2019年下半期もやっぱり確実に好きだけど具体的にどこが好きなのか言葉にできなかった小説が生まれてしまったので特集を組みました。せめてこれだけは言いたい!というGoodなポイントを中心に書き溜めましたので小田和正「言葉にできない」を脳内再生しながらよろしくおねがいします。

 

2019年上半期版はこちら:

 

2018年版はこちら:

 

 

 

魔弾の射手 天久鷹央の事件カルテ

11年前、医療ミスによって廃院に追いこまれた〈時計山病院〉。医療ミスにより自殺した女性の霊は、今なお正者を誘いだしては時計台から飛び降り自殺をさせているという。そんな時計山病院で新たに転落死したひとりの看護師。自殺が有力視される中、天才女医・天久鷹央は遺体に痕跡の残らない“魔弾”の正体を解き明かし、失意の底で母親の自殺を否定する娘・由梨の救うことができるのか――。長編小説。

 

さっくり読みやすく、身近で親しみやすい医療ミステリー〈天久鷹央シリーズ〉の第10作目。今回はサイン本を読ませていただきました。「事件カルテ」名義の長編だけど、前作『炎焔の凶器 天久鷹央の事件カルテ』に比べるとあっさりめな印象。とはいえ今作は序盤からずっと鴻ノ池の助力があり、着々と3人での「統括診断部」を築きつつあるのは微笑ましいですね。

 

今回は時計山病院で噂される「四階病棟の幽霊」と遺体に痕跡が残らない「魔弾」の正体が謎となりますが、相変わらず本命の「魔弾」については予想外の診断。最近テレビで「ビール自動醸造症候群」という病気を知って戦慄したばかりだけど、つくづく、一般的には知られていない類の病ってこわいなと。そして鷹央の存在や由梨ちゃんの入院から実感する病院のありがたみ。

 

もちろん”魔弾”による一連の転落死が主軸ではありますが、「飛び降り自殺」というのもまた重要なキーワード。

 

「つまり、人間の生命というのは、それ自体が奇跡的なバランスの上に成り立っているものなんだ。そのバランスは、ちょっとしたことで容易に崩れ去る。だからこそ、『死』を身近に意識しつつ、奇跡的に保たれている自分の生命に感謝しながら毎日を生きる。それこそが正しい姿なんだと私は思っている。特に、臨床現場に出て、日常的に『人の死』に触れるようになってからはな」

 

(P269/L7~12より引用)

 

時計山病院で命を落とした人々のように私もかつては「死にたい」と日常的に口にしていた人間なので、身につまされる事件でした。

 

今日も奇跡的に保たれた生命のおかげで本が読めてる。昔はたくさん傷つけてしまったけれど、これからは人と自分の心や身体、大切にしていかなきゃな。

 

 

 

 

 

ぼくを忘れないで

兄の名前はサイモン。きっとあなたも好きになるはず。嘘じゃない。ただし、これからほんの数ページでサイモンは死んでしまう。そして、二度と戻ってこない――。幼かった自分の思いつきが大好きな兄の死をもたらしてしまったという罪の意識に苛まれるマシュー。19歳の彼は今、統合失調症の治療の一環として、自分自身について書き綴っている……。長編小説。

 

統合失調症の患者を語り手とした難しいテーマを扱った作品ですが、さすが、精神病棟の看護師だった経験をもつ著者なのでその筆運びはじつにリアルで複雑。バラバラに構成されたエピソードは「完璧じゃなくても大丈夫。もう十分にすばらしいもの」という祖母、ナニー・ノーの言葉に象徴されるように、なにが本当でなにがそうでないかではなく、すべてをひっくるめてマシューというひとりの家族想いで優しい男の子を愛せるか、と私たちに問いかけるよう。同じ海外小説という括りではニール・シャスタマン『僕には世界がふたつある』(金原瑞人,西田佳子・訳)が近いのかな。

 

冒頭のアナベルと人形のエピソードやサイモンの“安心毛布”などから、私としてはやはり最近読んだ菊池浩平『人形メディア学講義』を想起せずにはいられません。

 

ただし、この物語は思い出の品ではない――出ていく道を見つけるためのものだ。

 

(P301/L7~8より引用)

 

『人形メディア学講義』の言葉を借りるなら、マシューは兄の死を克服・・したのではなく「物理的に時間を共にできなくとも精神的にはいつでも強く結びつきうるという、より成熟した関係への「移行」」の兆しを見せたのだと、私は信じたい。

 

誰もが望んだ結末、とは言えませんがもっともマシューらしく、また、普遍的なラストシーンだと私は思います。きっとあなたも好きになるはず。マシューは最初に兄・サイモンのことをそんなふうに綴りました。だけど本を閉じたとき、家族想いの優しいあなたのことも、ああマシュー、私は好きになっていたんだ。

 

 

 

 

 

川の光

川辺で暮らすタータたちクマネズミの一家は、あるとき人間がはじめた工事のため住処を移らなければいけなくなる。新天地を求めて旅に出た一家に待ちうけていたのは、老イタチやドブネズミ、人間、そして自然の驚異だった。過酷な旅とさまざまな生きものたちとの出会いのうちに成長していくネズミ一家は安住の地にたどりつくことができるのか――。長編小説。

