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彩藤アザミ『昭和少女探偵團』を読みました。表紙に惹かれて手には取ったものの「歴史は興味ないんだよなぁ」と一瞬怖気づき、だけど自室の本棚を思いだしてみたら普通に伽古屋圭市『からくり探偵・百栗柿三郎』とか紅玉いづき『大正箱娘 見習い記者と謎解き姫』とかあったので、なんだ杞憂かとそのままレジへ持っていきました。結論から言うと買って大正解。思っていた以上におもしろかった!

 

 

 

謎解く少女を侮ってはなりませぬ

和洋折衷文化が花開く昭和6年。女学校に通う花村茜と級友たちに怪文書が届いた。疑われた親友を庇う茜の耳に凛とした声が響く。――「やれ、アリバイがないのは僕も同じだぞ」。謎めいた才女・夏我目潮だった。鮮やかに事件を解決する彼女に惚れ込んだ茜は、天才で変人の丸川環も誘い、探偵團を結成するのだが。乙女の園で繰り広げられる昭和本格レトロ青春ミステリーここに登場!

 

出典:https://www.shinchosha.co.jp/book/180142/

新潮文庫nexといえばいわゆるキャラクター小説のレーベルなんだけど、ただのキャラクター小説と侮ることなかれ。

 

この手の小説はあくまでエッセンスとして時代を借りるだけで文中にまったくそれらしい記号がなかったり、やっぱりどこかでいやに現代的な書きかたをしていたり、興覚めしてしまう作品も結構あるのだけど、本書は言葉の節々でこまめに「昭和初期」を匂わせてくれるところが好印象。その点では沙嶋カタナ氏による漫画『咲くは江戸にもその素質』を読んでいるようでした。時代違うけど。

 

 

帯には「青春ミステリー」とありますが、後半の前後編でガラリと雰囲気が変わってしまうので後半からはとくに日常ミステリーを期待して読まないように。ただ全編通して女の子がキャッキャウフフはしてる。最高。個人的にはどのおはなしも好きです。

 

 

 

立てば芍薬 座れば牡丹 綻ぶ謎は百合の花

┃第一話 少女探偵ごきげんよう

無性に物憂く、気だるく、満ち足りているはずなのに唐突に「なにかがたりない」という焦燥に駆られる春。物思いにふける茜の机の中に入っていた「貴女の重大な秘密を知っています」という匿名の手紙。その下にアルファベットの判読すら難しいような乱れた筆記体の文字がならんでいる妙な手紙は茜の他にも同じ窓際の列に机をならべる少女たちにも届いていて――。

女学校とかエスとか男装の麗人とか、んもうっ、好きなものが全部つまっていた。き。大変に、き。

 

「いや、好いんだよ。知らないことを知らないと正直に言えるのは花村さんの美徳だろう。誰も、知らない話をされると『へぇ』と流しまいがちだけど、人の話を理解しないまま流すほうが無知よりも恥ずべきだと、僕は思うから」

 

(P72/L10~12より引用)

 

「人望……って、そんなに大切なこと? あったらして好いことがあって、なかったらしてはいけないことがあるの?」

 

(P78/L17 ~P79/L1より引用)

 

本書の頼れる探偵役・うしおのキャラクター設定に関してはちょっと踏みこみすぎかなぁと思わなくもないけど、それはさておき、主人公・茜をはじめ女学生のみんなが基本的にいい子でよかった。最近はLOFTの広告が話題になったけど、性別に関係なく、人の輪の中に潮さんみたいに物事を冷静に見れる人とかあるいは加寿子さんみたいな良心がちゃんといてくれると安心するわ。加寿子さんは私の中でイメージが完全にCLAMPの漫画『カードキャプターさくら』の知世ちゃんでした。

 

 

LGBTだとかって今はいろいろ議論されているけれど、日本はもともとこういうところ大らかだったのだからあたりまえに権利があっていいはずだし、今さら騒ぐことでもないのにね。誰が誰を慕う気持ちも人間くさくて美しいよ。

 

題材が題材だったことも少なからず影響しているのかもしれませんが、【P61で茜の父・名次郎が言及したように“犯人を吊し上げなかった”】という点が他のミステリーと一線を画していていいじゃないですか。これこれ。今はミステリー小説が売れる傾向があるけど、私は読むならこういうミステリーがいいなぁ。※文中ネタバレになりそうな箇所があったので【 】内を白字表記とさせていただきました。

