1年前ぐらいに美容院で手すさびに読んでた雑誌に紹介されていた『エドウィン・マルハウス』やっと読めました。ミルハウザー作品は『私たち異者は』ぶり2冊目。ジェフリー・カートライトなる少年が執筆した評伝『エドウィン・マルハウス あるアメリカ作家の生と死(1943-1954)』という体裁で、傑作『まんが』を遺して夭折したエドウィンとその親友ジェフリーを通した子供たちの世界を描きます。

 

翻訳の岸本佐知子さんによればこれは「伝記の形式を借りた小説」であり、ともすればジェフリーの手癖というべきなのか緻密というか過密な描写によって時間は遅々として進み、息苦しい文体がつづきます。単純計算にして1年あたり47ページ。ジェフリーのほうが半年早く生まれているとはいえ、エドウィンが生まれたそのときからこれほどの記憶を持っているというのだから、すごいを通り越してあきれる。

 

かつてエドウィンは、彼の人生に大きな影響を与えた三人の同世代人の中でも、エドワード・ペンだけは彼の心にいつまでも消えない跡を残した、と語った――もっとも彼は、それがどんな跡なのかという僕の問いには答えられなかったし、実際にはペンのこともあらかた忘れてしまっていたのだが。「あとの二人って?」僕は期待をこめて、こう訊いた。彼は即座に答えた。「ローズ・ドーンとアーノルド・ハセルストローム」一瞬気まずい沈黙が流れた。「ああ」エドウィンは急に顔を赤らめて付け加えた。「あと、君もだよ、ジェフリー」そして手を上げると、そっと僕の肩の上に置いた。「君は昔から算数が苦手だったからね」僕は皮肉っぽく言った。しかし、彼はきょとんとした顔で僕を見返しただけだった。何度も言うように、エドウィンは決して他人のジョークを理解しない人間だったのだ。

 

(P153/L10~P154/L1より引用)

 

本作の大まかな見どころはエドウィン本人が言ったように、エドワード・ペン、ローズ・ドーン、アーノルド・ハセルストローム3人のエピソードでしょう。エドウィンが『まんが』を書くおそらく最初のきっかけとなったペン、初恋の相手ローズ、結果的にエドウィン夭折の布石を打っていくこととなったアーノルド……ちなみに、文庫版あらすじには「捨てられた遊園地」とありましたが頻繁に登場するロケーションではなく、他ほど重要でもないんじゃないかなと。まぁ廃墟の遊園地が好きな人は多いし、作品に興味を持たせるために出版社側がピックアップした要素なんですかね、そこは。

 


 

さて、本作の特筆すべき点はエドウィンの非凡な才能ではなく、じつは〈観察者〉であるジェフリーの異常な執着です。

 

3人のうち、とくにローズやアーノルドのエピソードはなかなかに壮絶。コミュニケーションが苦手なエドウィンが毎日のように駄菓子屋へ通ってローズ(脈なし)へのプレゼントを物色する様子は哀れだし、アーノルドとの友情をより一層深めるため自分の趣味を押しつけはじめるくだりには日頃の自分をふりかえりながら「ああー」という声が自然に出ましたし。で、その恋とか友情の破滅を、ジェフリーはというとただ見ている・・・・んですよね。毒にも薬にもならない生返事しながら。この狂気。くりかえすけど、ローズやアーノルドとの関係性は最終的に破綻するの。それは、あるいはジェフリーという親友が能動的に介在していたらもしかしたら避けられたかもしれない結末なのに。

 

文芸評論家ウェイン・ブースは『フィクションの修辞学』の中で「一人称の語り手は信頼できない語り手である」と言いました。

 

読者が語り手を信頼できなくなる理由は、語り手の心の不安定さや精神疾患、強い偏見、自己欺瞞、記憶のあいまいさ、酩酊、知識の欠如、出来事の全てを知り得ない限られた視点、その他語り手が観客や読者を騙そうとする企みや、劇中劇、妄想、夢などで複雑に入り組んだ視点になっているなどがある。

 

――信頼できない語り手 – Wikipediaより

 

たしかに家がとなり同士でつきあいも長いけれど、2人がなにをするのも一緒で気心の知れた親友かと問われれば、どうなんでしょう。先の引用を読んでもらえばわかるとおり、ジェフリーの存在がエドウィンの人生に重大な影響を及ぼした事実はなく、また、言葉の節々からジェフリーもエドウィンをどこか見下しているんですよね。そもそもジェフリーは「最初の対面の瞬間から、が観られる側であり、は観る側だった」と一貫してたし。

 


 

ルドンという画家がいます。

 

植物と目をモチーフにした作品を多く残した画家なんですけど、ルドンが「目」に執着した理由について、ここでは「山田五郎 オトナの教養講座」で紹介されている考察を参考にしてみようと思います。

 

