食べて、呑んで、また明日。 -『BAR追分』感想
2017年12月6日
伊吹有喜『BAR追分』を読了。 本を選んでいるときがたまたま「ミステリーはもういい…癒しを…
テレ東の金曜夜8時感
新宿三丁目の交差点近く――かつて新宿追分と呼ばれた街の「ねこみち横丁」の奥に、その店はある。そこは、道が左右に分かれる、まさに追分だ。BAR追分。昼は「バール追分」でコーヒーやカレーなどの定食を、夜は「バー追分」で本格的なカクテル、ハンバーグサンドなど魅力的なおつまみを供する。人生の分岐点で、人々が立ち止まる場所。昼は笑顔がかわいらしい女店主が、夜は白髪のバーテンダーがもてなす新店、二つの名前と顔でいよいよオープン! ※あらすじは角川春樹事務所より引用しました。 |
プロローグから泣かせにきて、ああ、これはいい作品だ、――
以下、各話の感想をまとめました。
食べて、呑んで、また明日。
第1話 スープの時間
新宿伊勢丹近くの路地に入って道を曲がった先にある〈ねこみち横丁〉。勤務先が公式サイトの作成を依頼されていたものの、突然会社が“解散”することになり、コンテンツ・ライターの宇藤は謝罪のため振興会を訪れる。ところが、宇藤の書いた原稿を気に入った振興会の面々は「君が作ってくれ」とホームページの制作、はては運営と管理を頼んできて……。 |
知らないことばかり、したことがないことばかり。
ゆっくりと立ち上がると、階段の下に新宿の街が広がっていた。
自分はこの街の何を知っているのだろう?(P70/L9~11より引用)
ズバリ自分が言われているようだった。
世間知らず。――小説を書くにはあまりに世間を、人を、知らなすぎるから。創作をあきらめてしまった理由。つまらない劣等感。好きなこと、やりたいこと、本音を簡単にあきらめてしまえるほど、生きづらい、こわい。寝食を忘れて夢中で書いた小説。恥も外聞もかなぐりすてて、投稿したり、応募したささやかな勇気。褒められたときのうれしさ。全部、自分の中にあったはずなのに。今はどんなにがんばっても戻ってこない。私は、「小説を書いているときの私」のことは、好きだったのに。
なんて、たまに小説が書けなくなったこと、失った数年が、アイデンティティーの消失みたいに思えて焦ることもあるけれど。……なんだかんだ、まぁ、今の自分も好きだよ。自分を表現する方法が、物語を書くことから、物語を分析することや紹介することに変わっただけだから。そうでしょう?
「どうってことないと思っていた自分の仕事の話を、若い人が熱心に聞いて、質問してくれて、お店の紹介を丁寧に書いてくれた。それがきっと嬉しかったのよ」
(P66/L15~16より引用)
ああそうか。小説だとか書評だとか、文章の属性なんて本当はなんだってよかったんだ。書くことで自分はなにをしたかったのか、その答えが、ここにありました。
よし、がんばろう。
第2話 父の手土産
金曜日の夜、BAR追分にやってきた1組の父娘。真面目な父についぶっきらぼうに接してしまう不器用な娘は、 来週、式を挙げて嫁いでいく。月に一度、土産に買ってきてくれたサンドウィッチ。あのときここで頼んでいた「シーシーオ」というお酒。父の想いに気づいたとき、娘は――。 |
「佐原さん、頑張ったね」
(P117/L9より引用)
佐原さあああああん(泣)
電車の中で目頭が熱くなってしまった。危なかった。
私たち父娘はクラスメイトの男子高校生同士みたいな距離感で、真奈ほどつっけんどんに接してはいないものの、これまで親不孝なことはまぁまぁしてきたので作中に見え隠れする佐原さん=親の想いには考えさせられました。
「お手頃な価格の酒とは……いつでもそばにある、そばに置けるということでもあると思います。お父様はたしか、このお酒を学生時代から飲み続けていらしたというお話をうかがったことが」
(P115/L6~8より引用)
私も雑貨屋で買った安物の財布をかれこれ7年ほど使いつづけていますが、バーテンダー・田辺さんの言っていることわかるなぁ。手頃な値段だからこその安心感というか気安さというか。しまむらで買った服が結局クローゼットの中で一番長生きしているのも同じ理由だと思う。
モノとか値段に関係なく、大切な人になにか贈りものをしたくなるおはなしです。
第3話 幸せのカレーライス
将来のことをちゃんと考えている?
