大山淳子『あずかりやさん』を読みました。初読の作家でしたが〈猫弁〉シリーズでおなじみの作家だそうです。タイトルだけチラと聞いたことがあるなぁ。たしか何年か前にドラマ化もしていましたよね。積ん読がいよいよ残りこれ1冊となったあとも「自分に合うかなぁ」と尻ごみして読むまでに時間がかかりましたが、なかなかよかったです。
あえての“不自由さ”がニクい!
「一日百円で、どんなものでも預かります」。東京の下町にある商店街のはじでひっそりと営業する「あずかりやさん」。店を訪れる客たちは、さまざまな事情を抱えて「あるもの」を預けようとするのだが……。「猫弁」シリーズで大人気の著者が紡ぐ、ほっこり温かな人情物語。 ――文庫裏より |
おかしな話ですが、書店で本書を見かけた際、栃木県にある書店・うさぎや発というオリジナルカバーがかかった状態でディスプレイされていたのですが、このカバーの手触りが大変素晴らしく、ちょうどTポイントが使えるところで、ちょうど文庫本1冊が余裕で全額ポイント購入できるぐらいに貯まっていたので購入した次第です。ポイント購入だしハズレでもいいかなとか思っていた。2塁まで走れるぐらいにはヒットだった。ゆるゆるな気持ちで買ってごめん。
静かながら暗すぎたり寂しすぎることもなく、優しく、あたたかく紡がれていく雰囲気は個人的にレトロな駄菓子屋やコインランドリーを彷彿とさせ、なつかしいような、だけど異空間っぽさも感じる不思議な読み心地がしました。やっていることはコインランドリーではなくコインロッカーだけど。最近のコインロッカーってSuicaで支払いできるのハイテクすぎない?タッチパネルで操作できるし。はじめて使ったときめちゃくちゃ戸惑ったわ。手首に巻いておくためのゴムがついた鍵持ち歩くのとか好きだったんだけどなぁ、ダサくて。
設定がまたGOOD!各短編の主人公は、のれんに自転車、客(人間)もいれば猫のときも…しかも店主は盲目の青年。聡明な店主を主人公にするとか、三人称にしてしまうとか、そういった最適解を選ばずにあらゆる場面であえて“不自由さ”を実感することで物語にうんと奥行きが生まれ、また希望や救いの想像の余地を残してくれるところがニクかった。私は熱血バカ属性っぽいクリスティ君が好き。
大切なものは目に見えない
あずかりやさん
明日町こんぺいとう商店街の西にある「さとう」ののれんがかかったお店。ここは盲目の店主・桐島が1日100円でどんなものでも預かってくれる〈あずかりやさん〉だ。ある日、少年から“咳こむ女性”にここへ預けるよう頼まれたという旅行鞄を預かると、翌日、日頃店主に点字本を作ってくれる相沢さんが客としてあらわれーー。 |
最初の数ページを読んだときに「これは良い小説かもしれない」という予感がして、P49、最後のほうになってその予感が確信に変わりました。
このあいだたまたま、某SCPの解説動画(※)を見ていて、SCP-1372「真西」の解説に引用された航海日誌の中に登場する「神よ、お許しください。世界に必要なのはお伽話であり一人の男の真実ではないのです」という言葉が(文章表現として)すごくいいなぁと思っていたのですが、まさにこの言葉を彷彿とさせるクライマックスでした。真実とは全人類にとって共通の「答え」ではあるけれど必ずしも最適解とはかぎらない。嘘をつくことは罪だというけれど、罪は悪意から生まれるものばかりではない。――そんなふうに思わせてくれます。
語り部である店先ののれんは、のれんであるがゆえに、店と店主に起きるあらゆる物事の表面しか見ることができません。くっきりとした輪郭をもたないぼんやりとした淡い世界は、表に出たものだけで推し測れない人間のじれったいところと似ていて、このなんともいえない読後感に自分の中にある〈人間クサさ〉を見出したのでした。
※参照:http://www.nicovideo.jp/watch/sm24628715
ミスター・クリスティ
自転車屋の天井に吊るされていた自転車のクリスティは、紳士に連れられてやってきた少年・つよしに見初められ、親父に見送られながらついに憧れだった外の世界へ走りだした。ところが、つよしがクリスティを走らせてやってきたのは1日100円でなんでも預かってくれる〈あずかりやさん〉。その日から、つよしはあずき色の自転車とクリスティとをとっかえひっかえしながら高校に通いはじめ--。 |
まさか自転車の話でこんなにグッとくるとは思わなかった…『弱虫ペダル』的な意味の自転車じゃないよ?完全に自転車が主人公なんだよ?少年→自転車(男)←おっさんという友情の三角関係だよ?で、グッときちゃうんだよ?わけわかんなくない?
