ホリー・ジャクソン『自由研究には向かない殺人』(服部京子・訳)を読みました。あらすじに「ひたむきな主人公の姿が胸を打つ」とあって、他所でもそのあたりがよく挙げられていたので手にとってみたのですが、広告に偽りなし!次々と浮かびあがる容疑者たちや被害者の秘密、脅迫者の影に翻弄されながらも一生懸命立ちむかうピップには好感しかなかった。相棒となるラヴィとのやりとりも微笑ましい。続編はもちろん買います。
あと個人的に推しておきたいポイントとしては、自由研究の表紙にはじまって、インタビューの書き起こし、自作の地図、SNSのスクリーンショットなど小説の固定概念に囚われないさまざまな演出。本を縦に持ったり横に持ったり、ページを前に進めたりうしろに戻ったり、ワクワクします。これ約600ページと結構あるんですけど、作中ちょくちょくこういうフックがあるから読んでて全然飽きない。作者略歴に大学で言語学と文芸創作を学んだとあって納得しました。
アンディ・ベルの身にいったいなにが起きたのかと町の人びとに訊いてみると、ためらいもなくこういう答えが返ってくるだろう。「アンディはサル・シンに殺された」“聞いた話によると”も“たぶん”も“おそらく”も“だと思う”もつかない。
(P37/L11~13より引用)
この事件にはモンスターと呼ぶべき人物が何人か登場しますが、彼らの心のうちではつねに善と悪が表裏一体になっていることにわたしは気づきました。さまざまな形の絶望をかかえた人たちが衝突しあった結果、この物語は生まれてしまったのです。
(P569/L1~3より引用)
公平さ、とはちょっと違うかもしれないけど、最近プレイした『RescueME ネット越しのカウンセラー』(iOS/Android)というスマートフォン向けのゲームは物事を多角的に見ることの難しさを実感するうえですごく参考になりました。
カウンセラーに求められるもっとも基本的で重要な素質は、相手の心に寄り添う優しさです。そして作中で語られるとおり、誰かに悩みを打ち明ける人間にはじつはもう〈答え〉が決まっていることが多い。すなわち、カウンセラーの役割は相手からその〈答え〉を引きだし、自力でそこに至るためのアドバイスをすることなわけです。
そして、「相手を導く」のではなく、ときに自分や社会にとっての正しさを曲げてでも「相手の〈答え〉に寄せる」ことができるのかというところにカウンセリングの本質と難しさがある。
人を動かすのは、「がんばれ」ではなく「がんばったね」や「(一緒に)がんばろうね」という受容です。ただ、それは相手を救うと同時に自分のストレスにもなりうる。5人の性格や悩みに応じて意識的に言葉を選び、人の心に寄り添うとはどういうことかを考えながらプレイしていくことで、いよいよ最後あの選択肢に意味が出てくるんだろうなと。
こんなの莫迦げてる。ただの声なんだし、しゃべっていることも――あの不作法な男をべつにすれば――そんなにひどい内容じゃないのに。しかし、声の数があまりに多く、逃れようがなかった。口々に質問を投げかけ、近づいて写真を撮ろうと押し合いへし合いしているパパラッチの群れに囲まれているような感じ――小突きまわされ、フラッシュで目が眩み、もみくちゃにされる。
コニー・ウィリス『クロストーク(上)』(大森望・訳)より
情報に呑みこまれていく恐怖を、コニー・ウィリスは『クロス・トーク』の中で「洪水」に喩えています。積極的に探す姿勢も大切だけど、あればあるほど、なにが“正しい”かわからなくなる。
「わたし、あなたのお兄さんがやったと思っていないから。それを証明しようと思うの」
(P16/L7より引用)
そんな、恐怖に打ち勝つための信念が、ストレスにしないための公正さが、自分の中にもあればいいなと思いました。