疲れがたまる、週の半ば、水曜日。自動販売機の補充・売上回収を行う〈ルートマン〉の江口は、『牛スジカレー』の看板に誘われBAR追分へ。奥では男が店の女主人とカレーのトッピングについて談義している。店が気に入った江口は、応援しているアイドルグループのイベントがあった日曜日の夜、ふたたびカレーを食べにBAR追分へやってきたが……。 |
昔から、几帳面で計画的な性格だった。…はずなのに、最近はそのときそのときで考えることが多い。
でもとりあえず、カレーはうまい。カツとエビフライを交互にかじってカレーを食べたら、少しだけ幸せな気持ちになってきた。今夜はひらすらカレーをかきこもう。
(P157/L17~P158/L1より引用)
だけど、今はそれでいいんだと思う。なにを食べたいかなんて“そのとき”になってからでないとわからないのだから。明日はカツカレーを食べるぞ!と決めて、予定どおりカツカレーを食べたことなんてあんまりない。それどころかパスタを食べている。麺。米ですらない。
将来のことなんてわからない。わからないけど、今が楽しいと、明日のことを考えるのも、ちょっとだけ楽しくなる。
正規で頼んだカツよりも、サービスで出された想定外のエビフライのほうが美味しいときもある。そういう出会いを、幸せを、楽しめる“几帳面でも計画的でもない”自分が、今は好き。
第4話 ボンボンショコラの唄
毎日、3時になると鼻歌まじりにBAR追分へやってくる青木梵。靖国通り近くのクラブでママをしている遠山綺里花。アフロ頭のフィギュア作家兼現代美術のアーティスト。東洋人にもフランス人形にも見えるゴージャスな美女。見た目も会話も浮世離れしている2人には、それぞれ誰にも話さなかった過去と秘密があった――。 |
とにかく綺里花さんが放ったこの言葉を聞いてくれ。
「あの場所は私のクローゼット、秘密の衣装部屋。シーズンごとに素敵な靴と服が大量に世界中から運び込まれてくるのよ」
「それはそうでしょうけど……」
「いつだって服や靴がずらりと最高の状態で置かれてるのよ。だから出すときは保管料を渡して、包んで袋に入れてもらって出てくるの」
すごい衣装部屋ですね、と言ったら、「そうでしょう」と綺里花がワインを飲んだ。(P169/L17~P170/L5)
ウソみたいだろ。伊勢丹の話をしてるんだぜ。これで…。
伊勢丹をこれほどロマンチック&ゴージャスに表現できる人はじめて見た。綺里花さんと梵さんの会話は研ぎ澄まされていて、ああ、「大人」ってこういう人のことか、と思い知らされる。梵さんがアフロのせいでイメージが完全にペルソナ3の数学の先生だけど。
古い映画のように、私たちはしばしば、名前など表面上の情報だけで個人を、なにかを、知った気になってしまう。何話だったかで、宇藤君はわからないことはすぐスマホで調べるところが物書きっぽいと褒められていたけれど、調べるという行為には少なからず「知りたい」という意欲があって、普通それはなんにでも生じるものじゃない。好奇心もまた一種の愛なんだと思う。
人はこわいし世間を知らない。だけど、上辺に惑わされることなく、自分の目で見て、耳で聞いて。愛をもって人を、世界を、知って、好きになっていけたらいいな、これから。
新ジャンル【バーテロ】
人生で一度だけまともにバーに入ったことがあって、「社交性ゼロのくせに声が大きく本とゲームの話しかできない」という自分の最悪なコンプレックスを痛感してしまったため、それっきりまったく行っていないけど、いいなぁ、憧れるなぁこういうの。苦手なのに行きたくなっちゃう!どちらかというと料理を推してくるストーリーなのですが無性にバーでお酒が飲みたくなりました。バーテロ。新ジャンル。
来世はバーに行っても許される人間に生まれたい。猫でもいい。