中高生の頃は小説を書いていました。
父からもらった古いノートパソコンで物語を書き、
父からもらった古いプリンターでそれを印刷して、
のりで貼って包装紙でカバーをして「製本」して、
今でも20作ぐらいは部屋に大事にしまってあります。
将来は小説家になりたい、と思っていました。
大学に進学したあたりから物語はほとんど書いていません。
アイディアは浮かぶほうですが文字に起こす気力がなくて。
想像がそのまま目の前で一気に文字になればいいのに(笑)
作家は文章力よりも何よりもまず体力が必要だということ。
物語は幸せなときよりも孤独なときに生まれやすいということ。
小説家を目指していた頃に学んだことを思いだしました。
今回は〈書けない作家〉のおはなし。
『貸し本喫茶イストワール 書けない作家と臆病な司書』読了です。
コーヒーを飲みながら店内の本を読める喫茶店。
気に入ったならそのまま数日借りることもできる。
ブックカフェと図書館の中間、と、言ったら良いのかな。
司書補として働くことになった晃司は、
デビューしたもののヒットに恵まれず書くことができなくなった作家。
司書であり幼馴染の文弥子は、
一万冊の中から客が求める「究極の一冊」を選び抜けるのだという。
作家と司書と客。
本を書く者と選ぶ者と読む者が集まったその場所では、
「書く」「読む」あるいはどのような役割を背負うのか…。
設定自体はとても魅力的。
本を〈物語〉としてだけでなく〈本〉という商品として捉える部分もあり、
本を書いて売らねばならないという出版業界の裏側もまた見られる。
終盤には「読む」だけに留まらない読書の可能性も描かれていて好き。
ただ構成面が難アリでした。
物語の導入で1冊が終わってしまったような。
実際に続編が出るのかもしれませんがフワフワした内容でした。
心に迷いを抱えたお客様を(本で)癒す。
本好きにはたまらなく魅力的な設定であるはずなのに、
全編を通して喫茶イストワールが癒すお客様が1人とは物足りない。
連作短編とかにはできなかったのでしょうか…1冊に1人でシリーズ化?
この世界、
本には書いていないことだらけで、逃げ出したくなることばかりです。でも、逃げてください。
(中略)
本って、そういうためにあるもの。
そんなふうに考える人だっています。私がそうです。
本にできることは、本に頼んでしまえばいい。
全体的には児童文学っぽい展開ではありますが、
終盤はなかなかグッとくる名文が多いので大器晩成型ですね。
本好きのための小説というのは結構あるけれど、
この視点を書いた人はじつはそんなに見たことない。
小説もまた「本」の一種であって、
そこには読者・作者だけではない者たちがいるということ。
そして読む・書くだけではない役割が本にはあるということ。
関係のない話ですが、
作者紹介欄の「原稿執筆は手書き派」というところが好き。
原稿用紙に物語を書く人って今どれだけいるのでしょうね。
紙フェチとしてはこういう小説家を応援していきたいですよ。
続編が出るようならまた読みたい!