恋愛小説って読みますか?
私は純粋な恋愛小説って普段まったく読まなくて。
本棚チラと確認してみましたが、
蘇部健一氏『運命しか信じない!』とか『赤い糸』とか、
岸田るり子氏『無垢と罪』ぐらいしかありませんでした。
だけどこれってたぶんどれも恋愛ミステリーの類ですし。
ゴリゴリの恋愛モノ『東京少年』もありますけど、
これも映画のノベライズ本なので厳密には違うし。
ああ、
山本渚氏の『吉野北高校図書委員会』シリーズがありました。
純粋な恋愛小説ってこのシリーズが唯一かな…おすすめです。
映画や漫画なら全然観る(読む)んですけどね。
乙女ゲームとかもまぁ普通に遊びますからね。
思うに、
小説となると心象描写も言動もすべて活字表現になるので
どうしても遠まわりというかクドく感じてしまうんですよ。
私は恋愛模様は視覚で楽しみたいので合わないんでしょう。
あれ、
今年2月に瀬那和章氏の『花魁さんと書道ガール』も読んでいましたね。
そ こ そ こ 読 ん で た (ノ∀`)イヤン
というわけで、
今回は恋愛小説(家)のおはなし。
森晶麿氏『偽恋愛小説家』読了です。
偽恋愛小説家が紐解く悪夢の歌
俺がニセモノだったら、どうする?
「第一回晴雲ラブンガク大賞」を受賞して、
華々しく文壇にデビューした恋愛小説家・夢野宇多。
その勢いを買われてか、
恋愛小説のようにロマンティックな
体験談を持つ女性を実際に訪ねて話を聞く、
というネットテレビ番組のホスト役の仕事が入ってくる。
担当編集・井上月子の説得で
仕事を受けることとなったのだが、
そこで出会った女性は、
まさに現代のシンデレラのようなエピソードを持つ女性であった。
しかし、
夢野宇多は話を聞くうちに
エピソードに隠された真実に気づいていく……。
その一方で、
夢野宇多の受賞作は
亡くなった彼の幼馴染みが書いたのではないか、
という疑惑が浮上し、
物語は意外な展開を見せはじめるが――。
※あらすじは本書カバー袖より引用しました(一部編集)
過去に一度読んでいる作品なのですが、
先日続編にあたる『俗・偽恋愛小説家』を購入したので
復習がてら再読しました(Mugitterに記事も書けますし)。
続編刊行に合わせて
このあいだこちらの文庫版が出たようですが、
今回はハードカバーのままで再読をしました。
記事を読んでみて気になった方は文庫版もチェック!
個人的には、
ハードカバーの装丁がとっても好きなんです。
作品の雰囲気に合ったミステリアスで不穏な色味。
表紙重視する方ならジャケ買い案件だと思います。
ちなみに文庫版は見た感じこっちより明るい雰囲気でした。
文体は、
正直クサイなと思う表現もありましたけど←
恋愛モノですし雰囲気補填として許容範囲。
テンポもよく2日で読めてしまったのでやはり文章は巧いです。
キャラクターは、
爽やかに飄々と毒を吐いてまわる夢センセが容赦なくて好き。
だもんで後半諸々「らしくないな」と思わないでもないですが。
相棒の月子も良くも悪くも“新米”でかわいらしかったです。
構成は、
現実的に考えるとやや強引な設定ですが
扱っている童話とは調和がとれていたと思います。
元ネタへの造詣が深さがよくわかる構成でしたね。
夢センセや月子のバックグラウンドにもちゃんと触れられていてよかった。
以下、
各話感想をまとめてみました。
運命の恋って、それ、本当?
