ネタバレ注意!

本記事は赤松利市『らんちう』の重要な部分または結末について触れていますので、作品を既読である、またはネタバレを承諾する場合のみ閲覧することを推奨します。

 

赤松利市『らんちう』を読んだあとのアウトプットです。「殺されて当然」とすら思ってしまう支配人の強烈な手腕と性格、従業員たちの口からサブリミナル的に聞かされる自己啓発セミナーの異様な光景、その前提として見えてくる私たち(20~30代)のさまざまな形での貧困。犯罪小説としてもさることながら、考えさせられるテーマでした。

 


 

まず、タイトルの「らんちう」はランチュウという金魚のことです。見る人によっては結構グロテスクに感じるかもしれないのでここではいらすとやの画像をお借りしますが、こんなのですね。

 

 

初めてランチュウを見たとき、最初に思ったのは「脳」でした。脳味噌に似てるな、と。まるでむきだしの脳味噌にそのまま顔がついているような……そして、「脳」という単語は驚いたことに本当に作中、意外な形で登場します。

 

睡眠負債という言葉をご存じでしょうか?

睡眠の不足は前頭葉の働きを低下させます。前頭葉はご存じですよね?

――そう、おでこの裏にある脳です。脳内の記憶を引き出す、論理的に思考する、適切な判断をする、注意力を維持する、それが前頭葉の役割です。この働きが悪くなると、馬鹿になります。そしてハイになります。寝不足ハイです。そうなってしまえば、マインドコントロールは自由自在です。

 

(P341/L16~P342/L3より引用)

 

これは持論なんですけど、たぶん人間って睡眠欲・食欲・性欲のうちなにかが欠けてしまうと幸せを感じにくくなってしまうんですよ。

 

誰でもいいので、いわゆる「成功者」とされる人たちを思いだしてみてください。彼ら彼女らは偏食だったり食事に興味がなさそうだったりしませんか?寝ることを時間の無駄みたいに思っていて、ショートスリーパーだったりしませんか?ときめくような恋(「ときめく」というところが重要です)をしていますか?おそらく、どれか1つは当てはまるところがあると思うんです。だから成功しているんです。三大欲求がきちんと満たされていないからなにか他の要素で幸せを補おうとしていて、それが世間的には「成功」に見えるのだと私は解釈しています。

 

そして、市販の弁当のような決まった適当な食事、極端な睡眠時間、私語厳禁……作中で語られる自己啓発セミナーの環境はまさに3大欲求をあえて欠落させる生活といっていい。

 


 

さて、ここで突然、究極の4択です。

 

①成功
②幸せ
③満足
④栄光

 

このうちどれか1つしか選ぶことができないとしたら、あなたはなにを選ぶでしょうか。

 

 

これは岡田斗司夫さんの動画の受け売りなんですけど、まず①と④は他者がいなければ成立しない、社会性の強い幸福なんですね。対して②と③は自分だけ、または自分の他に1人か2人いれば成立する社会性の低い幸福ですが、自分を納得させるのはとても難しいことなのでかえって地獄なんですよこれ。とくに②というのは極論、無人島に流されても成立しなければいけない。私は②と回答しましたが、おまえにそれができるのかと。

 

冒頭でさまざまな貧困が前提にあるという話をしましたが、基本的にこの無限の地獄飢餓状態こそを「貧困」というのではないでしょうか。

 


 

 

岡田さんの動画にはさらに橘玲『幸福の「資本」論』を元にした友人不要論の動画があるのですが、これ(『幸福の「資本」論』)によると、まず幸福を条件づけるものは

 

①自由
②自己実現
③共同体=絆

 

であると。そして、この3つを設計するために必要な3つのインフラがこちら。

 

①自由⇒金融資産(財産)
②自己実現⇒人的資本(働いて評価や金を稼ぐ能力)
③共同体=絆⇒社会資本(人間関係)

 

3つすべてがそろっていないとダメということはないそうですが、3つのうちどれか1つでも「欠けている」と感じると、たとえ実際には欠けていなくても、人は不幸だと思ってしまうそうです。

 

そして、この3つのあるなし+すべてある、すべてないの計8パターンで、幸福は定義できてしまう。

 

①超充:全部あり
②リア充:財産なし / 能力あり / 友達あり
③旦那:財産あり / 友達あり / 能力なし
④金持ち:財産あり / 能力あり / 友達なし
⑤退職者:財産しかない
⑥ソロ充:能力しかない
⑦プア充:友達しかない
⑧貧困:全部なし

 

ただし著者の橘さんは①は「現実にはありえない」⑧は「どれか1つさえ獲得すれば上の階層に上がれるのであまり考える必要はない」と述べているそうなので、おおよそはその中間の6パターンに当てはまるし、どれか2つさえそろえれば幸福の条件になるのだろう、とのことでした。

 

