ice cream photo

 

バニラアイスだった。

 

というわけで、名取佐和子『金曜日の本屋さん 冬のバニラアイス』を読みました。おい、ドヤ顔で予想していたくせに軒並み外れてるじゃねーか。書店で本書を見つけたとき「アイスか……!」とその場に膝をつく勢いで思わず声に出していました。

 

 

 

読みかたにもグッとくる

読みたい本が見つかる駅ナカ書店〈金曜堂〉。アルバイト店員の倉井史弥は、すっかり店にも馴染み、日々お客様に寄り添って、業務に励んでいる。とはいえ、じつは大型書店〈知海書房〉の御曹司である彼は、将来についていよいよ考えねばならない時期でもあった。幼い頃に別れた母との再会、イベントごとになぜか浮き沈みする金髪オーナー・ヤスとそれを案じる栖川、南店長への想い……大忙しの冬をこえて、倉井が見つけ出すものは?シリーズ最終巻、ほっこり胸キュンなラストを迎えます!

 

※出典:http://www.kadokawaharuki.co.jp/book/detail/detail.php?no=5744

金曜日の本屋さん』から読んできたシリーズもついに完結。2作目の副題を見たときに薄々感づいてはいたけどやっぱり4作、春夏秋冬、で完結だったんですね。あらすじには「ほっこり胸キュンなラストを迎えます!」とありましたが、うん、ちょっとふわっとしてたかなという印象もありますがすっきり完結したのではないでしょうか。

 

「あたしは一日の終わりに、この二冊のどちらかを少しだけ読むことにしているの。ええ、毎晩よ。もう何百回読んだかわからない。だから本もすぐに傷んでしまって--せっかくだから、日本の本屋さんで買い換えて帰るわ」

 

(P82/L9〜11より引用)

 

今回は実在する作品を扱った各短編のおはなしはもちろん、他に、こうした登場人物たちの本の読みかたにもグッとくるところが多かったです。とくに倉井くんが「食べるような」と表現した桃子の上記引用のような読みかたは素敵だなと思ったし、

 

お客様の心理とは不思議なもので、平積みになっている本を買う時、上から三冊目より下の本を取ろうとする人が圧倒的に多い。自宅に持ち帰るのは足跡のついていない初雪のような本がいいという気持ちは、わからないでもない。ただその際、上の本達が雑に扱われてしまうことがあるのは、書店員としてせつない。

 

(P20/5〜8より引用)

 

不思議な“お客様の心理”のくだりには思わずふふっと笑ってしまいました。一番上のすでに何回か立ち読みされたであろう本は避けがちとか私かな?たしかに全然違う本の上に退けたやつのせちゃう人もいるし店員さんから見たら悩ましい行為だよね。今後平積みされている本を買うときは気をつけよう。

 

 

 

あまくて、つめたくて、やさしい

第1話 100万回きたサンタ

クリスマスが近く冬のある日、金曜堂に、高校時代槇乃たちが在籍した同好会〈金曜日の読書会〉の顧問・音羽先生がやってきた。曰く、現在担任をしているクラスの模範的生徒・森屋星莉菜が突然「留年します」と宣言してほとほと困っているという。音羽と金曜堂のメンバーは、森屋に読書感想文の課題を課し、彼女が金曜堂で選書した本からその真意を探ろうとするが--。

「誰かのエゴを拒絶するのは、パワーがいります。無視したりうそをついたりして適当に流す方が楽に決まっているんです。それでもあえて、“嫌い”と断って、その言葉の強さに自分で傷つき苦しみながらも、正直に生きることを選んだ森屋さんは、天に罰せられるようなことは何一つしていません。胸を張って、本当に好きな人や物が現れる日を待てばいいんです。《白いねこ》を見つけたねこのように」

 

(P57/L3~7より引用)

 

ブログを書くようになってから、勉強を兼ねていろんな人の文章を読む機会が増え、好きなライターが何人かできた。その人たちの文章をふりかえってみると、私はどうやら、嫌いなものを「嫌い」とはっきり表現できる人の文章が好きらしい。この一文を読んだときにその理由がよくわかりました。惹かれてしまうのはたぶん、自分自身は言われることをなによりおそれて容易に「苦手」とやりすごしてしまうからで、「その言葉の強さに自分で傷つき苦しみながらも、正直に生きることを選んだ」そういう誠実さに私は惹かれてしまうんだろう。

 

『100万回生きたねこ』はよく耳にする有名な絵本だけど、私まだ、読んだことないんですよね。なので読んだことがあるという今ちょうどそこにいる都合のいい人にあらすじを聞いたのですが、「俺サーカスにいたことあるんだぜ」「そう」って《白いねこ》めっちゃクールすぎない?

