妖艶な秘密もありませんが、
もし、誰かが、そっとこの名前を呼んだとき――、
抱きしめたり、包みこんだり、匿ってやったりと。
いつだってそうできる大きな〈箱〉でありたい、と、思いました。