個人的に、本作の自己啓発セミナーは⑥ソロ充の人たちに対して〈受講者〉というかりそめの友達を与え、成功=財産という希望を見せることで超充になれる幻想を抱かせているのではないかと思いました。

 

くりかえし書きますが、超充は、現実にはありえない存在です。

 


 

話を広げすぎてしまいましたが、ここで改めて内容をふりかえりますと、まず千葉のある旅館にて従業員の大出隆司(35)、花沢恵美(28)、石井健人(26)、藤代伸一(35)、鐘崎祐介(36)、あとから電話で呼ばれた元従業員の石和田徳平(65)計6名により支配人が絞殺される事件が起きます。第2章からはその事情聴取を行っているという形で物語が進んでいき、参考人らの供述、そしてエピローグの構成。

 

このうち石和田は支配人に対して明確な殺意があり、それで藤代に誘われたという経緯なので、ここでは除外します。残り5名の共通点としては、1つに20~30代の若者であるというのがありますね。これが作品の1つの重要なポイントでもあります。

 

もう1つ、元副支配人である高富悦子の言葉を借りると彼らは皆、

 

大出:真面目
花沢:一途
石井:勉強家
藤代:プロ
鐘崎:不真面目

 

――そう、真面目・・・な性格でした。

 

これだけ真面目をあらわす(ぼかす)言葉にバリエーションがあるのは、日本のお国柄というべきなのか、はたまた教育のたまものというべきか。ちなみに鐘崎の不真面目は他との対比であり、これがさらに重要なポイントでもあります。この点に関しては後述します。

 

「いや、まじめというのはね、悪くないけれど、少なくとも自然じゃない」

 

これは、砥上裕將『線は、僕を描く』を読んだときに私がもっとも衝撃を受けた言葉です。水墨画の巨匠である湖山先生は主人公の青山に対して、さらに次のようにつづけます。

 

「君はとてもまじめな青年なのだろう。君は気づいていないかもしれないが、真っすぐな人間でもある。困難なことに立ち向かい、それを解決しようと努力を重ねる人間だろう。その分、自分自身の過ちにもたくさん傷つくのだろう。私はそんな気がするよ。そしていつの間にか、自分独りで何かを行おうとして心を深く閉ざしている。その強張りや硬さが、所作に現れている。そうなるとその真っすぐさは、君らしくなくなる。真っすぐさや強さが、それ以外を受け付けなくなってしまう。でもね、いいかい、青山君。水墨画は孤独な絵画ではない。水墨画は自然に心を重ねていく絵画だ」

 

本作を読むのとちょうど同じ時期、樋口恭介編『異常論文』の巻頭短編、円城塔「決定論的自由意志利用改変攻撃について」を読んでいました。

 

これは予知と想像はどう違うかという話で……なんていったらいいんだろう。「オブジェクトA」というロボットがいて、敵の未来予知の中で動いているオブジェクトAと、その未来予知を受けたまま別の軌道を想像しているオブジェクトA、そして実際その想像どおりに動いたオブジェクトAははたして同じオブジェクトAなのか?みたいな。まぁ、たぶんそういう話なんですよ。図にするとこんな感じ。

 

で、この構図が本作における5人の従業員と若女将である純子の立ち位置に似てるんじゃないかなと思って。

 

純子のようにセミナーの本質に気づいて搾取する側にまわろうとしても、結局それはCの宇宙に到達したというだけで、洗脳のシステムそのものから脱却できたわけじゃない。本当の意味ですべてを俯瞰するDの宇宙にいたのは鐘崎で、ただ、彼のように自我を維持しつづけられる人間は現実世界でもとても少ない。そして圧倒的に凡人で構成される社会では、彼のような人間こそが洗脳者に嫌われ非洗脳者に疎まれ、路頭に迷ってしまう。皮肉なことに。

 

同じように貧困を扱った畑野智美『神さまを待っている』では「貧困というのは、お金がないことではない。頼れる人がいないことだ」と書いてあったのが印象的でした。

 

人生そのものが見世物になってしまう現代で、信用、ひいては「真面目」が究極の財産になってしまうのだとしたら。本作で描かれた多様な貧困の最たるものが鐘崎のような人生ということになる。彼自身にはそれをものともしないタフさがあるけれど、私たちはどうだろう。多様性の社会で、彼のようにマイノリティーを自ら選び取ることが、本当にできるのだろうか。

 


 

最後に、この小説のあらすじを話したとき「これ思いだした」と知人から観せてもらったローランドさんの動画を紹介して終わります。本作を読んだあとだと一層はっとなる良い動画でした。喩えがかなりわかりやすい。

 

 

金銭的な意味でも精神的な意味でも、貧困はきっと思考の停止からはじまる。

 

たとえランチュウのように歪な姿になってしまっても、どうか私に最後に残されるものが、考える脳でありますように。

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。