私のおうちでは犬を1匹飼っています。
チワワの女の子で名前を〈オレオ〉といいます。
白黒の毛色をしているので、
お菓子の〔OREO〕から私が名づけたのですが。
愛称は“オレちゃん”。
方々から「男の子みたいな名前ですね」と言われます。
今なら絶対「デットプールかよww」って言われそう。
名は体を表すとはよくいったもので。
誰に似たのか性格も勝ち気で大胆、そしてよく食べる。
友人も最近ハムスターを飼いはじめたそうで、
白黒の毛色をしたその子の名前は〈オセロ〉ちゃん。
白黒っていったら普通そっちだよなぁと思いました(笑)
そんなわけで今回は〈犬〉にまつわるおはなし。
マーク・ハッドン氏『夜中に犬に起こった奇妙な事件』読了です。
これは殺人ミステリ小説である
近所の犬を殺したのは誰なのか?
少年の推理は見たことのない世界へ読者を誘う
ひとと上手くつきあえない15歳のクリストファーは、
近所の犬が殺されているところに出くわす。
シャーロック・ホームズが大好きな彼は、
探偵となって犯人を探しだすまでを、
一冊の本にまとめようと決める。
勇気を出して聞きこみをつづけ、
得意の物理と数学、
そしてたぐいまれな記憶力で
事件の核心へと迫っていくクリストファーだが……
冒険を通じて成長する少年の姿が多くの共感を呼び、
全世界で舞台化された感動の物語
※あらすじは早川書房の商品詳細ページより引用しました:
http://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000013209/
作品を知ったきっかけは、
舞台版の映画化の告知サイト(※)。
気になるタイトルに惹かれ、
たまたま近いうちに近場の映画館で公開が予定されていたので
観に行こう!と思っていたら結局タイミングを逃してしまって…。
数ヵ月後、
失意の中なんと今度は原作のほうを書店で発見。
ならばせめてこちらを!と思って買ってきました。
(※)
詳しくは下記URLをご覧ください。
「ナショナル・シアター・ライブ」 OFFICIAL SITE:
「夜中に犬に起こった奇妙な事件」
http://www.ntlive.jp/curiousincident.html
読んでみてまず驚いたのが文体でした。
詳しいことは後述しますが、
言葉のリズムが独特なので、
最初はなかなかスムーズに読めず戸惑うかもしれません。
文体だけを見て言うならば、
あくまで個人の感想ですが、
私の場合は中盤あたりちょっと読むのがしんどかったです。
登場人物は、
主要メンバーだけならそれほど多くないです。
みんながそれぞれに優しさが空回りしている、
そんな“不器用な優しさの世界”という印象でした。
意見が割れるかもしれませんが私はお父さんが好きです。
チラッとしか出てこない人でも結構優しくて泣けました。
分量は約350ページ前後ですが、
出来事の1つ1つを遠まわりかつゆっくり描いているので、
体感的にはページ数以上のボリュームのように感じました。
私の3倍ぐらい読むスピードが速い(!)
某人も「読みたい」とのことで貸したのですが、
彼でさえ普段よりも若干読むのが遅めでした。
曰く、
「普段はナナメ読みしてるけどこれはできない」。
私もこれほど読みごたえのある小説は久々でした。
以下、
詳しい感想をまとめてみました。
彼は“特別”な主人公なのか?
物語は、
主人公のクリストファーが大好きな“殺人ミステリ小説”として
近所の犬を殺した犯人を探しだす過程を書いているという設定で
進むのですが、とにかく、彼の文章には「なぜかというと」が多い。
だいたい2ページに1~3回は出てきてるんじゃないかって印象。
訳者あとがきにも、
クリストファーがある種の
発達障害をもっていることがうかがい知れよう。
とありましたが、
いわゆる〈サヴァン症候群〉(※)なのではないかというのは私の憶測です。
物事すべてを論理的に考えたい子なのでしょう。
自分にとって困難なことであっても地道に考え、
理論としてどうにか消化しようとしている姿が
健気で真摯で愚かしくもあり、苦しいけれど、愛おしいです。
(※)サヴァン症候群については下記URLを参考にしました。
LITALICO(りたりこ)発達ナビ│発達障害ポータルサイト
「驚くべき能力を持つ「サヴァン症候群」とは?発達障害との関係は?」
https://h-navi.jp/column/article/105
彼を主人公に、しかも、一人称。
複雑で難しそうなとっつきにくい小説に見えますが、
実際に読んでみると意外に共感できる箇所も多くて。
彼の考えかたにはハッとなる場面も多いんですよね。
素数とは人生のようなものだと思う。
それはとても論理的なものだが、
たとえ一生かけて考えても法則を見つけることはできない。
とか、
ぼくは自分の名前が、
親切で思いやりのある行いの話
という意味じゃないほうがいい。
ぼくの名前はぼくをいいあらわすものがいい。
とか。
とても素敵な考えかたをする子だと思いません?
私たちの日常や常識は誰かのそれとは限らない
たとえば、
文章で〈電車に乗ったこと〉を表現するには
私たちはどんな言葉を使って説明するでしょう。
駅まで歩いた。
券売機で切符を買って改札を通る。
〇番線のホームへむかい電車を待つ。
そうして□時△△分にやってきた電車に乗りこんだ。
手頃な席に腰かけて車窓を眺めながら××へむかう。
△△分後に電車が××駅に到着し、席を立ち、電車を降りた。
簡潔に書けば、
まぁこんなところでしょうか。
数えるほどの文だけで〈電車に乗ったこと〉は説明できます。
ところがクリストファーは違います。
彼はその“殺人ミステリ小説”の中で、
何ページも使って〈電車に乗ったこと〉の
説明や風景・心象描写を書いているのです。
先の文章のように
私たちがそれを少ない言葉で説明できるのは、
電車に乗るのは私たちの日常や常識の範疇で、
特筆すべきことのない些細なことだからです。
だけど彼にとってそれは日常や常識の範疇外で、
見るものすべてが困難や難問として降りかかります。
物事を論理的に考えたい彼はそして健気に考え、解決する。
一方で彼は、
得意な数学や物理の話を物語に折りこみますが、
15歳の少年が語るにはあまりにも小難しい内容で、
読者には物語に必要なのかイマイチわかりません。
電車に乗ること。
あるいは数学や物理の話。
誰かにとっての日常や常識は、
別の誰かにとってもそうとは限りません。
誰かにとって些細なことは誰かにとっては難題かもしれない。
ひとというのは、なんだかよくわからない。
それはクリストファーだけでなく、
本当は私たちみんなに言えることなのかもしれませんね。
なぜかというと、人生とは素数のようなものだから。
訳者あとがきに、
そういえば、
最近の新聞にアメリカの研究者が、
史上最大の素数を発見したと報じられていた。
とあったので読後調べてみました。
(※)報道については下記URLを参考にしました。
朝日新聞DIGITAL:
「過去最大の素数発見、2233万8618桁 米大学教授」
http://www.asahi.com/articles/ASJ1R1W3LJ1RUHBI007.html
発見者の教授は、
今も素数探しを続けているとのこと。
クリストファーが言うように
素数が人生のようなものなら、
彼の人生もまた研究と発見の連続でしょう。
最大の素数を見つけるように、
途方もない時間と労力のかかる難題かもしれない。
だけど、大丈夫、クリストファーならきっと上手くやれるはず。
なぜかというと、
人生とは素数、彼の大好きな、数学のようなものだから。