 

ルドンは1883年に出版したリトグラフ集『起源』の中に「最初の視覚は植物によって試みられたのではないだろうか」という作品を収録しています。ルドンは植物学者のアルマン・クラヴォーと知りあったことで植物や菌類の観察が好きになったそうなので、彼の創作において植物は切り離せないものだったのかもしれません。

 

山田さんは動画の中でさらにアンソフォビア(花恐怖症)について触れています。文字どおり花がこわいという恐怖症ですが、アンソフォビアの人たちはしばしば「花に見られている」と言うそうです。実際、日本人画家の亀井徹さんによる『花虫達』という作品では人間さながらの眼球を持つ花や蝶の姿が描かれていました(亀井さんはアンソフォビアではないそうですが)。

 

こわい、だからこそ惹きつけられる。これがルドンにとっての強迫観念になっているのではないかというのが山田さんの見解です。見る/見られるという相互関係は、太古から我々生命に宿命づけられてきたものなのかもしれまない。

 

人の才能が遺憾なく発揮されることを、偶然にも日本語では「花開く」といいますね。

 

ジェフリーが伝記にしたことでエドウィンが初めて世界に存在したように。あるいは、エドウィンの伝記を書いたことでジェフリーの存在が世界に認知されたように。誰かに見られることによって「生」は初めて「人生」になる

 

時が経ち、文明が発達すればするほど人間は既存のなにかを発掘して応用して利用するスパイラルから逃れられず、パノプティコンと化した現代で私たちもまた、他人の人生を見、模倣することでしか生きられなくなってきているのかもしれない。と思いました。

 


 

しかし、僕はこの機会にエドウィンに――彼が今どこにいるのであれ――こう問いたい。伝記作家の果たす役割は、芸術家のそれとほとんど同じくらい、あるいはまったく同じくらい、ことによると比べ物にならないくらい大きいのではないだろうか? なぜなら、芸術家は芸術を生み出すが、伝記作家は、言ってみれば、芸術家そのものを生み出すのだから。つまり、こういうことだ――僕がいなければ、エドウィン、君は果たして存在していただろうか?

 

(P186/L2~7より引用)

 

芸術家そのものを生み出す。この「生み出す」とは表向き「発掘」の意味でなんですが、伝記という形式上ほとんど語られることのないジェフリーのたとえば家庭環境や学校生活を鑑みたとき、それは「創造」と捉えることも、できなくはないですよね。

 

ジェフリーが11年間ものあいだエドウィン1人に向けてきた執着は「移行対象」という言葉に変換することができるのではないでしょうか。

 

これは英国の心理学者、ドナルド・ウィニコット(Donald Winnicott)によって提唱されたもので、主に乳幼児が母と未分化の状態から移行し成長するために必要となる毛布やぬいぐるみを指す。

 

菊池浩平『人形メディア学講義』より

 

菊池さんは有名な例としてあのスヌーピーで有名な漫画『ピーナッツ』に登場するライナスの毛布を挙げ、さらに次のように解説します。

 

ここでウィニコットは、移行対象とは主観と客観が交差する中間領域に存在し、成人となってもそれなりに許容され得ると述べる。ライナスの例でいえば、彼にとって毛布は肌身離さず持っておきたい存在だが客観的にはただの布に過ぎない。その時の毛布は、まさに主観と客観の中間領域にあるといえる。ウィニコットはそれを狂気と紙一重であると言い添えてはいるが、誰かの主観において特別ななにかがあれば、それが客観的に見てどんな存在であろうと、その誰かが何歳であろうと、侵害されるいわれはないわけだ。

 

菊池浩平『人形メディア学講義』より

 

ジェフリーがエドウィンのことを「天才」や「伝記」などさまざまなフィルターでろ過していった結果、もはや人間としてすら捉えていないのではないか、と私は思っています。だとすればジェフリーにとってエドウィンこそが〈中間領域〉であり、ポールという新たな「興味深い」観察対象を得たという最後の一文にも納得するものがある。つまりエドウィンは非凡の天才ではなく、交換のきく”安心毛布”だった

 

『エドウィン・マルハウス あるアメリカ作家の生と死(1943-1954)』――もし、この伝記がジェフリー・カートライトという信頼できない語り手による声なき叫びであったとしたら。芸術家と伝記作家、創作と観察、エドウィンとジェフリー……子供たちの歪な執着の世界で、最後に笑ったのはどちらだったというのでしょう。

 

参考文献 / WEBサイト

菊池浩平『人形メディア学講義』(河出書房新社)

信頼できない語り手 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E9%A0%BC%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%84%E8%AA%9E%E3%82%8A%E6%89%8B

【ルドン】もしや進撃の巨人!?超独創的画家が巨人を描く!【キュクロプス】
https://www.youtube.com/watch?v=rjEZ9NqvjAY

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。