 

人間による突然の暗渠工事で居を移らねばならなくなった小さなクマネズミの親子が“川の光”を求めて約440Pに及ぶ大冒険!どんなときも冷静で頼もしいお父さんや過酷な旅で成長しつつもやっぱりまだまだ子供のタータ、お寝坊でお気楽な末っ子チッチのキャラクターバランスが絶妙で、「ネズミ一家のお引越し」というかわいい言葉ではいいあらわせない緊張感に満ちたストーリーから目が離せません。心の声に留めはしましたが、「ああもう!」「ほらぁ!」「おいこらチッチ!」と何度叫んだことか。

 

困難に次ぐ困難であわただしい展開ではありますが、物語の根底にまさしく川のごとくどっしり流れているのは〈種を越えた命と想いやりの連鎖〉。

 

命を救ってもらったことのお礼は、ブルーに言うだけでは足りないんじゃないのか、とタータは思った。別の誰かの命を救うことで、借りを返す。そうやって貸しと借りが順ぐりに回って、この世は動いてゆく。そうなんじゃないかな。

 

(P161/L11~15より引用)

 

ネズミ、スズメ、モグラ、犬や猫――私たちよりもうんと小さく非力な生きものたちにできることが、人間“だけ”にできないことはないはずです。“川の光”を求めて生きていくために必要なこと、それは、まず自分の手の届く範囲からミクロな視点で今この瞬間を考えつづけることなのかもしれない。読んだあとはそんなふうに力強く感じることができました。

 

「なぁ、タータ、『書く』ことも『読む』こともできないのは、われわれネズミ族の幸福なんじゃないのかな。ぼくはそう思うんだ」

 

(P118/L9~10より引用)

 

グレンさんは言うけれど、さて、はたして人間族にとってはどうだろう。まず自分の手の届く範囲からミクロな視点で今この瞬間を考えつづけること。松浦さんが書いて、私が読んで、私が書いたこの言葉は、あなたに読まれて、……どうなっていくのでしょう。『書く』ことも『読む』ことも私は好き。言葉が残されていくことが種を越えた命と想いやりの連鎖を生む可能性を、これからも模索していきたいですね。

 

 

 

 

 

通い猫アルフィーの約束

秋から冬へと季節の移ろうエドガー・ロードに新たな住人がやってきた!次にアルフィーが救うのは日本からやってきた、離婚で傷ついたシルビーと娘のコニー、そして三毛猫のハナ。今回もあの手(ね)この手で策を講じるアルフィーだが、息子のジョージやガールフレンドのタイガーにも不穏な気配がただよっていて――。長編小説。

 

飼い主を亡くし、孤独な旅の末にたどりついたエドガー・ロードで複数の家に出入りする“通い猫”として第2の人生を歩みはじめたアルフィーが住人たちに奇跡を起こす〈通い猫アルフィーシリーズ〉の第5作目。前作巻末に記された訪日の様子を活かし、今作は「“日本”から新しい住人が」との触れこみでしたが、……違う、そうじゃない。

 

長年のあいだに、家族にはいろんなかたちやサイズがあって、同じものはひとつもないと学んだ。でもお互いを愛する心さえあれば、家族になれる。

 

(P11/L1~2より引用)

 

作中、読者が何度も思いかえすのはこの言葉でしょう。もちろん素敵な言葉だと思うけれど、ただ、人にそれを押しつけてはいけないよね、と、やきもき。どんな物事にも「絶対」なんてないんだよ。あれこれ折りあいをつけながら「絶対」と決めることはできるけど、その中にはたとえば辛抱強く待つこととか身を引くこと、受動的な行動が必要なときもあんだよ、アルフィー。

 

高崎卓馬『表現の技術 グッとくる映像にはルールがある』には「感情は振り子である」と書いてあるんですよ。右に「笑」、左に「泣」があって、そのあいだを心が行ったり来たりしているのだとしたら、悲しみとは、はたして「乗り越える」ものなのでしょうか?

 

愛と孤独、幸せと悲しみがもともと私たちの心に備わっているものだとしたら、それは乗り越えるものではなく認めあって共存していくものだと思います。それを情緒不安定と揶揄する人もいるけど、むしろ、何事もグラデーションのこの世界においては不安定こそあたりまえのことなんじゃないかと。

 

シリーズも5冊目となりすっかり世話焼きが板についてきたアルフィーですが、エンターテインメントとしてもさることながら久しぶりに大切なことを思いだせる、メッセージ性の高い大切な1冊になりました。訳者あとがきによれば未翻訳の本国最新刊があるようですし、次回作にも期待。

 

 


 

以上、2019年下半期に読んだ小説のうち確実に好きだけど具体的にどこが好きなのか言葉にできなかった小説を4冊の、どうにかこうにかこねくりまわした感想でした。それではまた不本意ながら、たぶん【2020年上半期】編でお会いしましょう。

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。