 

今回金曜堂では「自分にとってのサンタクロースは誰かなのか?」を考えるきっかけになりそうな本、というフェアをやっていましたが、純粋に物語を楽しんでいる私の脳内に「いいなこれ特集組めそう」と完全にブロガー目線で読んでいる自分がいた。私だったら鈴森丹子氏の『おかえりの神様』をはじめとした〈神様〉シリーズを推すかな。それか、いしいしんじ氏の『トリツカレ男』。挙げたら読みたくなってきちゃったし、年末という節目もあるしクリスマスあたりまた読もうかな、『トリツカレ男』。

 

終盤、ただの名言マシーンと化した倉井くんが素敵だったので私は満足しています。

 

 

 

第2話 ステップ

クリスマスが終わり、年も変わろうという時分、すでに最終電車が出て改札も閉じたあとなのに金曜堂の自動ドアをノックする女性が。倉井が応対すると彼女はなんと16年も会っていなかった母親の桃子だった。この年月を”ちょっと”で済ませ、息子の誕生日も間違え、父の容態にも「お大事に」の一言だけ。そんな母親に呼びだされ、翌日、倉井は渋々指定された待ちあわせ場所にむかうが--

もうね、ちょくちょく涙が出てしまった。

 

世の中にはもちろん親不孝な子供や子供を傷つけたり悲しませる親もいるけれど、やっぱり、親子というのは誰にとってもなにかしらの特別な縁があるんだと思う。それはたとえばイアン・マキューアン『憂鬱な10か月』を読んだときにも思ったし、今回、倉井親子を見ていても思ったし。「100万回きたサンタ」を読んだとき、恋愛感情とは別の意味で倉井くんが森屋さんに“惹かれていた”ように見受けられたんだけど、それって私はP109/L6〜8を読んだ感じ、こういう「縁」が少なからず影響しているようにも感じました。

 

作家の人生も事情も人格も価値観も作品の評価には関係ない。--だけど帆足さんが言った「小説の誠実さ」は間違いなく作家の人生や事情や人格や価値観から生まれるものだと思う。今読んでいる『超・知的生産術 頭がいい人の「読み方、書き方、学び方」』という本に、24時間すべてが情報収集の時間だ、とあったんだけど本当それ。今ここにある現実とフィクションはまったく別の世界だけれど作者を介してつながっている。だからどちらにも誠実でありたいなと、1日1SSをやっている今の私としては、まさしくそう思うわけです

 

 

北村薫氏の『スキップ』を「スップ」に、というこのおはなしのタイトルが、単純に書名のもじりじゃなくてきちんと桃子のスキップ、からのステップ、になっているのがよくわかるすごい練られたおはなしで、これまでのタイトルで一番感心しました。

 

 

 

第3話 銀河タクシーの夜

一月、あわただしい大学生活もひと段落し、倉井が久しぶりに金曜堂へ戻ると、店内の雰囲気は少し変わり、妙に静かになっていた。どうやらいつもはおしゃべりでにぎやかなオーナーのヤスがすっかりおとなしくなってしまったらしい。おまけに、いつもはクールで冷静にすましている栖川もなんだか様子がおかしく--。

読んでいるあいだに展開をあれこれ想像していたんだけど、どれも違った。読者という目線でこう客観的に見ると、相手のためとか言って本当はただの自分の想像で、結果的に大切な人とほどすれ違ってしまうのって、なんて身勝手なんだろう。「想定はできても、想像ができない」栖川さんの言葉が心に刺さる。

 

自分のことを信じられないときは信じてくれる仲間のことを信じればいい、って、哲学的でもあってなんかいいな。私も自分が無能な人間だと落ちこんだときはTwitterを開いて自分の記事をRTしてくれた人・いいねしてくれた人のことや自分が架けた人と小説との橋を考えてモチベーションにしています。記事を読んでくれたり、ここをきっかけに小説を読んでくれたり、という話聞くとすごくうれしいです。ありがとう。

 

