予告編に目をつむって
2017年4月19日
先日ある人と映画の話になり、なるほどなぁ、と思う話があった。
その人は、映画館での上映前やテレビCMによる映画の宣伝はまったく見ないようにしているという。どうしても避けられない状況のときはなんと目をつむるという徹底ぶり。そうしてかたくななまでに宣伝を見ない理由は、ストーリー展開や登場人物たちのキャラクター、「感動!」「泣ける」などの売り文句は全部自分で体感したいからだそう。
考えてみれば、誰かに言われてそのとおりの感情を引きだすことのなんとつまらないことか。
「泣けるから観ろ」と言われて観た映画でそのとおり泣いて「泣けたね」なんて当然の感想を言いあうよりも、たまたま観た映画が涙するほど感動的な映画だった、という出会いのほうがよっぽどドラマがあって素敵だ。自分で生みだした純粋な感情で返す。クリエイティブにクリエイティブを返すという等価交換のようなこの感じは、じつに芸術らしくて、いいな、と。
数年前にtwitterをはじめたとき、出版社がこぞって新刊情報をじゃんじゃん発信していて、読みたい本がどんどん増えてそれは感動したものだけど、いつのまにかtwitterで出版社をフォローして情報を集めることってしなくなった。新しいものにしか目がいかなくなってきたのを、実感したから。
気がつけば、書店へ趣いても眺めてまわるのは平積みばかり。時間をかけて端から端まで棚差しを眺め、背表紙のタイトルだけで本を選ぶという冒険を、私はいつからしなくなったんだっけ。
知人は漫画を買うときにとても興味深い選びかたをする。なにか1つテーマを決めて、たとえば〈スポーツ漫画〉と決めたら、スポーツ漫画の1巻だけを適当に見繕って5冊ぐらい買ってくる。大胆な方法だけど、ルールもよく知らないくせになんだかんだ今も買い続けているサッカー漫画があるからすごい。自分の好みやセンス、あるいは勘って、案外もっと信じてみてもいいのかもしれない。
自分の意思で出会ったものというのは他人の情報よりも強力で、仮に失敗だったとしても、変な愛着が生まれるから笑い話として残り続けるし、結局、お得。
次に書店へ行ったときはたまにはまっさらな気持ちで棚差しと向きあってみよう。
2017年10月19日に加筆修正しました。