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小学生の頃、
国語の授業で詩を書く機会があったのですが、
先生にえらく絶賛された詩が1篇ありまして。

 

果物を1つずつ挙げていくんです。
赤はりんご、黄色はバナナ、緑はメロン…と。
果物を6つ挙げて最後に青いお皿に並べると、
虹の出来上がり!という詩だったと記憶しています。

 

詩が完成して先生に見せると、
先生は「上手!」と大きく花まるを描いてくれました。
クラスメイトが見ている前で褒めてもらえたので私も
とってもうれしかったのを今でも鮮明に覚えています。

 

ただ、
あれから詩にはほとんど触れずに育ってしまいました。
今も小説ほど興味がなくて詩集なども全然読みません。

 

嫌いなわけではないはずなんです。
詩の書かれたポストカードとか昔持ってましたし。
詩集も一冊だけ昔は持っていたような気がします。
誰かおすすめの詩集とかあればぜひ教えてください。

 

そんなわけで今回は“詩”のおはなし。
紅玉いづき氏『現代詩人探偵』読了です。

 

 

 

すべての物書きたちへ


 

とある地方都市で、
「将来的に、詩を書いて生きていきたい人」
が参加条件のSNSコミュニティ、
『現代詩人卵の会』のオフ会が開かれた。

 

互いの詩の合評を行い、
現代詩について存分に語り合った九人の参加者は、
別れ際に約束を交わした。

 

「詩を書いて生きる志をもって、
それぞれが創作に励み、
十年後に詩人として再会しよう」と。

 

しかし約束の日、集まったのは五人。
ほぼ半数が自殺などの不審死を遂げていた。

 

なぜ彼らは死ななければならなかったのか。
細々と創作を続けながらも、
詩を書いて生きていくことに疑問を抱き始めていた僕は、
彼らの死にまつわる事情を探り始めるが……。

 

生きることと詩作の両立に悩む孤独な探偵が、
創作に取り憑かれた人々の生きた軌跡を辿り、見た光景とは?

 

気鋭の著者が描く初のミステリ長編。

 

※あらすじは東京創元社HPの内容紹介より引用しました。
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488017903

 

 

 

今年1月に読んだ『ブランコ乗りのサン=テグジュペリ』の作者です。
あちらが大変良かったので新刊も読ませていただきました!

 

率直な感想はというと、もう、まず、出だしからすごい。

 

詩を書きたくて詩人になった人間なんていない、
というのが僕の持論だった。
何かを語りたい人間は多いだろう。
何かを書き記したい人間も、
もしかしたらそれなりの数いるかもしれない。
けど、その中で詩を選ぶということは。
数多の表現の中で、詩を、よりにもよって詩を選ぶということは。

 

詩しかなかった、ということなのだろう。

 

物書きや物語好きなら、
絶対にビビッとくるはずですよこの文章。
「詩しかなかった」という表現がいいじゃないですか!

 

 

 

文体は『ブランコ乗り~』同様、
叙情的というか不安定で儚げで…ゆらゆらする感じです。
句読点や言葉のリズムが独特なので好みは分かれるかも。
ただ個人的にはここを乗り越えてでもぜひ読んでほしい。

 

主人公の探偵君をはじめ、
作者が彼ら1人1人に愛と祈りをもって書いているのが
伝わってくるので正直嫌なヤツも100%で憎めない(笑)
棗や希砂さん、明日田さんの人気が気になるところです。

 

序章、第1章~第4章、終章という〈章〉の構成ですが、
各章でスポットが当たる人物が違うので長編ですけれど
連作短編集に近くてその点は読みやすかったと思います。

 

 

 

探偵は詩から死を導く


 

それでは以下、
各章ごとに簡単に感想をまとめていきます。
※序章と終章は割愛させていただきました。

 

 

 

第1章:

 

第1章でいきなりそれかと。
創作におけるまさに究極のテーマ。

 

「たかがそんなことのために」
小木屋さんの遺族は彼の死にそう言ったけれど、
私は彼の選択をそんなふうには否定できなくて。

 

だって、そんなことのために、人間は生きていて。
程度や物に差はあれどそれはきっと誰もが同じで。

 

詩を書いて生きていくために、
行きついた結末がああだったのなら。
彼は幸せだったのかもしれないと思ってしまうのです。

 

もちろんそれは、
遺された人々を傷つけるための想いではなくて。

 

ただ、同じ創作を愛する人間として。
彼のその選択に、言葉に、結末に、死に。
意味はあったのだと、祈り、信じたいのです。

 

 

 

第2章:

 

私の場合はこういった本の感想などですが、
書きものをしているとよく寝食を忘れてしまいます。
まともに水分も摂らずに3~4時間強とかザラです。

 

創作とはある意味“凶器”なのかもしれません。
気がつくと自分の頭や心の中に閉じこめられてしまうから。

 

昔観たテレビ番組で、
「書かない時間を大切にしている」と語った作家がいました。
(たぶん『情熱大陸』で角田光代氏だったと思うのですが)

 

創作は表現であって、
表現する自己がまず豊かであることが大前提です。

 

たとえば家族。
たとえば恋人。
たとえば仕事。
たとえば趣味。

 

創作の軸はじつはそれら〈生活〉こそであり、
絶対に犠牲にするものではないと思うのです。

 

だから私は今からちょっと休憩をします(笑)

 

 

 

第3章:

 

愚かだ、と思いました。

 

詩や思想に囚われた夏炭さんも、
責任がほしいと言った希砂さんも。

 

人はどうして理由を求めてしまうのでしょう。
人にも物にも、死ぬことにも、生きることにさえも。

 

このあいだ、
森晶麿氏(著作『黒猫の遊歩あるいは美学講義』等)が
Twitterにて以下のようなツイートをされていました。

 

ジャンルというものを恋人にたとえると、
ジャンルから見たら自分はそのパートナーになる。
そうなると「君はこうあらねばならぬ」とかいうやつにはなりたくないね。
ひたすら「君のここ素敵だ、はぁ~」とか言っていたい。

 

夏炭さん、
あなたが本当に詩人だったのならば
こんなことはわかっていたはずです。

 

すべての創作に“こうであるべき”なんてないはずだと。

 

 

 

第4章:

 

読んでハッとしたのですが、
言葉は場面によって使えるものが限られたりもするし、
意外と似る・盗まれるのリスクが高いものなのですね。

 

海外では日本語は複雑で難しいといわれているようですが、
芸術の観点から見るとじつはまだまだ数が足りないのかも。

 

言葉が「文芸」という芸術作品として成立する以上、
もういっそのこと1人1人が独自に言葉を生みだして
表現していくというのもアリなのかもな…と思ったり。

 

だけどそれでは、
現存する先人たちの“美しい日本語”が
造語に埋もれて失われたりもするわけで。

 

まさに伝統と発展。

 

むむむ。
当たりまえのように使っているけれど、
言葉というのは結構考え甲斐のあるテーマですね。

 

 

 

故に人は言葉を求める


 

人は、書くことができて、話すことができます。
言葉が使えて、そして、考えることができます。

 

その時点で私たちは課せられているのかもしれません。
己の命題をつきとめ、悩み、答えを模索していくことを。

 

生きていること。
死んでしまうこと。

 

どちらも正解ではないし不正解でもない。
どちらでもない“なにか”にするのは自分だから。
答えを作るためにできるだけ多くの材料がほしい。

 

だから私は今日も、
人の言葉を読んで自分の言葉を書いています。

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。