中学生だったヤスさんが、この小説からどれだけの安らぎをもらったかは想像にかたくない。〈五十貝書店〉という町の本屋さんの、注意深く誠実な一人の書店員が、その幸せな出会いをもたらした。それはきっと日本中、いや世界中の本屋さんが起こしている魔法なんだろう。そう考えると、自然と背筋の伸びる気がした。

 

(P171/L13〜16より引用)

 

だからこの一節にはついついドッグイヤーをしてしまったのでした。書店は魔法。

 

 

 

第4話 金曜日の書店員たち

とうとう見て見ぬふりはできなくなってきた就職活動。そんな折、倉井が病床の父から聞かされたのは、金曜堂のある野原駅の隣駅・雪平にもいずれ駅チカ書店「chika BOOKS」も店舗を構えたいという知海書房の計画。実現すれば金曜堂が少なからず煽りを食うのは間違いない。金曜堂、そして槙乃への想いを胸に、いよいよ倉井はあるひとつの答えを出す--。

さて、本作最終話、ひいてはシリーズ最後のおはなしです。倉井くんと槇乃さんの距離感にヒヤヒヤしながら物語を見届けましたが(もちろんヤスさんや栖川さんにグッときたりもした)……この結末を心のどこかでは「物足りない」と思ってしまうあたり私はまだまだ人間ができていないよなぁと。けれども猪之原さんが言う「中にいるとわからないことも多い」や板橋さんの言う「離れると大事なものが見えてくる」という言葉は私が“サヨナラ”した夢のことを思いだしてみるとすごくしっくりきて。

 

私は、中高生まではわりと本気で小説家を目指していて、学校では小説を読み、家では小説を書く、そんな毎日を送っていました。ところが大学へ進学した矢先、気がつくと小説を書くという日常がなくなり、果ては原稿用紙たった1枚の物語さえ書けない。それでも、本を読む習慣だけは残りました。昔取った杵柄というやつで、せめて文章に携わる人生でありたいと、そこから、読んだ本の感想を書くことをはじめます。

 

中にいるとわからないことも多い。離れると大事なものが見えてくる。--私が小説を書くことを辞め、小説を読むことを選んだときに見えてきたこと。それは、物語と私の気持ち、あとはそれらを誠実に表現しつづけること、それだけあれば私は大丈夫だ、ということでした。端的に言えば、小説家にこだわる必要はなかったということです。これがまさしく自分の夢だ若かった私は思っていたけれど、きっと本当にしたかったことは、文章を書き小説に恩返しをすること、それだけだった。今はできているかな。うん、ちょっとだけ、できている気もする。

 

青くさい自分語りが長くなってしまいましたが。

 

ここまできちんと綴ることでようやく、あの結末の物足りなさを払拭できたような気がします。作者のあとがきにも救われました。金曜堂での1年間が育んだ倉井くんの立派な成長の瞬間を見届けることができてうれしかった。

 

 

 

親指を突きだしてこの言葉を

個人的には主人公の倉井君が
繊細というか女々しすぎるのも気にはなりましたが、
まぁ女性作家が書く男主人公あるあるということで。

 

シリーズ完結ということで、今一度『金曜日の本屋さん』『金曜日の本屋さん 夏とサイダー』『金曜日の本屋さん 秋とポタージュ』の感想記事をふりかえってみました。私は最初、この倉井史弥という主人公を「繊細というか女々しすぎる」と思っていたようですが、今書きあげた感想を読みなおしてみると、シリーズ4作品をとおして彼がどれだけ成長したのかがよくわかりますね。ついでに私のブログにおける文章力も。なんだこの気持ち悪い改行。

 

まだ本書およびこのシリーズを読んでいないという人、そして、これから読んでみようかなと思っている人がいましたら、ぜひそのときはこうして倉井くんの1年間の物語に感想を残して最後には見比べてみてほしいです。

 

繊細、女々しすぎ、青くさい。--倉井くんには今まで散々なことを言ってきたけれど、今ならもう、はっきりと言える。繊細で、女々しいところもあるし、青くさいことを言うときもあるけれど、倉井くん、きみは間違いなく「金曜日の本屋さん」シリーズにふさわしい“主人公”だった。私が本を閉じたこれから先もきみの物語はつづいていく。だから最後に槇乃さんに倣って、親指を突き出しながら、この言葉を。

 

がんばれ、倉井くん。

 

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。