ネタバレ注意!

本記事は橋本ツカサ『人間レベル』の重要な部分または結末について触れていますので、作品を既読である、またはネタバレを承諾する場合のみ閲覧することを推奨します。

 

神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。

 

マザー・テレサ

 

 

橋本ツカサ『人間レベル』を読みました。主人公の雄一が高校生なので(後半とくに大学生のほうが自然なのでは?と思った)30歳が読むにはしんどい文章・展開だなぁと思いつつ、〈善とはなにか?〉というテーマにはいろいろと考えさせられるものがありました。時計じかけのオレンジとかパノプティコンとか。神のキャラクター考えると表紙みたいな顔しないだろと思いますが、これはもしかすると最後にあらわれた雄一のお姉ちゃんなのかもしれない。

 


 

さて、時を遡ること8年前。全人類の夢に突如としてあらわれた神は天国と地獄の存在を明言し、死後の待遇は生前の善行や悪行を加点減点した「人間レベル」で決定すると告げます。以降、世界から犯罪は減り、戦争もイジメもなくなり、そして善意に対する「ありがとう」という言葉と感謝の気持ちもなくなった――。

 

この神本物か?とずっと疑って読んでいたんですけど、本物でした。一応、彼女を信じる根拠として「神が初めて夢に現れたその年に、何故か日本中の桜が咲かないという怪現象が発生した」「それだけでなく、外国では砂漠に見たこともないような巨大なオアシスが突如出現したり、植林された樹木がありえない速度で成長したりと、様々な怪現象がその年に限って頻発した」からと説明されているんだけど、それにしたって人類あっさり彼女のこと信じすぎじゃない?

 

だって極論、全人類が同じ神の夢を見ること自体が世界規模かつ社会的な催眠実験で、催眠なのだから当然視覚をはじめ諸々錯覚させることもできるってふうにも考えられません?でなきゃ神が定めたにしては「人間レベル」の設定ってあまりに粗がありすぎる。生まれてからのポイント制なら生後まもなくして死んでしまった赤ちゃんは問答無用で地獄に直行だし。

 

というわけで、大がかりな催眠実験じゃないとしたら地獄に人が集まりすぎたので皆さん天国に来てくださ~いっていう性悪説からくる人数操作かなと思って読んでいたんですけど、逆でしたね。天国に人が増えすぎて労働力が足りないので天国下層~地獄に人数振りますっていう。嘘だろ。現実世界のSNS文化が反映されていたら今ごろ地獄は労働力で大盛況だと思う

 

ただ、なんで人類がこんな簡単に神を信じちゃったのか、っていうのには心当たりもあって。

 

このあいだある人とSDGsはファッションという話をしてて、私が「全体でああしようこうしようって話ばかりで1人ひとりが日常で実践できる具体例全然掲示してくれないよねー」と言ったら彼えらく納得していました。「だからサステナブルファッションって流行るんだな」って。

 

つまり、大きすぎる目標に対してわかりやすい言葉を使ってあげると、人間それにしがみついてしまうんだなと。本作における神や「人間レベル」というシステムも似たような仕組みなのかもしれん。自分で考えてもわからないから(※そもそも別々の思想をもった人間が群れて暮らす社会に「正解」などない)自分よりも格上の人間が言っていることに従っておく。精神科医の名越康文さんが『リトルナイトメア』のゲーム実況にて「人格とは主体的に見えてじつは強迫観念の亡霊みたいなものなのかもしれない」と仰っていたんですけど、うーんなるほど。

 

どいつもこいつも、死んだ後の話ばかりしやがる。

 

(P30/L1より引用)

 

あと、今世を死ぬまでの“準備期間”のように考えてしまうのは、個人的には社会学者の古市憲寿が大澤真幸の論を用いて説明したという次の引用を彷彿とさせました。

 

大澤によれば、人が不幸や不満足を訴えるのは、「今は不幸だけど、将来はより幸せになれるだろう」と考えることができるときだ。逆にいえば、もはや自分がこれ以上は幸せになると思えないとき、人は「今の生活が幸福だ」と答える。若者はもはや将来に希望が描けないからこそ、「今の生活が満足だ」と回答するのではないか。

 

斎藤環『承認をめぐる病』より

 

ははぁ、どうりですんなり神を認めてしまうわけだ。昨今異世界転生ものが人気なのと同じ理屈かもしれない。誰もが今をあきらめていて、次の世界で今の人格や生活、スキルを肯定されることを夢想している

 


 

そういえば、もしも天国と地獄が本当にあったとして、きっと天国にあるのは微笑みだけで、笑いは地獄に満ちているだろうみたいなことを岡田斗司夫さんがYoutubeにてなにかの動画で言っていました。

 

天国と地獄というのはジュリアン・バジーニ『100の思考実験』の中で紹介される、ミルの功利主義をベースにした思考実験「楽しみの法則」のようなことだと思うのですが、

 

楽しみの法則:

ある女性が2つの国から大使職を打診されている。どちらも島国で地形や気候は似ているのだが、A国には厳しい法律があり、犯罪や非道徳的な行為はもちろん大衆的な娯楽や贅沢までもが禁止、許されているのは音楽や芸術など高尚な楽しみだけだ。一方、B国には知的さも芸術性もないが、酒はおろかドラッグなどあらゆる低俗な快楽が許されている。高尚な文化と低俗な娯楽、どちらも混ぜて楽しめるのならそれが一番だが、彼女は選ばなくてはならない。シェイクスピアかブリトニー・スピアーズか、それが問題だ。

芸術は低俗でかつ普遍的なテーマから生まれることが多いから、私は一概に天国がいいとは思わないな。こういうのってわりと本人の心持ち次第だと思うんですよね。楽しいという感情を大切にしている人は自分からそれを探して全力で楽しもうとするので、場所や環境は関係なかったりします。本作における天国や地獄の造形は結構人間の想像力に寄るらしいので、全人類が江口夏実『鬼灯の冷徹』みたいな地獄を想像しておけばきっと地獄も楽しい。

 

 


 

あとこれは完全に余談ですけど、レストランで起こった火災、結局詳細は語られなかったけどたとえばあれが京王線のジョーカーみたいな「無敵の人」による革命ぶったテロとかだったらまたちょっと話が変わるなとか、隼人が迷子であることより食事に関心を向けるあたり家庭環境になんかありそうだなとか、期待していたら話が膨らまないままサクッと予定調和で終わってしまったので残念でした。まぁ一人称だとこのあたりには限界ありますよね。

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。