名取佐和子『金曜日の本屋さん 秋とポタージュ』を読了。先々週だったかな、たまたま立ちよった本屋の平積みで見つけて購入しました。季節は秋へ、ということで、8月暮れに読むのはまだちょっと早いかしら…と思っていたらここ最近やたらと肌寒かったのでなんだかんだちょうどいいタイミング。ポタージュ飲みたくなりました。私はトウモロコシの粒々をはじめ具が入っていないもったりしたのが好き!
「倉井史弥」が主人公である理由を感じる3作目
小さな駅ナカ書店〈金曜堂〉。名物店長の南、金髪のオーナー・ヤスさん、喫茶担当イケメン栖川、そして年上の南に想いを寄せる学生アルバイト・倉井の四人が働く店には、様々な想いを抱き「いまの自分にぴったりの一冊」を求める客が訪れる。ある日、倉井に大学内で話しかけてきた女子学生たちが、ひょんなことから一日だけ〈金曜堂〉を手伝うことに。けれども、同じ同好会だというふたりの仲は、どう見てもぎくしゃくしていて……。温かな感動を呼ぶ人と本との出会いの物語、シリーズ第三弾。
※あらすじは角川春樹事務所による「書籍情報」より引用しました。 |
シリーズ1作目『金曜日の本屋さん』の感想でたしか「主人公の倉井くんは女々しくて好きじゃない」というようなことを書いた気がするのですが、あれ、今作の倉井くんの顔グラ(表紙)なんか急にイケメンになってない?どうしよう、好き…。
収録作品を読んでいてもたしかに妙に格好いい。今作は倉井くんの背景にあるものがだんだん明確に浮かびあがってきて、それをふまえて彼はああいうキャラクターなんだなと理解できると、ああ良くも悪くも大人で繊細な子なんだと。「女々しい」とかそういう言葉で表現することはもうできない。
槙乃さん然り、金曜堂を見てのとおり、人には個々を最大限に活かせる場所や分野が必ずあって、倉井くんにとってのそれは「家族」というテーマなんだろう。本人は自覚していないかもしれないけれど、私はその感情的になれない俯瞰したような視点にむしろ救われたんだよ、倉井くん。
槙乃さんとの恋路も気になるところではありますが、今作はようやくこういう倉井くんのパーソナルな部分と成長が味わえたので、いっそう書店員として、男として、がんばれ!と応援したくなりました。これは次回作以降がまた楽しみだ。
金曜日、人肌恋しい読書の秋。
第1話 誰かが知ってる
倉井が通う大学の排球同好会から「学園祭でブックカフェの模擬店を出すのでアドバイスがほしい」との依頼が。快く引き受けた金曜堂メンバーたちだが、店に来た益子さんと山賀さんは性格も正反対で、しかもバレーボールの話になるとなんだかギクシャクしている――? |
ええとつまり、私は思うんです。この本の中の《安井夫人》と《芹川さん》は、互いに相手の幻を羨んでいたのかもしれないなって。《誰も知らぬ》――それこそ自分自身すら知らなかったことでしょうけど。
(P68/L11~13より抜粋)
太宰の『誰も知らぬ』は読んだことなくて、かわりに槙乃さんの言葉は柚木麻子『本屋さんのダイアナ』を思いださせた。あのときは「ないものねだり」という言葉が浮かんだのだけれど、ダイアナと彩子が羨んだものもまた彼女たち自身が生みだした“幻”だったんだ、とこれですごくしっくりきた。
私たち女性はこうした女性特有のドロドロモヤモヤした気持ちを同性としてつい浅ましいと思ってしまうのだけれど、「(太宰は)女性のこういう一面をさほど嫌とは思っていなかった」「むしろ愛おしいと感じていた」という槙乃さんの推察を読むと『人間失格』で知られる“あの”太宰治のイメージがちょっと変わるなぁ。
もしかしたら、当ブログ読者の方々の中にも私自身でさえ知らない私の“幻”がいるのかもしれません。それはどんな姿をしているんだろう。知りたいような、でも、こわいような恥ずかしいような。
第2話 書店の森
金曜堂を代表して東京で開催される本の展示会へ訪れた倉井と槙乃。病に臥せる父の代理でパネルディスカッションに参加した二茅さんに「大型書店が町の小さな本屋さんから刺激を受けたり助けられたりしたことはあるか」と質問する槙乃にあたりさわりのない一般論で答えてしまった彼女は展示会のあと二人に「お話したいことがある」と言いだした。 |
P127のコーンポタージュのくだりから泣きそうになった。
「南店長には本があるから、だいじょうぶですよ」
(P128/L3より引用)
とこぼした倉井くんの言葉が、日頃槙乃さんを見ているまなざしが、ひかえめながらもあたたかくて。優しくて。惚れるかと思った。誰だよ女々しくてあまり…とか言ってたヤツ。私か。あの頃の自分にデコピンしたあとこの本押しつけて「倉井は化けるぞ」と言いたい。