第一話 シンデレラの残り香:
ネットテレビ番組の収録で出会った、
まさに現代のシンデレラな女性の恋の真相に迫るおはなし。
昔たぶん漫画で読んだんですけど、
記憶にもっとも結びつきやすいのは嗅覚だとか。
だけど私はこれまったく実感がないんですよね。
嗅覚で記憶が呼びさまされたことなんて一度もない。
以前にも書きましたが
私はあまり○○姫系の童話に詳しくないので、
夢センセによるシンデレラの解釈のシーンは
ネットでぽつぽつ調べながら読んでいたんですけど、
元ネタを丁寧に忠実に汲んでいて心底感心しました。
笙子さんたちのおはなしですが、
私は正直知らぬが仏っていうか。
あのままだったらそれはそれで、
二人は幸福だったんじゃないかと思うんです。
二人で分かちあうという幸福ではないけれど。
余談ですが、
映画『イントゥ・ザ・ウッズ』のシンデレラは
グリム童話のほうのシンデレラだったんですね。
第二話 眠り姫の目覚め:
大御所作家の息子と新人作家の結婚。
世間から〈眠れる森の美女〉と呼ばれた女性の恋の真相とは。
再読するまで忘れていたんですが、
眠れる森の美女の解釈がそれはもう強烈でした。
容赦ないし結構救いもないので個人的には1番好きです。
後味の悪い話まとめとかが好きな人は楽しめる解釈かと。
また映画の話になりますが、
私はこれ読んだときに『マレフィセント』を思いだしたんですよね。
もちろん題材は同じおはなしでも内容はまったく別物なんですけど。
「プロットは設計図だもんな」
「そうです。設計図なしで家を作る建築家はいません」
「いるよ。アントニオ・ガウディだ」
「夢センセはガウディですか?」
「もし俺がガウディに見えるなら、君は医者に行ったほうがいいな」
思いかえしてみると、
P121の夢センセと月子の会話が私には妙に印象的でした。
私的にはこの会話…おっと、これは読んだ人に考えてもらいましょう。
第三話 人魚姫の泡沫:
人魚のように、口にすることはできなかった、あなたへの想い。
月子と彼の再会は喜劇的な悲劇か、それとも、悲劇的な喜劇か。
昼ドラみたいな人間関係でワクワクしました。
後半の展開(美船くん)はそれとは違う意味でワクワクしました←
第二話は解釈の面で後味が悪かったんですが、
第三話は現実のほうでなんだか後味の悪いおはなしでしたね。
喜劇的な悲劇。
悲劇的な喜劇。
うん、
見方によってはどちらにも解釈ができる。
改めてよくできた構成だなと思いますね。
第四話 美女は野獣の名を呼ばない:
彼女は、体格のいい、いかつい面相の男と結婚した。
まわりは2人を〈美女と野獣カップル〉と呼んだ。しかし――。
変わって今度は夢センセのおはなし。
前に読んだときは私はなぜだか涙子が苦手でしたが、
読みかえしてみたらこれただの気の毒な人なんじゃ…涙子ごめん。
それにしても。
前章でも書きましたがどうしてもこのおはなし、
私は夢センセにコレじゃない感を感じてしまう。
それともこれは恋愛小説が肌に合わない弊害なのでしょうか。
ところで夢センセがP222で、
「『彼女』のヒロインにはモデルがいるんだ」
と言っていますが柳美里氏の『石に泳ぐ魚』のことを思いだしました。
まぁ私も中学生ぐらいのときに公民の授業?で習った程度なんですが。
結局あれプライバシーの侵害になったんでしたっけ…夢センセ大丈夫?
信じる者だけが幸せになれる
結局『偽恋愛小説家』って、
作品ジャンルはなにに該当するんでしょう?
帯には「連作恋愛ミステリ」とありますが、
そもそもこの4つの恋は本当に「恋愛」だったのでしょうか?
いえ、決しておはなしがつまらないという意味ではありませんよ。
私にはどうも、
全編とおして何者かによって操作された恋が
人為的に誰かの人生を狂わせているように見えるんです。
好き。愛してる。
愛し、愛される。
恋愛はシンプルなように見えて、
片手で数えられるだけの文字で、
ギブアンドテイクの関係だけで築けるものではないのかもしれません。
どんな〈運命〉もすべてじつはただの偶然で、
しかしただの偶然を〈運命〉と信じられる人だけが見ることができる。
そんな幸福な夢をあるいは「恋」や「愛」と呼ぶんじゃないかと思います。