 

あと、P36に「一寸、お花を摘みに行きません?」という表現があって、トイレ=「お花を摘む」ってこの時代にはすでにあった言葉なのか?と気になったんで軽く調べたのですがそもそも「お花を摘む」は登山用語からきており女性が屈む姿を花摘みに喩えたという説があるそうですね。男性の場合は「雉撃ち」と表現するんだとか。へぇ!そんなことに気をとられていたのでトイレ=「お花を摘む」が使われはじめた時代については未だにわかっていません。裏取りができたら誰かあとで個人的に教えてください。

 

 

 

┃第二話 ドッペルゲンゲルスタイルブック ~鈴原ミユゲのお洒落手帖

半ドンの土曜日、女学校から帰ってきて家事に勤しんでいた茜を見て、「さっきお前のドッペルゲンゲルを見てしまったよ」と笑いだした父・名次郎。真面目にとりあわなかった茜だが、母に頼まれ買い物へ出かけると、馴染みの商店街に自分とそっくりな少女が!「自分のドッペルゲンゲルを見た者は近いうちに必ず命を落としてしまう」という父の言葉をおそれた茜は〈少女探偵団〉の仲間、潮とたまきに相談するが――。

一応、読みながら自分でも「ははぁ、こういうことかしら」と推理はしていたのですが、内容が茜とほとんど同じ。潮に「本当にお気楽だな君たちは……」と言われたときは(´・ω・`)ってなった。もっと褒めてもいいよ!

 

頑健な者たちよ、お前たちの勝ちだ!
気の済むまで僕等の背に石を投げるが好い!

 

(P138/L16~17より引用)

 

最後には茜の父・名次郎の独白によって一見のらりくらりとした彼の本当のキャラクターがほんの少し明るみになります。まんま近代の文豪みたいな脳みそしてる。久しぶりに堀江宏樹『乙女の日本史 文学編』を読みたくなりました。誠実な人ほど己を愛せず、人を愛せず、愛に溺れて沈んでゆく。名次郎の言葉では「非凡な者は、運命が放っておかないのだ」というのも好きです。父親には絶対にしたくない。

 

 

巷では「自分に似ている人が世界に3人いる」といわれているけれど(ところであれなんで“3人”なんだろう?)、あいにく、私はまだ自分の“ドッペルゲンゲル”に出会ったことがない。茜のようにあるとき突然、町中で自分に出会ってしまったら、最初にわきあがる気持ちってなんだろうと考えてみたのですが、うーん、自分がろくな人生を送れていないので恐怖よりも「どうか幸せに」なんて思ってしまいそうです。石川宗生『半分世界』の「吉田同名」を読んだときにも書きましたが、正真正銘自分だったとしても絶対どこかで相手のことを他人だと思ってしまうし、それならどんな生きかたをしていてもかまわないし、それならせめて自分の人生に迷いがあってほしくはないかなと。本人の意思は尊重したいけど、まぁでも、茜のドッペルゲンゲルのようではあってほしくないなぁ。

 

しばしば語られることではあるが、チェーホフの小説や劇においては何も起こらない。あるいはロシア人研究者チュダコーフが指摘するように、「何かが起こっても、何も起こらない」。チェーホフが内面のドラマを展開させる独自の手法をもっていたことは疑いようもないだろう。

 

――Wikipedia「アントン・チェーホフ」より

 

ドッペルゲンゲルという目を引く設定を扱ってはいるものの、物語としては淡々とした印象で、犯人は遠く、事件は収束したとて清廉な茜をはじめ彼女の父も母も、人々は変わらない。

 

環が叫んだ「ちぇすとぉ―っ!」を真似て茜が最後に「ちぇほふ!」と拳固を振りあげたのは、はたして偶然でしょうか。だってこのおはなしについて端的に感想を述べるのであれば、私は、チュダコーフのように「何が起こっても、何も起こらない」と言う他ないのです。

 

蛇足だけど、「チェスト」の掛け声って鹿児島弁だったの知ってた?私は知らなかった。星のカービィSDXでマイク3使ったときにしか聞かないけど完全に英語かなんかだと思ってた。ブログの都合上DS用ソフトを貼るけどやるならスーパーファミコン用ソフトを買って「0% 0% 0%」でトラウマになってほしい。洞窟大作戦のデータ全消しとかおまえふざけんなよ!