誠実はありがたいと、このときは思った。
(P83/L4より引用)
最近とある本で「公正世界仮説」というものを知りました。世界は公正で公平だと信じる傾向のことです。この本の中で著者は次のように語っています。
とはいえ、だからと言ってがっかりすることはない。この世は不公平だと認めつつ、不公平な世の中を楽しむこともできる。人生を完全にコントロールすることはできないが、自分の力でどうにでもできる部分もかなり多い。そういう部分を徹底的にやっつければいいのだ。ただ、この世は不公平なところだということを忘れないようにしよう。
デイヴィッド・マクレイニー(安原和見 訳)『思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方』
P172/L11~14より引用
世界がまるで公正で公平であるかのようにふるまうことのできる、器用な生きかたができる人はいます。公正で公平であることはたしかに人間が目指すべきものかもしれません。しかし、不公平な世界を誠実に生きる不器用な人々のほうがとても人間らしく魅力的であることもまた事実。
「誠実」の形は人それぞれ異なるけれど、クリスティ(自転車)、つよし、つよしの父、自転車屋の親父--それぞれの「誠実」を見て私もこの不公平な世界で誠実に生きる不器用な人間であろうと、そんなふうに思いました。
トロイメライ
腹の中に和菓子がならばなくなって十数年。〈あずかりやさん〉のガラスケースである〈俺〉は、今や空間をせまくするだけの邪魔な存在になりさがった自分に失望し、消えてしまいたいと思っていた。そんなある日、あずかりやに全身ねずみ色のおじいさんが大事な書類を預かってほしいとやってきて--。 |
最近プレイした「4人の王国」というフリーゲーム(※)がとても印象に残っていて、王道RPG同様主人公は話せない設定なんですが、一線を画すのは、ここには〈ストレスで声が出なくなってしまった〉という背景があること。つまりあらゆる場面で選択肢があらわれ意思決定をできるのですが、それは、まわりのキャラクターには伝わらないのです。
自分にもまわりのキャラクターたちと同じように意思があり、感情があるのに、それはときに不便だと言われたりバカにされたりします。しかし、代わりに相手の話にそっと耳を傾けることができるので、自然と素直に自分の気持ちを吐露できるキャラクターもいるようで。
ゲームをプレイしていて常々感じたのが、ただそこに存在している、それだけで人は誰かの力になることができるのだということ。あのときのあたたかな気持ちをこの短編でも感じることができました。
主人公(ガラスケース)のように、本来の、自分が思っているとおりの存在価値が今の自分にあるだろうかと不安になることは多々あります。だけど自分とは異なる価値を他人が見出してくれることもまた多々あるものです。それでも不安なときはそっとつぶやいてみる。ここにいるだけでいい。そうすると、少し、気持ちが軽くなるのです。
※参照:https://www.freem.ne.jp/win/game/10099
星と王子さま
久々に実家へ帰ってきた奈美は、明日町こんぺいとう商店街へ赴き、子供の頃に「紙」を預けた思い出の〈あずかりやさん〉が今なお変わらずにそこにあることをなつかしみながら、留守番をしているという青年に鞄の中にしまった封筒を預けた。青年の提案で奈美は代わりに青年が読んでいた『星の王子さま』を預かるのだが--。 |
考察がはかどる不思議なテイストのおはなしでした。「あずかりやさん」と「ミスター・クリスティ」に登場した奈美とつよしがそれぞれ大人になって再登場して短編と短編のあいだにたしかな時の流れを感じました。商店街って時が止まっているかのような、なんだか、不変のイメージがありますよね。昔から商店街と縁遠く、子供の頃から、本や漫画で見る「学校帰りのコロッケ」に憧れたっけ。
目に見えるものも、そう悪くない。
(P183/L13より引用)
最後の奈美の言葉には、はっとしました。
愛、夢、希望、絆--私たちは目に見えないものを尊いもののように大事にしますが、「見えない」というのは当然、「見える」ものがあるから成立するわけで、つまり目に見えるものもまた、本来は尊いものであるはずなんですよね。
笹本がどうして〈あずかりやさん〉にいたのかとか、どうして留守番をしていたのかとか、彼の心境と『星の王子さま』の意図とか…こうなんじゃないかな~という一応の考察は頭の中にあるのですが、「目に見えるものも、そう悪くない」。この言葉で物語が締められている以上、ここに記すのはやめておきましょう。野暮ってものです。