私の住む町でも、この十数年で何軒か個人書店が潰れて今は本屋はスーパーマーケットの一角にぽつんと1軒あるのみ。しかも小説コーナーのぞいている人なんて見たことない…寂しいものです。
大型書店と個人書店の関係は、電子書籍と書籍との関係にも似ている。どちらが便利で優れているかではなく、おたがいの長所を活かし短所は補う、そんな関係であってほしい。
第3話 自分の歳月くらい
ひょんなことから金曜堂の常連となったラノベ読みの太宰さん。母親が再婚し、二年前に彼が他界したあとは、母親がひとりで継いだ干し芋づくりの手伝いに毎年招集される――と愚痴をこぼしていた太宰さんのもとに、ヤスさんから彼女が病院に担ぎこまれたとの一報が。ところが太宰さんはなかなか重い腰をあげず…。 |
先に言っておきますが…これは、いいものですよ。
せっかく前話でこらえられたのに結局ここで我慢できず泣いてしまった。駅の片隅で。ああ思いだしただけでまた涙が。前回のコーンポタージュから今回のカリフラワーのポタージュの流れ、とてもいい。
太宰さんは本作で一番好きなキャラかもしれない。倉井くんとの出会いから会話はこび、距離感、2人が個々に抱えているもの。太宰さんの言葉を借りれば倉井氏と太宰さんコンビこそ至高。萌えだよ萌え。
私も母のこと、父のこと、ときどき煩わしく感じてしまうことがある。だけどそれがなんだかとても悪いことのように思えて、罪悪感で憎みきれない。嫌いになる自分の心がせまいんだと言い聞かせて、抑えつけて。それを「ポタージュでいい」と許してくれる詩のあたたかさ、金曜堂メンバーの解釈のあたたかさ、倉井くんや太宰さんの想いにとても救われました。――いかん、まだ駅なのに涙が!鼻水が!(※この文章を書いていたとき件の駅にいました)
第4話 カイさん
書店にはいささか不似合いな“異国の山男”風の甲斐さんは、どうやら今夜ここで久々に会う娘と待ちあわせをしているらしい。娘・未都が幼い頃は親子2人でささやかな読書会をしていたようだが、時間になってあらわれた彼女は父親に対してそっけない。気まずい空気の中、書店スペースで作業をしていた倉井は本棚の一角で未都が書いた進路希望調査の紙を見つけたのだが――。 |
私も『ハルさん』の文庫本、見たことあるな。表紙のイラストかわいい~ってそのときは和んだものの、購入には至らず未だに読めていません。
私の場合は本作とはちょっと毛色が違いますが、去年兄が入籍で家を出たとき、未都が言った「家族解散」と似たような不安をちょっぴり感じていました。ただでさえあまり家族や一家団らんといったものに表立って関心を示さない兄なので。
だけど実際は、会える機会はめっきり減ったけど、たまに会っても距離感や会話の温度がまるで変わらなくて。槙乃さんがあそこで引用してみせたとおり、家族にとって物理的な距離は本当に問題ではないんだなぁとしみじみ思ったりします。
新婚旅行のおみやげありがとう。またクイズ番組見ながら対決したり、減らず口叩きあったりしましょう。奥さんと仲良くな。そして末永く爆発しろ。――あ、今のは私信です。
読書“仲間”が欲しかったんだ
「私が誰かのことを知りたい時は、その人が読んでいる本も読みたくなります。読書は、人の心の映し鏡ですから」
(P177/L3~4より引用)
結局のところ読書は個として楽しむ趣味でここから友達を作るというのは難しいのかもしれない、と、このあいだ知人と話していました。本を読むという行為そのものを共有することはできても、感想や好きな作家など感性をすべて自分の望みどおりに共有してくれる人などそうそういないのだから。
だけど人と人がつながるための目的ではなく、手段になら、読書はなりうるのかもしれない。
巧く言葉にできないけど、Aという本の感想を共有できる友達を作ろうとするのではなく、Bという人と友達になるために(Bが好きな)Aという本を読む、といった具合。共有ではなく理解としてのアイテムにする。これが先に述べた「本を読む行為そのもの」の共有で、これは友達というより仲間や同志に近いのかな。
今まで自分は好きな作品について人と「ここがおもしろいよね」とキャッキャウフフすることに憧れているんだと思ってけれど、本当はシンプルに「最近はどんな本を読んでいるの?」「最近はこんな本を読んだよ」と話せる人が欲しかったのかもしれない。
というわけで、そういう距離感とスタンスの読書“仲間”、募集しています。