 

 

 

┃第三話 満月を撃ち落とした男・前
┃第四話 満月を撃ち落とした男・後

『これは告白である。このとおりしょうじきにジハクするからどうかたすけてほしい』「小説壁兎」編集部に匿名で送られてきたという奇妙な小説。特別掲載された小説を読んだ潮はその描写から舞台は赤坂区にある脳病院、さらには作者からの手紙なのではないかと推理する。偶然にもその脳病院の子息には環の友人・紫との縁談が持ちあがっており、しかし理由が説明されないまま白紙になって以降、行方不明となっていた。少女たちは脳病院へと潜入し、茜と潮は探偵団として小説の作者の正体を、環と紫は子息の行方と破談の真相をそれぞれ調査することにしたが――。

※前編と後編にわかれた1つのおはなしなので「満月を撃ち落とした男・前」と「満月を撃ち落とした男・後」をつづけて読んだあとの感想とします。

 

前編を読んだ私「ほーん」
後編を読んだ私「良作……!

 

後編からめちゃくちゃおもしろくなる作品。エピローグ含め、他2編と違って茜主人公で統一されていないところはせわしさを感じなくもないけど、ゆかりが環と出会ったあの日の一風景、聡明な探偵団の中に茜というキャラクターが存在する理由、彼女の両親、そして第1話の感想で言及した潮のバックグラウンドまで!すべてに意味があってここに帰結している。すごい。正直キャラクター小説だからとナメていたかもしれない。あ、なるほど、作者は新潮ミステリー大賞出身だったんですね。どうりで読みごたえのある……。

 

昭和。文字として見ればそれはたった一昔前の時代。無知、あるいは無関心というのはつくづく愚かである意味幸せなことでもあるなと思います。たったひとつ、たったひとつ前・・・・・・のことなんだ。本書を通じて歴史の一端に触れたとたん、それが、急に悲しくおそろしく思えてくる。

 

死ななければ誇りを失っても好いと仰るの?

 

(P261/L4より引用)

 

多様性の時代といわれるようになって、最近はよく、「自由」ってなんだろうと考えるようになりました。たとえば紫に言わせればそれは「尊い、万人の権利」だそうだけれど、どうだろう、本当に自由は権利だったとして、みんな、行使できているんだろうか。厄介なことに自由というのは、名前をつけて定義をしているはずなのに人によって形が違う。だから難しい。

 

感想を突きつめようとするとどうしてもネタバレに踏みこまなければならなくなるのでこれ以上はひかえますが、他2編と比べると事件性も高くてシリアス、この2編はちょっと毛色が違います。茜を本書全体の主人公に据えるのなら最後までほのぼのキャッキャウフフしていてほしかったと彼女たちを見守る一読者としては思ってしまいますが、意味のあるシリアスだし、これはこれでやっぱりおもしろかったといわざるをえない。結局好き。

 

 

 

幸せなひとときでした、はふぅ。

「百合」という言葉で片づけるのは惜しい「エス」というより尊い感じ、肘掛けに頬杖をつき「僕」と言う私の個人的な性癖を的確についてくる潮、キャラクター小説あるいはミステリー小説という枠に留まらず歴史的背景から考えさせてくれる骨太なストーリー。私の好きなものがこれでもかとぎゅうぎゅうに詰めこまれていて、ああ、幸せなひとときでした。寒空の下で焼きいもをほおばったときのようなため息が出てしまう。はふぅ。

 

4話のラストシーンを見るにシリーズとしてつづきそうな気配なので、続編が出たら絶対に読みます。知世ちゃんこと加寿子さんがどうにか少女探偵団に加わってくれないものかというのも私の中では気になるところですしね。もちろん茜と潮の今後の展開も。

 

歴史が絡む小説は読むとしたらもっぱら大正時代だったんですけど、昭和初期、昭和レトロもなかなかによい。新たな分野に目覚めたかもしれない1冊でした。

 

 

参考にしたサイト一覧

ロフトがバレンタイン広告を取り下げへ 女性蔑視と批判相次ぐ

http://news.livedoor.com/article/detail/15972093/

 

Wikipedia -「アントン・チェーホフ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%9B%E3%83%95

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。