目に見えるもの--奈美と笹本があのとき〈あずかりやさん〉で出会ったこと。そしておたがいに預けたものがそれぞれの背中を押したということ。そこにあるあたたかな光を感じるだけ、この物語はそれだけで、いいのかもしれない。
店主の恋
わたしは店主の手から生まれてきた--そう信じている〈あずかりやさん〉の看板猫・社長は石鹸の香りがする女性が店を訪れたその日、店主が初めて恋に落ちた瞬間を見た。彼女が荷物を引き取りにくる6月3日まで店主が心躍らせながら待つのを社長はのんびり見守っていたが--。 |
エピローグを含む感想です。
人間が見る世界を知らない猫の視点で描かれることが、子供のように無垢で愛らしくもあり、また無知で憎らしくもあり、穏やかでありながらただひたすらに静かでまるで深海にでもいるかのような心地でした。
時間軸的には「星と王子さま」の少し前の話になるのだと思います。ここでわかったことを踏まえて「星と王子さま」を読むと印象がガラリと変わる。桐島さん、どんな気持ちで奈美の話を聞いていたんだろう。ああ、店主…。
ごめんなさい、今はまだ事実を受けとめることで精一杯で言葉になりません。感想としてはシンプルになってしまいますが間違いなく本書においてもっとも印象に残るおはなしです。あとはもうひたすらに「読んでほしい」と声をあげることしかできない。
本書を読むまでシューマンのトロイメライを聴いたことがなかったのでオルゴールver.聴いてみたのですが、あまりにも作品にマッチしていて、胸が苦しくなって泣いてしまいました。たしかにピアノで聴くのとオルゴールで聴くのはまったく印象が変わりますね。この音色にのせて横断歩道のシーンを思いだすと…あれ…おかしいな、部屋にいるのに、雨でも降ってきたのかな…?。゚(゚´Д`゚)゚。
エピローグに登場した石鹸さんは、私、もしかしたらまったく別の人かもしれないと思うんです。石鹸さんってもともと読者から特定しうる情報があまりないですからね。だけどもしこの石鹸さんが別人だったとしても、その香りがまたこののれんをくぐった、それだけでも店主や社長(ポーチドエッグ)にとって素敵なこと、だったのではないかな。
特別収録 ひだりてさん
今日もあずかりやさんには遺骨を預ける人、盲導犬を預ける人、さまざまな事情と物を持ちこむお客さんがやってくる。ある日、声も出さずに客が持ちこんできたのはつるつるベタベタした妙な置きもの。翌日、店主と看板猫の社長は店にやってきた相沢さんからこの商店街で窃盗事件があったと聞き--。 |
ちょっとミステリーっぽく仕立てられたおはなしでした。
ウチでも、少し前に玄関に飾ってあった招き猫が割れてしまいまして、招き猫が割れるのって不吉なことなんだろうかと調べてみたら、「縁起物だから、それまでの感謝をして、あとは処分してしまっても大丈夫」なのだそうです。ありがとう、と声をかけて、その招き猫とはお別れをしました。
話は変わって、中学生くらいの頃から手のひらサイズのトトロのポーチ?を持っていて、家の鍵や自転車の鍵を入れて使っていたんですけど、私、別にトトロが好きってわけじゃないんですよね。兄がクレーンゲームで取ったものをくれたのですが、それがなんかうれしくて、使っているうちにどんどん愛着がわいてなんとなく使いつづけました。数年前、いつのまにかジブリが好きになっていた兄がこれを見て羨ましがったので(自分があげたことを忘れていた)譲り、今は、どうなったんだろう。トトロが兄の手にわたるとき、こういうのを縁というのかな、とぼんやり思いました。
クレーンゲームの景品なので、それほど多額で希少なものではないのですが、私にとってはなかなか憎めないやつで、兄の手にわたるとき、そこにはたしかな価値がありました。便宜上あらゆる物事には値段という価値がありますが、内面的な価値を決めるのは私たち1人ひとりの心。表面上の価値ではなく、その内面的な価値を見、理解できる人間になりたいものですね。
検討しておきます
カバーの手触りがいい、という理由で買った1冊でしたが、結構良著で安心しました。この記事を書くにあたって諸々下調べをしているときに続編があることを知ったので、「店主の恋」に登場する石鹸さんについてはまたじっくり考察したいし、文庫化されたら本書の再読も併せて検討します。〈猫弁〉シリーズ?今のところ予定はありませんが、ここをきっかけに、いよいよ読む…かもしれない!