「アイドル」という物語
2017年10月17日
アイドルが好きだ。
初めて好きになったアイドルは嵐。二宮君のファンだった。今でも「キャラメル・ソング」とかときどき無性に聴きたくなる。良曲だよね。今でもアイドルソングというジャンルをぼちぼち聴くけれど、でも、やっぱりアイドルに恋の歌は唄ってほしくないなぁ、と、個人的には思ってしまう。
業界としてのアイドルに別段詳しくないけれど、アイドル事務所というのは大抵は所属するアイドルたちに〈恋愛禁止〉を課していると聞く。
ファンに疑似恋愛を体験させることで長期的に応援してもらう=CDやグッズを買わせるのが「アイドル」という業界の戦略なので、特定の相手を匂わせてはいけない、もしくは、恋愛やそのスキャンダルを理由に引退などアクシデントがないよう事務所が契約として先手を打っている、という点では、まぁ、たしかに納得できる。…できるんだけど。
アイドルを“表現者”として見たとき、この〈恋愛禁止〉という前提、強烈な違和感を抱きません?
10代そこそこの少女たち、あるいはその年齢からアイドルをはじめた女性たちが「恋をしてはいけない」と強いられながら誰かを愛することの喜びや悲しみ、ときめき、素晴らしさを唄うことに、はたして説得力やリアリティーなんてあるんだろうか。
もちろん、殺人を犯したことのない作家がミステリー小説を書けるように、個々の想像力でもってある程度観客を魅せることはできる。だけど、ライブに握手会と多忙なスケジュールの中で1曲1曲の歌詞をきちんと読みこんで世界を構築して表現できるアイドルが実際にはどれだけいるのか。
そもそも人間の感情ってルールで簡単に縛れるものではないし、人を想うことを知って表現の幅が広がるのならそれは喜ばしいことのはずだ。それが認められないのであれば説得力もリアリティーもない恋の歌なんか唄わせなければいいのに。悲しい恋を唄っているMVなのになぜか不敵な笑み浮かべてる人とかいるのが現状。え、キミ失恋してるんだよ、状況わかってる?
人生でもっともめまぐるしく瑞々しい青春時代を捧げてその道を選んだアイドルたちの姿を、私は1つの〈物語〉として見つめているから、恋愛なんてひどく限定的な枠内で唄わせるのはとてももったいないことだと思ってしまう。
「成長」という物語をリアルタイムに体現する存在だからこそ、「人生」や「世界」といった壮大な景色を彼女たちの価値観や表現力でもって見てみたい。だから恋愛至上主義ではなくむしろ恋をしなくても青春はまぶしいのだということを体現してほしいし、ときにはその汗と涙でもって彼女たちの、ひいては、私たちの一瞬一瞬はとても尊いということを等身大の表現で届けてほしい。
以上、このあいだ「就活センセーション」